アニメ『境界の彼方(公式サイト)』、第1話〜第7話までの感想です。

 第1話〜第3話分は秋季アニメまとめ感想で書いてたやつの再掲で、残りの第7話分まではこの記事で書いたものです。
 ネタバレ注意です。
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第1話「カーマイン」

 不死存在と退魔士(的な存在)との(おそらくは)恋愛ものという、ド直球。孤独なのはヒロインなのか、主人公の方なのか。

 これもオープニングが繰り返し観てるくらいカッコいいのですが、そこにも描かれているバトルシーンにも期待。血の剣が舞い、謎のバリアが炸裂する感じなので、何かこう、初めて『涼宮ハルヒの憂鬱』で朝倉涼子VS長門有希のバトルシーンを目撃した時のような衝撃を、また京都アニメーションから貰えるのかもと期待中。


第2話「群青」〜第3話「ムーンライトパープル」

 作品題通り、人間と妖夢の「境界」が主題の一つと思われる作品。栗山さんは「虚ろな影」に憑依された伊波唯という境界が定かでない存在を殺してしまったのを背負い、第一話では秋人というこれまた半妖という境界が定かでない存在を殺しにいっている……という辺りがキーになりそう。

 そして、境界で区切られたどちら側に属せない存在は孤独。秋人も孤独。栗山さんも孤独。栗山さんは大変重い女なのですが、秋人の自分のことならば受け入れているけれど(孤独の件)、他人(栗山さん)がそうだと感じてしまったらちょっと気にかかるという心理はなんか分かる……。

 要所要所で出てくる「檻」も、「境界」の比喩として重要なんだろうな(例えば「檻」を使う名瀬家の長女の泉が、妖夢はただの化け物と、境界の外を排斥するようなことを言う)。外部の接触から守ってる一方で、外部から誰も来てくれなかったら孤独だ、というような。いかにして「境界」超えをしていく作品なのか楽しみ。

 そして博臣兄さんがカッコいい。第3話の妖夢とのバトルで意外とダメージ負ってるあたりも含めて親近感。


第4話「橙」

 序盤のクライマックスバトル回でもある、VS虚ろな影戦。

 戦闘パートが描かれつつ、「孤独」や「食」といったテーマに関して、主に栗山さんの内面からも描かれていた回。

 この回までは栗山さんは「閉じて」いて、境界不明瞭状態だったとはいえ唯を自分は殺してしまったのだし、そういう重いものを背負ってる自分の孤独なんか、美月や博臣のように友人もいる秋人には分からない、くらいの気持ちだったのですが、半妖の「妖」の側面が出て暴走する秋人を目の当たりにして気づきを得る、というような流れ。

 秋人もまた孤独だったということを栗山さんが実感して、次回の人は誰もみな孤独という流れに繋がりつつ、暴走秋人が周囲の人達を傷つけながら、それでもまだ生きてるのを見て、ある種「人は誰しも食しながら(奪いながら)生きている」という境地に栗山さんが達した感じ。だから、ラストは牛丼(人間に殺され、食される存在)を、栗山さんちゃんと食べる、と。


第5話「萌黄の灯」

 人は誰しも孤独、他者と自分は閉ざされた場所にいる、というような話、主に美月で描いていた回。


 「クローズにしてくるわ」(名瀬美月)


 は象徴的で良いシーン。

 そういう風に、やっぱり人間なんて孤独で閉じてるんだという人生観だった美月なのだけど、栗山さんの方が前話で「孤独」に関しては少し先行して悟っているので、栗山さんが先行者ポジションで、強引に美月を「外」のお祭りに誘い出す。

 お祭りのバラバラに灯りながら流れていく明りを見つめ、だけどその流れゆく孤独なアカリが全体として美しさを形成している、というシーンで、美月が「リンゴ飴食べたい」(食に関して他者を求める)に到達するというのはかなり文芸よりの良いシーン。エンディング映像(バラバラのままみんな歩いて行く)もこのテーマにかかってるっぽいですね。

 これ、ここで美月は博臣兄さんに頼るんだよな。

 泉、博臣、美月の名瀬家の三名は、お互いちょっと違う思想で動いて牽制し合っていて、誰が何を求めているのか? という謎が物語の牽引力になってる作品なのですが(例えば美月は泉にヤキイモの存在を隠してるっぽい。妖夢=捕食対象という思想の最右翼の泉に対して、美月はヤキイモ=妖夢を自分の大事な部分に隠している、という構図)、美月に「人はしょせん孤独」という思想を植え付けたのは泉なんだよな。それを、この回で美月はある種克服、離脱、昇華してるわけで、こう描いた以上、イデオロギー的に泉VS美月にはなっていくのだと思われ。

 そうなると不明瞭なのは博臣兄さんで、泉と美月でどちらよりなのか、あるいはどっちについてくれるのか。

 これ、最終的に「妹萌え」は正義で、博臣兄さん、「眼鏡萌え」の秋人と共に無双してくれないかな。

 後述しますが、同じ京都アニメーション作品として2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』をかなり意識して本歌にしてると思われる作品で、『涼宮ハルヒの憂鬱』ラストの、「俺、実はポニーテール萌えなんだ」(最後の動機は、その照れ隠しとしてのシニフィアンとしての「萌え」発言)を、かなり意識して今作では秋人と博臣が萌え萌え言ってるのだと思うのですよ。


第6話「ショッキングピンク」

 中休み的な、おバカエピソード、かつお色気的サービスエピソード。

 なんだけど、やっぱり作中で「文芸部」が使われてるのは同じ京都アニメーション作品の、『涼宮ハルヒの憂鬱』を本歌どってると思われ、それゆえに今話の五人でのダンスシーンって、やっぱり伝説のハルヒED、ハルヒダンスの、あれに男二人、キョンと古泉も加わっていたら? バージョンだと思ったのですね。京アニダンス、2013年バージョンですよ。で、特に、ハルヒ要素のうち、「その文芸部の五人の中では境界が無効化されていた」を表現として意識してる感じ。長門は宇宙人でみくるちゃんは未来人で、古泉は超能力者、そして、三陣営のハルヒ解釈は絶望的なまでに異なり、解り合えない。でも、あの文芸部のSOS団の中では、そんな境界が無効化されていた。ダンスもやった。というのを、異界士も半妖も妖夢もいるけど踊るよ! で、今作で本歌からのパロディとしてたぶん表現している。

 文芸部ネタで面白いのは、誰が最初の主体者、文芸部に最初にいた人、つまりハルヒにおける長門なのか? という部分で、僕はたぶん美月だと思ってるんだよね

 そうなると、『涼宮ハルヒの消失』を本歌にして、何をやろうとしてるのか見えてくるような……。


第7話「曇色」

 人はみな境界に閉ざされて孤独だ、という前提のもと、でも少しずつメンバーが増えていく……という昨今の共同体再構築ものの側面もある作品だと思うのですが、その(おそらく)最後のメンバーが、「食」を司る桜。

 『境界の彼方』と「食」のテーマに関しては、こちらの記事がとても良かったですね。↓


生きるためには食べなくてはならない!『境界の彼方』の食事シーンを読み解く/やまなしなひび−Diary SIDE−


 唯を犠牲にし孤独に落ち、それでも食べないと生きていけないということを栗山さんに伝えていたのは他ならぬ桜だった、という展開。

 おそらく、泉が妖夢を捕食対象と語ること、妖夢が人間を食べること、栗山さんが唯を殺したこと、秋人が博臣を殺しかけたことがあるらしいこと、栗山さんが牛丼を食べること、そういう事柄を並列化して、「生命は何か他の存在を食べながら(奪いながら)じゃないと生きられない」ということを一つ描いていると思うのですね。

 そういう意味で、一神教的進歩史観のもと、強大なラスボスが現れてそれを打倒して一歩進んでめでたしめでたしというよりは、ブディズム(仏教)の影響も強いジャパニーズアニメショーンという感じ。この世界観で終盤の物語をどう描くのか、大変楽しみなのです。

境界の彼方 (1) [Blu-ray]
種田梨沙
ポニーキャニオン
2014-01-08




→次回:『涼宮ハルヒの消失』と『境界の彼方』との関係について(『境界の彼方』第8話〜第11話感想)へ
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