本日発売の、赤松健先生の『UQ HOLDER!』(ユーキューホルダー)、第1巻の感想です。

 収録話数に関して、「週刊少年マガジン」の雑誌連載時にタイムリーに書いていた感想の再掲載をしつつ、最後に少し追記です。単行本派の方はこの記事から読んで頂けたらと。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

Stage.1「美女と少年」

 ガチの『魔法先生ネギま!』世界観の続編。面白すぎてつらい。

 主人公の名が近衛刀太で、お祖父ちゃんのお墓のシーンでは墓標にネギ・スプリングフィールドの名が。さっそくネギと結婚したのは木乃香で、刀太は子孫? という仮説が一つ可能だけど、赤松先生がそんなシンプルな話にするとも思えないし。

 冒頭のカラー漫画の部分。悠久を生きるエヴァンジェリンの、『ネギま!』3-Aメンバーとの楽しかった一時。そして別れ。やがて対象に興味を無くしていく、年月という流れ……というくだりは切ない。どうしても現実世界のことも思い起こしてしまいます。今や古き良きゼロ年代の想い出になりつつある『ネギま!』という作品、毎週ネギま!感想書いてたブロガーさん達とか、もうほとんど残ってないと思うのですよ(そもそもブログが個人メディアとしての隆盛を終えた感がある)。共に「ネギと結婚するのは古菲説」とかやってたシータさんも数年(ネット上で)音信不通になり、この前久々にお会いしたら「艦これ」やってましたから。ああ、大量消費文明の中の、コンテンツ大量消費時代。全てはやがて移ろいゆき、人の興味も移っていく。

 だからこそ、UQ(悠久)を題材に扱うというのは熱い。次から次へと進みゆく大量消費の中で、辿り着いたのが虚無感、ニヒリズムでは、何か寂しい。第1話でフライングで考えるなら、そういうものを超え得る、悠久的な価値あるもの、虚無感とは違う何かの求道、あるいはその方法論などはあるまいか、というような話を描こうというのではなかろーか。

 ゆえに、『ネギま!』3-A組とエヴァンジェリンとの別れが描かれているコマで、ポツポツと「あいつ死んでないだろ」的なキャラは映ってないのが熱い。フライング考察だけど、やっぱりこのコマに映ってないキャラはまだ普通に生きていて、『UQ HOLDER!』で出てくるとは思えまいか。ネギ自体が不老不死設定なのですが、龍宮とかザジとか茶々丸とか超とか、人間じゃない系というか、不老不死系、UQ(悠久)HOLDER(保持者)系が、不自然なくらいに映っていない。

 第1話はある意味前作の否定要素を念頭に置いた、前作と今作のシーソーゲームで、『ネギま!』のメッセージでもあった「わずかな勇気が本当の魔法」が、綺麗事だ、ということも描かれる。踏み出さずに田舎にいる選択をする正しさ。わずかな勇気で踏み出してみて、成功する者もいれば一撃で破綻する者もいるという厳しい現実。ある種の、『ネギま!』なことをしない正義。でも、そういうものを淡々と語る大人の敵キャラを、とりあえず第1話では刀太がブっとばして物語の始まり。でも一方で、だからやっぱり「わずかな勇気が本当の魔法」思想は大切なんだ、という物語にも思えない。魔法(少年が夢追い的に追うもの)の他に、お金(現実的なもの)の話もめっちゃ出てくる。本当、「その次」の物語だ、というファーストインプレッション。

 僕とか『ラブひな』『ネギま!』の第1話マガジン掲載をタイムリーに読んでいて「凄いの始まったな」感を感じた経験をしてる人なので、今回三度目の赤松先生による「凄いの始まったな」感です。

 Facebookで例えば海外の『ネギま!』好きと直接言葉が交わせるご時世ですが、こういう時は、真っ先にこういう作品が読める日本在住で良かったなと本当思いますね。


Stage.2「不老不死なんて!」

 結城忍という名前、主人公を「センパイ」と呼ぶなど、さっそく『ラブひな』のしのぶ型ヒロインを投入。わりと性別が分からない描き方になってる気がするけど、文脈上のヒロインって感じで。

 僕、『ネギま!』の時ものどかが登場した時に当時のホームページ(まだHTMLで手打ちの頃)に、「しのぶ型のヒロイン投入きた!」みたいなこと書いたんだけど、元祖しのぶも含めてこれで三度目の赤松先生によるしのぶ型ヒロインショックですよ。元祖前原しのぶは赤松先生が描いたヒロインたちの中でも最も成功したケースの一つと思われるので(『ラブひな』当時の人気は凄かった……)、マーケティング上何らかの形で毎回作品に投入というのは熱い。恐ろしいことに、「夢追い志向だけど、今一つ自分に自信がない」というキャラ造形が、今話に出てきた忍も含めて、全キャラ共通してるんですよ!

 今話も引き続き前作の否定要素を含む、前作と今作のシーソーゲーム。前作『ネギま!』では鉄板だった、師匠ポジションのエヴァンジェリンが主人公の武術を鍛えるという要素に対して、


 「格闘技で食べていく訳じゃないし」(近衛刀太)


 が炸裂。ご時世的に、バトルだけやってる場合じゃない。本当「その先」の物語を読めているのだという僥倖感。

 もう一歩、現時点で感じる物語全体像としては、刀太が未来を、夢を目指すぞ、ということを言う度に、でも未来は破滅的かもしれないというのがついて回る構成なんだと思うのですよ。

 今話で語られた刀太の夢、「何かを成し遂げていい感じにオッサンになった俺達五人でバーでかっこよく酒を飲むこと」はもう叶わないんです(刀太が不老不死になってしまったので)。そして、夢と未来の象徴としての太陽系オリンピックの華々しさが語られれば語られるほど、『ネギま!』を読んでる読者なら、今一つ今作の時間軸がまだ不明なところがありますが、超の時代まで進んだら、何かしら悲劇的なことが起こるのが分かってる。『ネギま!』最終回の記述より、この後戦争が起こることも分かってる。

 それでも、今わたしたちはバイクを修理して空を飛び、歌を歌う。

 思ったのは、一線のクリエイターたちが震災後の想像力で作るとある程度扱う題材が符合するのが必然なのか、未来は破滅かもしれなくても作り続ける、今、自身の本然を生きる、というのは『風立ちぬ』だよな……。今話のバイクを一緒に修理するシーンは、『風立ちぬ』で堀越二郎が零戦を作る的な、ただの夢追いポジティブ描写だけでは済まないような含意もあると思うのです。今話の刀太と忍の約束にしろ、刀太が不老不死な以上、やがて二人の時間はずれていくのに、という悲しさも既に背後にある。それでもボーイ・ミーツ・ガールし、塔の上を目指して歩いて行く……。

 凄い漫画が始まってる感。


Stage.3「仲良くできると思った」

 『ネギま!』の刹那、もっと遡って『ラブひな』の素子にやっていた「主人公が神鳴流の剣士にうっかりセクハラ」を、今回もやっちゃうんだけど、今作では相手が男というのに批評性を感じます(笑)。「わずかな勇気が本当の魔法」は本当なのか、主人公がエヴァ師匠にバトル能力を師事しない、なども含めて、明確に前作の否定とまでいかなくとも、前作と今作がシーソーゲームする要素を盛り込んでいる感じ。

 第二話が不死者と普通人の友情は可能なのかという話で、第三話は不死者同士の友情の是非のはじまり(時坂九郎丸、悠久ホルダーを描いてると思われる第一話の見開きにいる)、みたいな感じでしょうか。

 今作のみでも成立してるけど、『ネギま!』を踏まえた方が色々と感じ入るものがあります。刀太が近衛姓で、九郎丸が神鳴流使いとなると、やっぱり何か木乃香と刹那の縁的なものが背後にある、運命の二人的な何かなのか? などと勘ぐってしまいますし。

 「友人など作れっこないし出来ても後悔するだけだぞ」の今話のエヴァンジェリンの言葉が切ない背景補強にもなります。第一話冒頭のカラーページのお別れのシーンだけど、エヴァも木乃香や刹那に友情めいたものを感じていたとして、今はもう木乃香も刹那もいない、という話なので。

 これ、明日菜は眠ってる時間軸なのかな。それとも最終回の戻ってきた時間軸なのかな。『ネギま!』で非幸福者(『ネギま!』の感想書いてた頃に過去の悲劇組と呼んでいたキャラたち)だった代表として刹那とエヴァがいて(そしてエヴァは刹那に共感すると言ってる)、二人を精神的に救ったのは明日菜って描かれ方をしてると思うのですよね。刹那に対しては京都編のラストで明日菜がかけた言葉が、エヴァに対してはまほら武道会で明日菜がエヴァにかけた言葉がキーになっている。

 エヴァに対しては、明日菜はよく分からないけど大丈夫だというようなことを言っていたのだけど、『UQ HOLDER!』は、結局孤独めいて悠久を生きているエヴァに、本当に明日菜が言っていたような生きてる意義のようなものが訪れえるのか、というエヴァアフター物語でもあるのかもしれない。

 あとはやっぱり木乃香か。刀太が近衛姓な訳ですし。

 『ネギま!』252時間目で、思いがけない幸福にとまどい悩む刹那に、木乃香が、


 「――幸せになったら弱なるなんてウソや 幸せなんやったらもっともっと強くならな 今幸せやなかったり 何かの理由で大変やったりする人たちのためにも」


 という言葉をかける。そこから物語は幸せと強さの両立という方に進んでいく。

 強さは既にあるけど幸せ感が足りてない、というような『UQ HOLDER!』のエヴァ的に、刀太が近衛姓なのにも、色々と熱いものがあると感じるのでした。


Stage.4「刀太の奇策」

 前回も書いたのですが、刀太が近衛姓で、九郎丸が神鳴流使いなので、何か木乃香と刹那の縁的なものが背後にある二人なのか? と見てしまいます。そう思うと、『ネギま!』でやってた木乃香と刹那の友情の構築物語、というのを男同士版でやるとこうなるのかな、と。出自とか正体に色々あるのは刹那も九郎丸も同じ。なんだけど、刹那が木乃香に自分のことを伝えて木乃香が受け入れるというところまでは(主に心情面の物語的に)色々あったんだけど、男同士だったらさわやかにバトルし合って、それで友達、とシンプルな感じ。そこまで意図してるかはともかく、出会った時点で裸を見てるとか、チン○を見るとかが素の相手をありのままに見てる比喩ともとれる。

 あと『UQ HOLDER!』が面白いのは前作では最強クラス扱いだったエヴァンジェリンが「もはや古びた形骸」呼ばわりされてるあたり。第1話では、魔法アプリという最新の技術が伴われていたために、一般の少年にも後れをとったりしてしまう。その衝動こそが軌道エレベーター、宇宙開発に象徴されている作品だと思いますが、人類は先へ、前へと進もうとするので、「最新」はやはり強い。メタに、神鳴流の斬魔剣弐之太刀とか『ラブひな』時代は超必殺技だったのに、最新作『UQ HOLDER!』では主人公の刀太にあっさりはじかれる。こういう「悠久VS最新」みたいな話は普遍的な題材で面白そう。

 やっぱり前作の次の話になってる、という感想。九郎丸くんも、自分の正体とか居場所がないとか、それは前作の最初に刹那も悩んでいたことなんだけど、京都編のラストの明日菜の言葉で救われているんだよと、語りたくなるような作劇。そういうお話があった次の物語として、九郎丸と刀太の物語は最新作としてはじまってる感じ(だから逆に言うと、『ネギま!』で充分に描いてしまった物語題材に関しては、もう一度『UQ HOLDER!』で時間を取って描くということはしないのかもしれない。焦点は「その次の物語」にあてていく感じで)。


Stage.5「旅の休息、男のロマン」

 前回書いた「悠久VS最新」の視点で読んでみると、今回は一応「悠久」のターン。エヴァンジェリン、「本物の古の魔法」はやっぱり凄いんだよ、と。

 舞台が温泉街なのも『ラブひな』を連想する感じになってると思うのです。作者の引き出しが足りないとかじゃなくて、たぶんメタフィクショナルな部分で意味ある感じにしている。

 『ラブひな』には有名な評論があって、ひなた荘は悠久の楽園だし、物語終盤の景太郎と成瀬川が山手線を回り続ける(つまりいつまでも終わりがこない)シーンも、終わらなさの比喩であるという。そういう悠久は楽園かもしれないけど、一方で閉塞でもある、と。

 で、疑似ひなた荘みたいな「完全世界」から終盤でみんなで出てくるのが描かれてるのが『ネギま!』だと個人的には解釈してるのだけど、その文脈で、『UQ HOLDER!』。温泉とか神鳴流の剣士とかの要素は『ラブひな』を連想させるけど、そういう舞台設定を入れて見たりしつつ、そこだけにとどまらない「その先」を浮き彫りにしていく、みたいな感じなんじゃないのかなぁ。

 刀太と九郎丸。こういう男のツートップ的体制(連載開始時のカラー表紙も、この二人とバッグに雪姫という絵)とかは赤松先生の作品的に新しいとも思うのですね。『ネギま!』終盤のネギとフェイトがこんな感じだった気がしますけど、それを近衛姓の刀太と神鳴流剣士の九郎丸でやるのが、やっぱり木乃香と刹那の文脈も背後にあるようで、「続いているけど新しい」感が出てると思うのです。

 タオルで裸を隠そうとする九郎丸と、雪姫のタオルを取って裸を見るというミッションをやる、というのはおそらく対照として描いているとは感じますが、一応心理的にまだ自分を隠そうとしてる九郎丸に、エヴァの(魔法の実力関係とかの)秘匿を取り除いてもう一歩関係性を進展させよう、という比喩になってるとは読める(笑)。次回九郎丸がタオルとって裸全開になって、友達だぜ! みたいな感じなのかな(え)。


Stage.6「一寸先は?」

 作品名『UQ(悠久) HOLDER!』が、不死人一家の共同体名だったことが明らかに。


 この作品、共同体再構築ものだったのか!


 物語の隅々に、壊れてしまった共同体が描かれていると思います。第1話冒頭の、『ネギま!』の3-A共同体が悠久の時の流れで解体されていく寂しさ。今話なら滅びたローマ帝国、人口減で都会とインフラが弱った田舎に別れた日本。

 そんな寂しさを遠景に、エヴァンジェリン、刀太、九郎丸という新しい共同体が作られるまでが第6話。やってることは『Free!』や『黒子のバスケ』と同じなんですよ。壊れてしまった共同体を、再構築して、新しい形で前へと進んでいく物語。ただ、部活共同体などよりは、スケールが大きい。共同体『UQ(悠久) HOLDER!』は世界の秘密結社みたいな感じだよな。主人公が秘密結社側なのかよ! というのも合わせて面白い。

 『ネギま!』のクライマックスである、ネギがフェイトに友達になりたいんだと伝える箇所の、次の物語でもあると思う。ここ数話で、九郎丸(最初は敵対)と友達になったよ。今話で悠久的な面々は色々出てきたし、みんなそれぞれ事情も背景もあるよ。でも友達になる、共同体の再構築やってやんよ、というとりあえずの(たぶん)作中目的。

 この流れの共同体再構築物語は「無縁社会」とか「格差」がキーワードになりがちな世相を反映して最近のトレンドと言えばトレンドで、上記の黒バスやFree!もだし、ディケイド以降の平成仮面ライダーやプリキュアシリーズ(特にスイート以降)、さらには『あまちゃん』、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』など、多くの最近のヒット作も、大きくはこの流れの中にあると思う。論としては、地域・場に限定された共同体は解体され、趣味や共感で集まる新しい共同体がネットやSNSを介して新しいレイヤーになっていくんじゃ、とかは言われていて、僕もそっちの実感も確かにあるのだけど、そういうのが「悠久」の共同体かと言われると、中々難しい。『ネギま!』という作品でできてたネット上の共同体とか、連載終了と同時に徐々に解体されていっていたと思う。じゃあ、悠久を志向する共同体って何だろう? みたいな作品なのかと思うとワクワクする。刀太が志向している塔の上へとかオリンピックとか、そういう上昇志向自体が、どちらかというと一般的に共同体維持とは別の衝動なんですよ。一人、上昇志向で上京していけば、田舎の共同体とは別れることになる。『UQ HOLDER!』でも既にそこは描かれていて、田舎の4人の友達とは、現時点で刀太は別れた状態にある。でも田舎の4人との共同体が壊れてしまったのか? と言ったら、ここは作中の今後でかなりドラマチックな部分に思えます。

 家族とか仲間とか、一昔前だったら無謬に確かだと思われていたことが時に一笑にふされてしまう時代さポイズン。あえて「一家」という言葉を持ち出してきて、悠久の共同体とは? という物語にチャレンジする『UQ HOLDER!』非常に面白いです。

第1巻単行本感想追記


131217karin  1巻ではほとんど出番がなかった夏凛先輩。

 同人マークの実験開始ということで、ちょっと絵付きでブログに感想書いたりも今までよりやりやすくなったって解釈でいいのかな(赤松先生が各所で言っておられる通り、TPPに著作権の非親告罪化が入らなければもちろん良いのだけど、現状厳し目と解釈中。)。

 Stage.12の夏凛先輩が活躍し出す所からまたグっと面白くなるので、1巻面白かった方は是非2巻をば。

 うちのブログ的には今年2013年の漫画ベストに選んだ作品なんですが(2013年ランゲージダイアリー的ベスト、「漫画部門」)、Stage.12を読んだのが大きいです。夏凛先輩ラブとかそういうのじゃなくても(それもあるけど!)、UQホルダーが掲げる思想が現時代性を押さえつつここだというポイントを突いていてたいへんカッコいいのでした。





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