記事中はネタバレ注意です。
物語全体については、PCゲーム版発売当時に書いてたこちらのネタバレプレイ日記ブログに書いた通り。
ただ、アニメ版の表現を観て、新たに気づいたこともあって、虚構世界を創ってたのって、表面的には恭介が中心だったのだけど、一番虚構世界生成に力を提供していたのは、「物語作り」が自身の志向だった小毬ちゃんなんだね。だから、最後に恭介が虚構世界から退場しても、小毬ちゃんは最後の最後まで残ってる。
そこから、例の小毬ちゃんと鈴の夕日のシーンに続くのだけど、あそこで小毬ちゃんが鈴に渡した星の髪飾りが、「バッドエンドを覆す意志」の象徴になってたんだな、と。「願い事」、KEY作品的に言えば、「奇跡」を実現する意志。それを受け取った鈴が、
「こまりちゃん、そのお願い事、叶えてみせる」
を口にする。あんなにダメ人間だったのに!
で、なんで小毬がそんな「バッドエンドを覆す意志」を持っていたかといったら、小毬ルートで描かれているような、「バッドエンドじゃない『マッチ売りの少女』」的な、バッドエンドを覆す意志を、理樹から貰っていたわけで。幸せを受け取った人が、幸せを次の人に渡せば、世界は幸せになっていくという、『pay forward』的な、小毬ちゃんの『幸せスパイラル』理論、これが最後に炸裂する作劇になっていたんだな、と。ゆえに、個別シナリオ一つ一つ好きなのは色々あれど、物語全体としてガチで核心なのは小毬ルートとRefrainなのかな、と。
アニメ版、たいへん良かったです。ゲーム版で泣いた所で、きちっとまた泣けた演出が素晴らしかった。終盤の小毬と鈴の夕日のシーンとか、泣きゲーという呼称を生み出すほどに時代を作った麻枝さん&KEYの全盛期の全力を、追想するに十分でありました。ゼロ年代の想像力、やはり凄かった。KEY自体はコミックマーケットからも単独ジャンルとしては消滅し、一方コミケは「艦これ」的「モバマス」的ソーシャルゲーム勢が勢いあるような昨今なれど、この圧倒的な「物語」で勝負していたゼロ年代ADV時代の意義は何らかの形で次の時代に汲みとっていきたい。