ネタバレ注意です。
やっぱり禁断の果実モチーフ=人間の進歩とか進化への欲求、みたいな感じなのですかね。それを追い求めてるのがユグドラシルコーポレーションなのだけど、『UQ HOLDER!』で軌道エレベータ(競争や上昇志向の象徴)の回りに貧民街が広がっているのと同じ文脈で、その代償として淘汰されたり貧窮したりする存在が必ずいる、と。で、戒斗の親御さんはユグドラシルコーポレーションに淘汰された町工場側の人で、強者を希求する戒斗の動機は、むしろ強者に排斥された弱者の渇望でもあった、と。
そこで、舞と戒斗の対話で、「強さ」の質の違いのようなものが語られる。戒斗が語るように強者をより強者になって打倒し、支配するような強さがある一方で、舞が語るように悲しいことがあっても何とか折り合いをつけて地を這うように生きる強さもあるんじゃないか、と。強者によって淘汰された弱者、という原点は同じでも、そこから希求する強さには、質の違いのようなものがある。
この会話で戒斗さん、何かに開眼。
「どうやら使い分けが必要らしい」(仮面ライダーバロン)
今まで一番の強さだと思っていたバナナフォームから、質の違うマンゴーフォームに切り替える柔軟さを獲得。硬い奴は、鈍器で殴る時も必要だ!
これ、鎧武側もパインフォームで鈍器使ってるんで、この比喩からいくと、舞が言ってた悲しみと折り合いをつける強さというのは「鈍器的強さ」みたいな感じになっちゃう気がするんですが、悪くない(え)。多少無様な感じが漂っても、重いもの振り回して硬いの殴っていきたい。
禁断の果実を追う的、ユグドラシルコーポレーション的進化競争みたいなのもそうだし、光実が押し込まれてる学歴競争みたいなのもそうだし、あるいは紘汰のバイト探しもそうだし(資本主義世界の中でお金獲得ゲームの中で階層化される)、ダンスチーム同士の支配ゲームも同じ。リアル世相も反映しつつ、そういう良いことなはずなのに(良いこととして世の前提になってるはずなのに)、何故か閉塞してる場所から自由になるのを目指すぜ、みたいな話なのかなと思い始めております。相当な強者側、支配者側にいる貴虎兄さんでさえ、何か不自由で苦しそうに描かれてると思いますし。今話の「強さの質を使い分ける」っていうのも、何か一歩自由になった気がするよね。
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