先日発売した櫻井孝昌さんと声優の上坂すみれさんの共著『世界でいちばんユニークなニッポンだからできること〜僕らの文化外交宣言〜』の感想です。
個人的に介護生活に入る前、十年前くらいまでは実際に生で海外の日本アニメファンの方と話す機会などもあってリアル感覚でこういう文化を媒介にした日本と海外の架け橋的な動きは追えていたのですが、最新の、特にネットのブロードバンド普及後に一段階ステージが上がった感じで、そっちは僕も少し距離が離れた所からネットで追っているだけでした。
本書はその辺りの最新の情報・知見を教えてくれて大変ありがたく、また素敵な書籍でした。
●映画『涼宮ハルヒの消失』は海外の若者にも分かる
櫻井さんも指摘しておられるように、物語構造、心情の機微における日本的叙情などの点において、『涼宮ハルヒの消失』は決して分かりやすい映画ではないと思うのですが、実際の所海外の彼・彼女らは理解しているし、上映イベントを開いても好評、という事実。
二層あって、まず意外と日本的叙情をいきなりでも海外の方は感じる。これは、十年前の時点で僕も『新世紀エヴァンゲリオン』のかなり込み入った所を愛してる海外のファンの方たちと話したことがあるので分かる。僕の方がむしろ宗教的ギミックとか、あっちが本場でおかしく感じてるんじゃないかとか実際に話してみるまでは気にしてたんだけど、あちらの感覚ではあれで全然いい、という感じだった。おそらく、普遍性がある部分を突いているのと、それでいて受け手の多様性に対応するように作るのが日本アニメは上手いので、その辺りに要因があるのかとずっと考えていました。
もう一つが本書の指摘・解説でなるほどなと思ったのだけど、既に幼少の頃から日本のアニメを観て育った層が客層として成長してるということだと思ったのですね。
僕が上記のような感覚を有していた十年前でそれくらい浸透していたので、今では例えば当時十歳の方が二十歳になってるわけです。普通に筋金入りのオタクですよね(また「オタク(OTAKU)」は英語になるとネガティブなニュアンスがないという指摘も。これも、十年前時点で、堂々と「アイ・アム・オタク!」と自己紹介されたので分かる。)。
そこに、十年前時点でヤバいくらいハマって下さってる方がたくさんいたのに、ブロードバンド普及期がいよいよ到来して、ネットで動画で日本アニメがかなりタイムリーに観られちゃう状況が出来上がったわけです(最近は公式配信も増えたけど、まだ違法配信で観てる方が多い点を何とか次のステージに進めていかないとというのも本書で指摘、かつ僕も同感。ビジネスモデルの転換が必要になってきていて、実際一線の人達も考え始めてる感じですよね。)。
そう思うと、2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』頃(YouTubeの隆盛開始とかと同時期)、そしてその後の初音ミク(今では海外で日本のアイドルと言えばこれ、くらいの勢い)登場あたりが大きかったのかな。いずれにしろ、十年前とは一ステージは二ステージ上がった状態に現在はあると本書で改めて実感。僕も2011年から漫画・アニメ系の英語Facebookを運営してますが、バリバリ日本アニメのコスプレ写真のユーザーから、それこそ世界各地縦横無尽な場所から「イイね!」来るなとは思ってたんですよね。実際、環境的に観れちゃう環境にあるわけなので。僕らが思春期に『新世紀エヴァンゲリオン』観て衝撃を受けた、というかその後の人生をこじらせた(笑)ように、例えば海外ファンの最近の興味で感じるのは例えば『魔法少女まどか☆マギカ』と『進撃の巨人』ですが、あれを観てしまったら、やっぱり何かしら衝撃受けますよね。そういう事態が、ブロードバンド普及以降のここ十年で、新しい段階に入ったという勢いで生じてきている。
▼関連リンク:僕の映画『涼宮ハルヒの消失』の感想
●海外ファンは日本語のままでアニメを観るのを好む人たちも多い
僕も仮説として持っていましたが、長らく本格的に活動しておられる櫻井さんの本書の指摘で改めて、やっぱりそうか、と。
「カワイイ」はそのままで海外に通じるし、ここ最近で一番有名になった日本語ですが、"Cute"とか"Pretty"とまた違うのですよね、やっぱり「カワイイ」は「カワイイ」なんです。それを、そのままの感覚で彼・彼女らも捉えているし、そのまま使うのを好む。ちょっと専門的、言語学的に言えば、「カワイイ」のシニフィエを規定する文化圏としてのラングが何かしらあるわけですが、その文化圏が「日本アニメを観てる人たち」くらいになっている。その場所に規定されない文化圏がちゃんと言語感覚を伝えているので、かなりの程度日本人の「可愛い」と彼・彼女らが口にする「カワイイ」が同じという有り難い状況が生まれている。
そして、昔我々が洋楽を聞くならやっぱり原曲の英語歌詞で聴きたかったし、外国映画に出てくるカッコイイ習慣を真似したくなったように、日本アニメが好きでいてくれる彼・彼女らはそれを日本語で、「匠」の技術である日本の声優さんの演技で観たいし、そこに出てくる習慣も真似してみたくなる。海外のアニメイベントなどでは、「お弁当」がかなり浸透してきてるという話は本書で知りました。日本のアニメ、学校のシーンが多くて、アニメのキャラ達が昼休みに広げているので、それが何やらカッコいいというか、あの整然と詰まってる感じに「匠」的な何かを感じてくれているらしい。
このくだりは個人的に長年準備していた活動の方向性に本書で改めて確信が持てはじめた所で、つまりは英語に翻訳して表現していくよりも、僕は日本語教育側にコツコツ進んでいこうかなと。媒介語としてもちろん英語は便利なんですけど、和語感覚とか漢字(海外の人達はとてもクールだと言います)とかを楽しみたいというニーズがあるなら、教育というほど上から伝える感じじゃなくても、そういう能力を高める手助けをするような方向に徐々に進んでいきたいかなと。もしかすると十年ごしに積み重ねていたものが繋がってくるかもな……。
●ロリータファッションは私にとって、一言で言えば「装甲」です。
長くなってきたので最後に上坂すみれさんパートも。
彼女は今一番ヤバい、英語で言えば"Awesome"な声優さんなので(例えば『進撃の巨人』を観た英語話者の動画とか観ると、この語を連発してるような語です。)、例えば彼女のブログなどを見て、あ、彼女は本物だ感を感じていてほしいところですが、原点はロシア大好き過ぎたけど話す相手がいなくて寂しかったこととか、それを言い出したらロリータファッションも漫画・アニメもまだまだおおっぴらには語ったり友達作ったりしづらいジャンルだし、そういうのがあるというのは分かる気がするし、ありがたい。
だから、ネット時代でロシアで語り尽くしたりできるようになった現在、何かが動き出してる感じなんだろうと。この前のカタールでのイベントに続き、今月はいよいよモスクワのステージに立たれるそうです。地政学的にも重要な場所で、本当文化外交っぽい。提供できるものを提供して、提供してくれるものを提供してもらう、そうやって少しずつ調整していけたならという時代かと思いますので、本当がんばって欲しい。
そんな彼女が心の故郷は中野ブロードウェイと語り倒してる所に、本当、彼女こそが時代の先端部分にいるなと感じます。ローカル&グローバルの架け橋、ということ。そういう大事なことを、マッチョイズムとは違う、日本伝統的、古典や文学的な魔的な闇を抱えた(え)上坂さんがやってるということ。読んでるだけで嬉しかったです。
引き続きTwitterなどで二人の活動を追いつつ、僕もやれることをコツコツとやっていきたい。彼女の「革命的ブロードウェイ主義者同盟」は、文字だけ見ると何だ? という感じですが、趣味の求道的想像力を次のステージに進めるビジョンのようなものだと思います。
つまり、やや強引かもしれませんが、最近僕が書いていたゼロ年代的想像力を2013年以降本物にしていくにはどうしたらいいのだろうという話、趣味的な想像力だったものを、求道の末に現実を良くしていく力に換えられたらなという点で繋がるのかもなと。ノートの上でロシア妄想を繰り広げていた上坂さんが、モスクワで架け橋として歌う、ということに、そういう象徴性を感じたりもするのでした。とても勇気が湧いてくる一冊です。