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 本日発売の、赤松健先生の『UQ HOLDER!』(ユーキューホルダー)、第3巻の感想です。

 収録話数に関して、「週刊少年マガジン」の雑誌連載時にタイムリーに書いていた感想の再掲載をしつつ、最後に少し追記です。単行本派の方はこの記事から読んで頂けたらと。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

Stage.18「友達だよね?」

 18話にてUQホルダーの弱点が露呈。早いです。様々な物語を早い回転で回す作劇です。

 弱点っていうのは刀太が吸血鬼封じみたいなものでやられた、つまり殺されなくても対応策があるという点もそうなんですが、もっと根本的なのは遠距離かつ複数に同時に火を放たれる&大量の自動傀儡人形の方ね。悠久の身体一つで戦うというのが、劇中の「悠久VS最新」の構図からすると悠久側のカッコ良さだったと思うのですが、身体一つでは複数の火事を同時に消すことはできないし、物量でこられると対応できない。前話の貧民街のお掃除ロボットの話の所で「最新」側の利点に「量産化」がある点を前もって描いておいて、今話で量産の武力(大量の傀儡)の前に「悠久」のメンバーが押されるという流れを作ってるのは上手い。

 で、その流れでサブタイトルに「友達」ワードを持ってきてるんですよね。悠久の身体と言えども刀太一人ではもう今話時点で敗北していたけど、まだ九郎丸がいるという熱い展開。で、今話で九郎丸がしきりに仲間と連絡を取ることを提案してるんですね。これ、だからUQホルダーは「徒党」なのかなと。2013年〜2014年の日本発創作作品って、「一人のスーパーヒーローが何とかしてくれる時代は終わって、問題解決のためのリソースを追加しよう」ってお話が多かったと思うのですが(『ドキドキ!プリキュア』とかね。)、『UQ HOLDER!』もその流れなのかもしれない。これ、助っ人が来るパターンっぽい気が。九郎丸の言う「大規模火災の消化が可能な人材」がいるんじゃないだろうか。一人で解決できないなら、堂々と友達の、仲間の力を借りればいい。適材適所。もう、おそらくはこの流れのために、数話前で改めて一つの領域に固執しない刀太のあり方を描いていただろう点も上手い。例えば、料理、歌、小説、機械、刀太が一番を目指して頑張る必要は必ずしもなく、問題解決のために、必要なタイミングでそれぞれが得意な田舎の友人たちに任せればよい。それも正義の味方の形。そこで、そういった田舎の「友達」達と互角の存在になるための、「友達」としての九郎丸のターン。物語、盛り上がってきております。


Stage.19「やるしかない」

 九郎丸敗北。

 夏凛先輩から告げられたキーワード、「芯がない」は、バックボーンがない、背景の歴史がない、でもあると思いました。剣が好きかどうか問題、剣というのは劇中では神鳴流のことなんですが、おそらく意図して、九郎丸は神鳴流の歴史からは切断された存在として描かれてるのですよね。愛するお母さんお父さんから伝承されたとか、歴史的リソースを継承した上での自分が最新の剣士だとか、そういう文脈、歴史がない。

 二層くらいに深い話で、リアルでの我々も、現在自分が本業として使ってる技術や能力の、バックボーンにある歴史や文脈をちゃんと理解し、伝承して使っているかと言えば、心もとない人が多い。僕の語学業界で言えば、ソシュールも時枝誠記も知らないけど、アルクの教材で勉強して語学講師やってます、的な。あるいは、歴史的文脈を自分なりに咀嚼して自分の言葉で語ったりはできないけれど、「艦これ」はやってます、みたいな。そう、現時点の九郎丸の「剣」はまだアプリ的でファッション的なのだと思うのですよ。「僕にはもう他に何もない。この剣以外に」という述懐が悲壮で、それでも、そういうアプリ的ファッション的能力にでもすがって厳しい現実を戦っていくしかない現代人のリアル世相の悲しさをよく反映してると思う。このシーン本当胸が痛いね。そして、それだけでは本当の強者には勝てない所までちゃんと描いてしまっている。

 二層目は、じゃあ劇中での「歴史」って何かって話で、これは『UQ HOLDER!』プレストーリーである『ネギま!』であったり、『ネギま!』から『UQ HOLDER!』までの間に何が起こったのか、という辺りです。上手いよね、歴史的なバックボーンと接続されてないからまだ弱い刀太や九郎丸と重なるように、劇中の「歴史」を読者にもまだ明かしてない作劇を取ってるんだもんね。刀太だって「ネギの子孫です」と明示的に歴史と繋がれれば(読者的にも)「負ける気しない」境地に行けるし、九郎丸だって、その神鳴流っていう剣は、同じように亜人的な存在としてアイデンティティに苦悩していた刹那って人が、近衛姓の娘に承認してもらって(やっぱり「近衛」から承認を貰えるか、を『ネギま!』と『UQ HOLDER!』で重ねて描いてるのですよね。ドラマチック。)、その人を守るために使っていた技術なんだ、とか。そういう風に歴史と連続している「自分」に至れたなら、無敵になれるのに、と思うのに、劇中ではまだ全然その段階じゃないし、読者にも、本当の意味で『ネギま!』とどういう風に『UQ HOLDER!』が歴史的連続性があるのか、まだ伏せられていると。第1巻巻末のコーナーでも言及されていたけど、ストレートに連続性があるなら、『ネギま!』ラストの軌道エレベータは麻帆良学園にあるはずなのに、『UQ HOLDER!』のアマノミハシラは東京にあったりと、歴史的連続性に関して「?」が付くようにわざとしてるんだよね。そこが繋がれば、劇中のキャラクター的にも、読者的にも「負ける気しない」感じになれるのに、そこをもどかしくしてストーリーのけん引力にしている。

 そんな感じで、歴史的な文脈からも切断され、一族という共同体からも切断され、さらには性的マイノリティーで、という九郎丸だからこそ、刀太との関係を希求している。という所で引き。境遇として絶体絶命だから、互助として新しい共同体を求める、というのは時代性があって良い感じ。今は歴史から切断された者同士(刀太も出生や『ネギま!』との連続性はまだ分からないからね)だとしても、その時点なりに助け合うというのは美しい。

 これ、おそらく劇中で「歴史」に関して知っているであろう雪姫、というかエヴァに助けに来て欲しいんだけど、そう思わせる時点で上手い。読者視点からはいきなり作中の時代に幅効かせている資本の論理で動いてる民間軍事会社に、『ネギま!』からの歴史的連続性が(きっと)ある面々が負けるというのは、やっぱり悔しいので。


Stage.20「鋼鉄の聖女」

 前回、九郎丸の「芯がない」は背景の歴史がないというニュアンスも感じるという話を書いたのですが、それと対応するように、圧倒的に歴史がある側として、夏凛先輩の背景の歴史が部分的に明らかに。「鋼鉄の聖女」イシュト・カリン・オーテ。1492年ですからね。背後に積み重なってる歴史と文脈が違う。芯がある。しかし全裸で発光して戦うの面白いなw。

 敵の影使いも能力はアプリではなくて伝統の魔法使いということだったのですが、「悠久度」の「格」対決みたいになって、夏凛先輩の方が凄かったという感じ。ラストの記憶史上の変態ランク付を語ってみせるのは「格」がある雰囲気があって良い。現在時点でおかしい人、嫌な人、ヤバい人に出会っても、悠久の歴史の中で相対化すると、まだまだたいしたことない、そういう視点はリアルでもあります。

 夏凛先輩が何か凄い存在から受けているのは「呪い」じゃなくて「愛」というのもなんか深くてカッコいい。思うに、「痛み」を残してるのはたぶん愛ゆえなんだよな。「愛」は「悠久」性とは切ってもきれないキーワードです。例えば、悠久に生きられるなら、限定された時間を生きている(やがて死が訪れる)個人に向けられる愛には限度がある。そうなると、愛の永遠性とは、みたいな哲学的、宗教的な話にどうしても入っていってしまう。

 縦軸の物語全体の話からすると、『ネギま!』の頃からのある種の永続する愛の類は、『UQ HOLDER!』にも生きていて、どこかで劇中人物たちがそれに触れるって展開があるのかな、と思っております。自分が現在にだけ分断された孤独な存在じゃないと知った時、いきなり強くなれるものですからね。


Stage.21「刀太復活」

 一族の繋がりから排斥され、神鳴流にも己の本然を見いだせず、性的マイノリティで……と、何かと「歴史」と断絶してしまってる九郎丸が悲しく敗北した所から、いよいよ「歴史」、「悠久」の逆襲のターン。前話の夏凛先輩の背景の「歴史」、「悠久」度の格の違いを見せつける展開から続いて、刀太の背景の「歴史」が描かれるターンでありました。

 つまり、『ネギま!』のネギの血筋であるらしい所の、「闇(マギア)」の属性が刀太に発動(『ネギま!』には、ネギが己の本質が「闇」であると自覚するまでの物語があった)。ともすると断絶した今だけを刹那的・孤独に生きてると絶望してしまいがちな現代人だけど、過去から、例えばお祖父ちゃんから、実は歴史が繋がった上で現在の自分という存在は生きている。この「過去の歴史からリソースが追加されて逆転する」感、熱いな。

 盲目の剣士がマクロな世界観の「歴史」を解説してるパートが入ってるのも、大きい世界の話と、刀太という個人の小さい話がリンクしてる感じで、物語全体が骨太になっている感じ。火星関係の話題がいよいよ出てきました。ネギが追った理想の後の歴史から繋がって、最新の物語に至っている感じ。

 また、「闇」が発動してから灰斗に一撃を加えたのが、第1話と同じ右の中段突きで、ようはこれはネギのオリジナル技「雷華崩拳」を刀太が「歴史」の文脈の中で継いでる的な描写だと思うのですね。第1話にしろ今話にしろ、構図とかも『ネギま!』でネギが使った時(例えばVSラカン戦とか)とかに重ねてる感じですしね。そして、ネギの中国武術系の技術の師匠は古菲なわけで、ますます、僕としては引き続き、ネギと結婚するのは古菲説を推したくなるわけです。ちょうど火星の話が出た今話で崩拳とか、意図した描写に思えちゃいますよね(この説では、古菲と「火星人」を名乗っていた超に血縁関係があるという説なので)。

 この手の、「歴史」が自分の知らない所で力を貸してくれている的な描写は好き。劇外で言えば、それこそ『ネギま!』のようなゼロ年代作品が、あるいはもっと遡って漫画の歴史上の作品が、今に対してもきっと力を貸してくれる、というような話ですしね。

 今は孤独にあえいでいる九郎丸にも、例えば「神鳴流」関係とかで、「歴史」と繋がれる瞬間が訪れるといいのですけどね。

 今話は熱かった。


Stage.22「ないもの同士」

 刀太、「何かわからねーけど腕から力がわいて」くる状態。『ネギま!』のネギの「闇の魔法(マギア・エレベア)」を受け継いでいてそれが発動しているということだと思うのだけど、本人はよく分かってないというのがいい。歴史の文脈の中で、お祖父ちゃんが追加してくれていたリソースに、知らずに助けられている。

 記憶がないので刀太も「ないもの」だというシーンも、背景にネギの追った理想とリンクする軌道エレベータが映っていて良い感じの絵に。「記憶がない」というのは劇中の刀太のことなのは勿論、『UQ HOLDER!』からの読者には『ネギま!』の物語の記憶がない、ともメタに読める。また我々の現実でも、さすがに個人の記憶を失ってる人は少ないけれど、歴史的にどういうことがあって、今の世界・社会があるのか、みたいな話になると、よく分からないで現在を必死に生きてるのが現代人一般だと思う。そういう点で、記憶の継承から断絶しながら生きてる、という点には広く共感できる。だけど、確かに『ネギま!』という作品も物語もあって、「闇の魔法」は刀太に受け継がれているらしいように、現実でも先の時代の歴史・物語(History/Story)があり、そこから何かしらのリソースを無自覚なまま受け取って、現代の人は生きている、とまで感じられた部分。

 その流れで、ラストは灰斗の瞬動VS刀太の瞬動で引き。これは、瞬動術の点では灰斗も刀太も同じだけど、刀太の方に何かしらの要素が追加されて上回る的な展開なのかな。ここ数話の展開上、それは「(本人は無自覚の)歴史のリソース」的なものなのだろうか。もしかして、刀太はネギの「開発力」とかも継いでるのかな。あるいは引き続き「ネギと結婚するのは古菲説」を押してるので、古菲の瞬動術炸裂とかでも熱い。


Stage.23「刀太VS灰斗」

 『ネギま!』から繋がる「力」にまつわる話として、またあまりにも作品の根底に流れているような気がするので、赤松作品の基本的な「力」「能力」に対する世界観にもなってる気がするのだけど、四葉五月の次のようなセリフがありました。


 「誰かを恨んだり逃げたりして手に入れた力でも・・」「それはあなたの立派な力です」(四葉五月/『魔法先生ネギま!』73時間目)


 望んだ形で、最初から自分のドンピシャの才能、本然を見出してそれを高めて力を得る、みたいな、理想的な「力」との関わり方ができるとは限らない。それでも、理想的な流れで身に付けた「力」じゃなくても、生きている過程の中で、どちらかといえば負の動機で身に着けた「力」でも、生かせることがきっとある。

 これはもう『ネギま!』の土台に組み込まれている要素で、明日菜なんかも、望んで世界がどうこうという力を手に入れた訳じゃないんですよね。だけど、最終局面では、その「力」を生かすことを選択する。

 という訳で、刀太、九郎丸と、別に望んで努力して手に入れた的な「力」ではないのだけど、それを生かす、という戦いが描かれた回。

 「闇の魔法(マギア・エレベア)」、「戦闘勘」、そんな力別に望んで身に着けてないし、本人は良く分かってもないのだけど、今守りたいもののために使いたい。

 九郎丸の方も良かった。剣とか別に好きじゃない、それが己の本然ではない、と気づいてしまっているのだけど、前回の「ないもの同士」のくだりがあったこともあり、今は芯も何もないゼロの自分、でもかろうじてある力なのだから、望んで身に着けた訳じゃないのだけど役立てようと、神鳴流宴会芸を使用する。「宴会芸」とか、本当何が役に立つか分からない感が出ていて面白い。望んで身に着けた「力」ではない。なんで俺、好きでもない剣で宴会芸まで身に着けていた。だが、今、人助けに使えるんなら躊躇なく使いたい。

 ラストは、上述の二人とは対照的に、己の道を究める形で「力」を手にしている灰斗に対して、刀太のそれこそ望んで身に着けたわけじゃない「闇」の力が? という引き。

 『ネギま!』の頃からこの「力」に関する赤松先生の描き方は好きだったのだけど、『UQ HOLDER!』で改めてこの2014年に語られても、やはり良かったのでした。


Stage.24「闇の魔法」

 不死狩り、南雲士音の回想という形で、ついにネギ登場。ここ数話、たいへん『ネギま!』との繋がりを意識させられる流れだったので、満を持してという感じで素敵。

 同時に、龍宮、茶々丸、フェイト、クウネル、そして一番左はザジだろうか、第1話の時から、物語冒頭のエヴァと3-Aメンバーたちの別れが描かれているシーンに描かれていないキャラクターたちはまだ劇中で生きていて出てくるのではないか、と書いていたのですが(第1巻の感想)、やはり『ネギま!』3-Aメンバーでも不死者的だった連中を中心に、生きてると思われるキャラクターたちは出てきそう。これ、明日菜も一種の超常存在なので、生きてたりするんじゃなかろうか。

 何かと、断絶が生じるような出来事が起こっても、繋がってるものはある、という雰囲気で熱い。ここ数話の感想で使っていた言葉だと「歴史」ですか。『ネギま!』という作品と『UQ HOLDER!』という作品の断絶の中で繋がっているものがある、というメタ作品論的な話でも熱いし、もちろん劇中で、「闇の魔法」というある種「負」に触れがちな力ではあるけれど、お祖父ちゃんのネギから繋がってるものが刀太にある、というのが、第22話「ないもの同士」(感想)を描いていたからこそ熱い。

 それに、劇外の現実に目を向けて、どうしても僕が東北在住ということもあり、2011年以前と以後の断絶、というものまで作品を通して考えてしまう。一度、創作とか、そういう娯楽的な余剰なものは終わった、と思った。でも、ゼロ年代作品の『ネギま!』と、2014年の『UQ HOLDER!』には繋がってるものがある。まだだ、まだ終わらんよ! 的な。

 本当、第1話と第21話で刀太が見せた中段突きのシーンが、『ネギま!』のネギの「雷華崩拳」のシーンと重なる演出とかがあったのも、この「途切れず繋がってるものがある」演出として効いております。

 そういう「歴史」的繋がり、つまり3人目の「闇の魔法(マギア・エレベア)」など認められない、という南雲と、それを制する夏凛。

 これも、夏凛のキーワードは「愛」というのが描かれた後ですからね。ネギは誰と結婚したのかという話題と繋がることだけど、現在の劇中の情報通り、本当にネギと刀太の間に血縁があるなら、何等かの愛を媒介に刀太は生まれてるってことですからね。

 断絶(と思われた出来事)の後に、新たに生まれるものもあり、それは「歴史」的に過去の愛情と繋がっていたり、するのかもしれない。

 『ガンダムSEED DESTINY』の第6話(感想)とか、『ガンダム』なら『Zガンダム』にアムロ出てくる時とか、満を持して存在をほのめかされていた前作の主人公が描かれる、というのはやっぱり盛り上がりますね。


Stage.25「世界を掴む」

 刀太が足で地球を掴むビジュアルが描かれるシーンは、何かビッグな印象は受けたものの、現時点では何を表現しているのかよくは分からなかった(笑)。

 ただ、前回までがお祖父ちゃんのネギから、作品としては『ネギま!』から繋がってるもの、という話で、今話で描かれていたのが、それとはまた違う刀太の話(作品としては『UQ HOLDER!』)にとって重要なんだ、というのは感じました。

 灰斗と刀太とで、「世界との関わり」のようなものについての思想的な対照が描かれていた一話だと思うのですが、灰斗の方の、「金持ちが貧乏人のケツの毛に火をつけて回ってるようなひでぇ世界さ」という現実世界への諦観、だから他はどうでもよくて置いていく、っていうのは方向性としては『ネギま!』の「完全なる世界(コズモエンテレケイア)」っぽいと思いました。ようは、世界からの逃げ。現実の世界の方は苦しくて汚いので、自己完結の世界へと行ってしまう。

 で、そうじゃないでしょ、というのが刀太の方で、たぶん現実の世界の方は苦しいけれど、ちゃんと関わってそっちを何とかしようよ、という方向なのかなと思いました。それこそ、ネギが「完全なる世界」に閉じこもるのを脱却して、現実世界を宇宙開発という現実的な手法で変えていこうという道を選択したように。

 ネギが宇宙開発、テラフォーミング、やってやるよと現実世界を変える方に歩みだしたのだけど、世界は未だ苦しい、という世界観での物語なのだと思うのですね。

 そういう意味で、お祖父ちゃんのネギから、歴史的なリソースが追加されて逆転できた前話までの「闇の魔法(マギア・エレベア)」は助かった点でありがたかったかもしれないけれど、今話ではそれを抑え込んで、刀太本人の物語に焦点があたるというのはイイなと思いましたよ。お祖父ちゃんありがとう的な視点と、それはそれとして、そこから繋がってはいるのだけれど、俺は俺の物語という視点と、両方あると思ったのです。


Stage.26「夏凛の危機」

 「瞬動術」の話が、「世界との関わり方について」みたいになっている話。

 前回の感想で、前話時点で灰斗が語っていた世界を置いて行って一人になるという部分だけだと、『ネギま!』で言うと「完全なる世界(コズモエンテレケイア)」の自分世界に閉じこもっちゃう意味合いになってしまうのでは、と書いておりました。

 なのだけど、今話にて実はその続きがあって、三つ目の要素として「世界に帰ってくる」があることが判明。「瞬動術」という体術に世界と自分はどうこうという哲学的な話もかかってるのだと思うのですが、これはやっぱり、『ネギま!』の話と絡めるなら「完全なる世界(コズモエンテレケイア)」からはやっぱり帰って来ないといけないよね。現実世界に帰って来ないといけないよね、そこで頑張っていかないとね、という話になりそう。前話の刀太の足で地球を掴むシーンは、やっぱり現実世界と関わって生きる的な描写だったのやも。

 そして、今話ラストで一人月面へと飛ばされる夏凛が、上の話と微妙にリンクしている(世界(地球)を置いて一人になる、など)ので、これも夏凛が地球に帰れるのかどうかという部分で、「世界に帰って来るのかどうか」というような辺りを描きたいのかもしれないと思ったのでした。


Stage.27「刀太VS南雲」

 ずっと作中についてまわっている「悠久VS最新」の構図。

 「最新」側としては「魔法アプリ」とか瓦礫が使っていた「サイボーグ」とか、何かと量産化が可能、金さえあれば手に入る、という点が強調されたものがこれまでも出てきておりました。そして、今話で出てきたのは同じような戦闘スーツに身を包んだ民間軍事の特殊戦部隊。この手の資本の論理で動く「最新」の量産化パワーと古き「悠久」の強者の対立というのは、以前も比喩としての例で出したけど、リアルの「Amazon電子書籍勢力VS古き紙とペンで描くベテランコンテンツメイカー」、みたいなものだと考えると分かりやすい。物量があり、複製力・波及力があり、金もあるのはAmazon側、一方で、歴史があり、現在も謎のコンテンツパワーを持ってるのがベテラン作家側。

 で、今話とか、「最新」側が「悠久」能力の「闇の魔法」を持ってる刀太を捉えに行ってますからね。これも、Amazon電子書籍勢力が、ベテラン作家を囲い込んで利用したいと目論んでると連想すれば分かりやすい(え)。

 一般的に、競争原理や資本の論理を押していくと、共同体は壊れる方に力が働くと言われます(例:大金を狙って競争を勝ち抜こうと上京すれば、地元の地縁共同体や家族共同体は壊れていく)。ネギが、二つの世界を救うために宇宙開発をやろうとしたわけだけど、宇宙開発やるなら、資本の論理や競争原理を押していく必要があったと推察するのですよね。これは現実でも、大規模技術開発って、そっちの力を使わないとできないので。

 で、その結果、物語冒頭の『ネギま!』の「3-A」共同体が壊れていく物悲しさのように、色々と、理想の対価として共同体を壊していってしまったのだとしたら切ない。もう、そういう「もののあわれ」も描いてる作品だと思う。

 南雲はちょっと距離を取って飄々としてる感じだけど、「最新」側はビジネスライクなんですよね。お金が拡大されればOK。共同体が壊れる? 何それ? みたいな。その辺りが、「愛」がキーワードの夏凛とか、性別の関係などで自身のアイデンティティに悩んでる九郎丸とかの「悠久」側とちょっと違う。魔法アプリ拡大生産的、サイボーグ化して波及していく的、民間軍事会社で資本の拡大を志向する的、そういう「最新」の動力の中では、夏凛の話とか九郎丸の話とかは、一笑にふされてしまう。

 だから、そういう「最新」の動力の中では排斥される側の不死者達がマイノリティ共同体を作ってる、というのが『UQ HOLDER!』の面白い所だと思うのだけど、加えて今話がそういう「最新」の動力の強大さを感じさせる話だっただけに、扉絵がナギ、ネギ、刀太、なのは良い。共同体、というか「血縁」だよな。いかに「最新」の資本の動力が全てビジネスライクな世界に変えてしまおうと猛威をふるっても、途切れない大事なものもあるはずなわけで。


Stage.28「ナンバーズ、来る!」

 作中についてまわっている「悠久VS最新」の構図、前回が「最新」の猛威というターンだったので(民間軍事の特殊戦部隊の猛攻の所ね)、今回「UQホルダー」のナンバーズ到着で「悠久」サイドの逆襲が開始。

 しばらく、「闇の魔法(マギア・エレベア)」関係で、ネギと刀太の縁が強調される展開だったのが効いてます。前回の扉絵がナギ、ネギ、刀太だったのも効いてる。雪姫、というかエヴァはナギとネギの縁者ですからね。いかに「最新」側の資本の論理が紐帯とか共同体とか壊す方に働いても、途切れない縁もある。エヴァとかナギのおっかけだったわけですからね。作品をまたいだ縁を頼りに助けに来てくれるの嬉しい。まほら武道会の時のエヴァとナギの一瞬の邂逅の時とか、思い出す。

 (おそらくは)九郎丸が助け呼んだのが届いたんだけど、どこにも居場所がないとか言ってた九郎丸が仲間に助けを求め、本当に助けに来てくれるという展開も良い。謎のマイノリティー共同体が「UQホルダー」。「縁」とか、資本の拡大だ競争だ量産化だという世界では一笑にふされがちなんだけど、律儀に守ってる徒党もいる、という絵が綺麗。

第3巻単行本感想追記

 前作『魔法先生ネギま!』とのリンクが徐々に明らかになって「歴史」を描き始めている部分だと思いました。

 歴史と断絶されてる(かのように見える)刀太と九郎丸が、「最新」の論理の前に一旦なすすべなく一度敗れてから、「闇の魔法」というお祖父ちゃんのネギの力、その自分の存在以前の時代を生きてきた仲間(エヴァとかね)の助力など、「歴史」と接続して逆転する構成は見事。

 ちょうど『ラブひな』の文庫版の刊行が始まってますけど、メタには前作、前々作とか、もっといって先人とか、漫画の歴史とかも想像してしまうような部分なのですよね。『ラブひな』とかに萌えてた人たちも今ではもう社会の中核になってるような年齢なわけで、今の世代に歴史的なリソースを送れているのか。逆に、若い人の立場からしたら、いかにインスタントなエンタメ隆盛の昨今とはいえ、過去の漫画とか、それを作ったり守ったりするために頑張ってきた色々な「何か」からとか、リソースから助力を受け取って今を戦っていけているのか。

 単に「不死身」だから勝てたのではなく、上記の意味で、本当の意味で歴史とかと続いてる「悠久」だから勝つんだ、ともっていってるのはさすがだと思って読んでいたのでした。





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