週刊少年マガジン連載の、赤松健先生の『UQ HOLDER!』(ユーキューホルダー)、第23話「刀太VS灰斗」の感想です。
 ネタバレ注意です。
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 『ネギま!』から繋がる「力」にまつわる話として、またあまりにも作品の根底に流れているような気がするので、赤松作品の基本的な「力」「能力」に対する世界観にもなってる気がするのだけど、四葉五月の次のようなセリフがありました。


 「誰かを恨んだり逃げたりして手に入れた力でも・・」「それはあなたの立派な力です」(四葉五月/『魔法先生ネギま!』73時間目)


 望んだ形で、最初から自分のドンピシャの才能、本然を見出してそれを高めて力を得る、みたいな、理想的な「力」との関わり方ができるとは限らない。それでも、理想的な流れで身に付けた「力」じゃなくても、生きている過程の中で、どちらかといえば負の動機で身に着けた「力」でも、生かせることがきっとある。

 これはもう『ネギま!』の土台に組み込まれている要素で、明日菜なんかも、望んで世界がどうこうという力を手に入れた訳じゃないんですよね。だけど、最終局面では、その「力」を生かすことを選択する。

 という訳で、刀太、九郎丸と、別に望んで努力して手に入れた的な「力」ではないのだけど、それを生かす、という戦いが描かれた回。

 「闇の魔法(マギア・エレベア)」、「戦闘勘」、そんな力別に望んで身に着けてないし、本人は良く分かってもないのだけど、今守りたいもののために使いたい。

 九郎丸の方も良かった。剣とか別に好きじゃない、それが己の本然ではない、と気づいてしまっているのだけど、前回の「ないもの同士」のくだりがあったこともあり、今は芯も何もないゼロの自分、でもかろうじてある力なのだから、望んで身に着けた訳じゃないのだけど役立てようと、神鳴流宴会芸を使用する。「宴会芸」とか、本当何が役に立つか分からない感が出ていて面白い。望んで身に着けた「力」ではない。なんで俺、好きでもない剣で宴会芸まで身に着けていた。だが、今、人助けに使えるんなら躊躇なく使いたい。

 ラストは、上述の二人とは対照的に、己の道を究める形で「力」を手にしている灰斗に対して、刀太のそれこそ望んで身に着けたわけじゃない「闇」の力が? という引き。

 『ネギま!』の頃からこの「力」に関する赤松先生の描き方は好きだったのだけど、『UQ HOLDER!』で改めてこの2014年に語られても、やはり良かったのでした。

→第2巻予約開始



→最終回には赤松先生も「コンセプチュアルな"東京の群衆のシーン"」で参加。『はじめの一歩』の森川ジョージ先生が描いた東日本大震災を題材とした漫画『会いにいくよ』も予約開始。(企画発表当時の広報がそのままなら、初版売上の何パーセントかが震災関係の寄付にまわされるとのこと。)



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