先週の土曜日に母上が足を骨折して入院しまして、慌ただしく過ごしておりました。

 ちょっと油断してしまいましたね、歩行リハビリの時は普通は付いてるのですが、僕も父上もちょっと目を離してしまった間に転倒してしまったのでした。反省中。

 現在は手術も無事終わって、少しずつリハビリを開始中。リハビリの程度はかなり戻ってしまいましたが、またコツコツとやっていこうと思います。
 残念だとしばらく落ち込んでいたのですが、9年前の当初は意識が戻ったら奇跡だという状態でしたので、入院しながらも食事もできる状態なのはその頃との比較で捉えれば良いことだと、前向きに付き合っていこうと思います。

 けっこう自宅から距離がある病院に入院中でして、毎日の車での往復が時間かかっております。改めて、超高齢化社会は何やるにしてもかなりの程度介護リソースは割きながらの活動になるなと、再確認中。

 時世的によく言われる「先が見えない」は、潜在的に介護リソースが足りていないことにみんな不安を感じているのでは(将来的に自分に介護リソースが必要になった時リソースが足りない=潜在的に将来がバッドエンド的)とも思うので、やっぱり何らかの手段で今からリソースの追加を講じていきたいと、地方都市在住なりに作戦中ですよ。22歳の時に母親に一生介護が必要になって以来の僕の人生は、この点の試行錯誤だった側面があるのです。

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 最近読んでたものなど。



 相変わらずクリエイティビティが刺激される雑誌でした。「コハエース」が意外と好き(笑)。




 何故か読み返し中。やはり『けいおん!』は金字塔。

 『けいおん!』のキーワードの一つ「延々続行」は、ずっと感想で書いてきた通り、当人たちが世界を広げていくことで、一時になりがちな紐帯、そういう共同体に根差した「輝いた時間」をこれからも続けていけたら……っていうストーリーラインもあったと思うのだけど、もう一つ、次の世代へ「輝いた時間」を伝承していく、という側面からの「延々続行」も描かれていると気付きました。だからティーセット(ある意味「放課後ティータイム」的な「輝いた時間」の象徴)を媒介にして、紬から菫に「輝いた時間」を贈る、という物語が入ってるのだろうと。




 原点。

 創作の遺伝子(ミーム)が受け継がれていく話からすると、僕がいきなり奈須きのこさんの作品に打たれる、ということが起こる背後に、奈須きのこ作品自体が氷室冴子さんにある程度影響を受けていて、その氷室冴子感覚みたいなのを幼少期に僕も体験している。よって、感覚の符合が生まれるのはある意味必然、という数式もあると感じました。自分が好き過ぎる感覚と、この感覚『魔法使いの夜』の遠景にもあったよな、という感覚と。個人体験として何度でも面白く、読み返すたびに少しズレてた異相を元の自分に戻してくれる作品。

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 自分の作品も黙々と制作中です。