まずは丁稚さんのこの文章を読んでみてほしいのです。↓
●「内」と「外」 ~『ハナヤマタ』と『けいおん!』、演出の視点について/ねざめ堂織物店
シリーズ構成が『けいおん!』の吉田玲子さんだから、『ハナヤマタ』は何かしら『けいおん!』を本歌にした日常アニメのネクストフェーズを描いてるのだろうとは言っていたものの、演出面などから、もう『けいおん!』単体にとどまらず、京都アニメーション文脈を踏まえた上での2014年の今、発信する物語であり映像だというような話にもなりそうです。
この流れの原点は丁稚さんもあげてるゼロ年代の金字塔にして世界に波及しまくったアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭のシーンで、灰色の世界を生きていたキョンが、ハルヒと出会った瞬間に世界に色が付く、という演出ですね。村上隆がどんな凄いモチベーションで京都アニメーションは作品作ってるのかなと語っていたことがありましたが、あの切り取った瞬間の「Vivid性の復活」をどうにか提供したくて、ずっと作品作ってるのかなとも感じます。
その「Vivid性(躍動的な輝き)」が、『けいおん!』だったら合宿の日の花火の風景に見出した「今の輝き」だったり、『氷菓』だったら灰色の奉太郎と薔薇色の千反田さんの物語だったり、『中二病でも恋がしたい!』だったら内面で輝いている中二世界の終焉と継続の問題だったり、とにかく、全作品何かしら共通で、この「Vivid性」の題材を扱っています。僕も各作品の感想では毎回書いてきましたが、一度まとめてもみたいところ。
で、一方で芳文社原作のアニメで、『きんいろモザイク』とか『ご注文はうさぎですか?』とか、とにかく「輝いてる素敵な今」を描くというアニメの流れもあって(実際は各作品個別のテーマもあるのだけど、今ははしょります)、ちょうど、この京都アニメーションと芳文社原作系列と、「輝いた日常」を描く文脈が交差して、『ハナヤマタ』になって出現してるなと。
ゼロ年代ですら虚無感がつのって我々の主観ショットは灰色だったのに、2014年の今どうかというとおそらくは悪化していて、震災はあったし、高齢者(65歳以上)の割合は既に25%(4人に1人)で介護・医療現場を全力で圧迫していて、2020年にはさらに団塊の世代超高齢者化の波がきて大破綻、救急車呼んでも病院は老人でいっぱいで入れなくなるだろうとか言われていて、灰色っていうかもう危機水準なわけです。日常の輝きっていうか、メインキャラクターに4人に1人は高齢者入れないと不自然だろと(苦笑)。学校時代の輝いた時間というか、高校に進学させられるまでリソース持ってる家庭が少ないし、そもそも子供を作れる経済的余裕ある若い世代が少ないだろと。
そういう状況でもなお、「輝いた日常」を描く、それでも世界はVividなはずだ、ということを描く。アニメーション作品はそういうフェーズにきてるんだろうなと。
その一つの斬り返しが、「それでも内面世界は輝き得る」ということなのかなと思っていて、これはまあ哲学の世界でいう「イデア」ですよね。現実は苦しいけど、内面世界とか、内面世界から生み出された理想的な架空世界とかは、美しく、輝いているようでありたいと。
それだけだとあまりに絶望的なので、ようは京都アニメーション文脈と芳文社原作系日常アニメが辿り着いた2014年の場所は、「苦しい現実と輝いたイデアの架空との縫合」なのではないかなと。丁稚さんも書いてるけど、『ハナヤマタ』、それでもなるの主観映像では、世界に輝きが残ってるっていう出だしなんだと。その輝きはイデアで、現実は苦しいんだけど、その二つを縫合する。それにあたって、輝いたイデアの方を落とすんじゃなくて、イデアは輝いたまま、現実の自分の方をそっちに向かって進んでいく方の手順で縫合を試みる方にいったのかなと。踏切の向こうに渡っていく意志を、力をちゃんと描く物語ってことですね。現実苦しいでしょ、もうダメだよ(ドヤ)、逃げようよ、とかじゃなくて、私にはまだ輝いたものが見えている。そこに向かってみせるよと。灯台の明りが灯ってないとどこにも進めないので、この方向は正しいと思います。
イデアと現実の話では最近大ハマりしてる『ソードアート・オンライン(SAO)(公式サイト)』もこれだと思っていて、『SAO2』のオープニングの、デス・ガンが銃弾で現実と仮想の壁をぶち壊す始まりも「凄いことをこともなげに表現してるな」と思ったものですが、この作品も情報量は現実の方が多いから、Vivid性は現実世界の方があるはずだ、と理屈の面からは語っておきながら、キリトとアスナの愛は仮想世界の方で形成されたものなのですよね。これも、単純に現実でも仮想世界でも、ホンモノだ、という話ではなくて、そういう仮想的イデア的なものと、現実との縫合を描いているのかなと。日常アニメの文脈よりもラディカルで、技術革新のブレイクスルーが訪れれば、仮想存在のユイは、現実世界でも当たり前のように出てこれるようになる、とかの話まで出てくる(オントロジー!)。イデアと現実、どっちが本当なの、優位なの、みたいな話は哲学の世界での千年単位クラスの命題ですが、なんか2014年、アニメで凄いこと起こってるよな(そしてアニメは現実を反映しているし、現実はアニメのような架空の理想を反映していく側面がある)と。
珍しく今季は沢山始まったアニメを観てるのですが、この記事であげた作品だけじゃなくて、どの作品も何かしら、この手の困難な現実にあたって、イデアと現実を縫合していくことが、何か「次」の突破口を開くんじゃないか、という予感に満ちています。『ガンダムビルドファイターズ(これは今季ではないけど)』とか『ヤマノススメ』とかの趣味系作品だって、内面の充実から突破を探ってる感じですしね。
現実の方の困難が待ったなしなので、一線の作品は現在全作品デンドロビウム化して、全弾装填してる印象です。困難な時代ほど、創作作品は輝くっていうの本当なんだなと。全弾発射して、何とか道を切り開いてほしいですよ、本当。
とりあえずは、輸出して外貨を稼ごう。通貨概念自体が変わる途中にある雰囲気なので、そうなるともうヴァリュー(価値)を提供したもん勝ちです。『美少女戦士セーラームーンCrystal(公式サイト)』の海外反応がFacebookとかでチェックしてると凄いのですが(みんな英語やろう!)、現在弾丸装填中であろう、秋アニメがまた『Fate/stay night』とか、富野由悠季御大の新作ガンダム『ガンダム Gのレコンギスタ』とか、海外向けにまた過ごそうです。全弾命中させてほしい。末端のブログながら、架け橋と縫合の一旦になるくらいは、助力したいな、などと思っていたりします。
→『けいおん!』の感想
→『氷菓』の感想
→『中二病でも恋がしたい!』の感想
→『ガンダムビルドファイターズ!』の感想