ネタバレ注意です。
トラウマで踊りを失敗して消沈するなるに、(主に)ヤヤと多美が手を差し伸べる。ヤヤと多美がそれぞれヤヤ回、多美回で、苦しい時になるに一緒にいるから、と言って貰えた人たち。その時のなるの気持ちが返ってくる。
一方で、冒頭のなる視点では「輝いて」見える「踏切の向こう側」の人達が、実際はそれぞれ苦しんでいて、その救済が少しずつ進んでいくという本作の物語構造シリーズ、今回は真智編。
今回はなるよりも多美が役割を担っていた感じ。上記の苦しい時に一緒にいてくれたから、あなたが苦しい時は私が一緒にいるよ構造とも重なるのですが、多美が苦しんでた時に、一緒に泣いたり笑ったりしてくれる人が近くにいるのは素敵だと言ってくれた真智に対して、今度は真智が苦しい時に、しつこく多美が一緒にいようとする。作品序盤のなるとハナの会話の、一人で頑張り続けられるほど強くないという対話のごとく、良い意味で心が弱い人間なりの紐帯(繋がり)を是として描いている作品。
そして、これまで書いてきたように、その繋がりが、共同体としては「多重所属」になるというのが描かれていると感じる作品。「よさこい」に象徴させてる「自由」が一つのキーワードなのですが、今回の真智とサリーちゃん先生姉妹のお話は、自由と自分勝手って、どうバランス取ればいいの? という辺りまで少し踏み込んでいて面白い。ハナヤマタという作品題の通り、数多(アマタ)のそれぞれの本質的な色を花咲かせる世界の美しさを目指す作品として、自分の本質的な色を抑圧していたものからは「自由」になっていかないといけない。なのだけど一方で、医者のための勉強とかやりたいことじゃなかった、自分のやりたいことのために出ていきます、家族共同体崩壊させます、という昔のサリーちゃん先生も、それはそれで新自由主義的過ぎる。
だから、「自由」を目指すステップの前段階として家族(姉妹)の和解というステップが入ってるのだと思うのですが、ようは自由も自分の色も求道するけど、家族の紐帯も切らないよ、というバランスを取ってる話。
オープニング映像の、それぞれのもう一つの側面であるギター(ヤヤの崩壊した以前の共同体の象徴)とか習字(多美の家の習い事関係の象徴)とか、よさこい部の部室に持ち込みつつ、よさこいで自由に踊るよ! っていう流れが良いと思うのですが、よさこいで「自由」の元、それぞれの花は咲かせるの目指すのだけど、一方で、みんなよさこい部の他の共同体のレイヤーにも所属してる、というのは、それも大切な要素として描いてる感じで、これは智慧だと感じます。作中のみんな、よさこいはやりたいこととしてやるのだけど、なるも家の居合関係とか、ヤヤも家のお店関係とか、多美も家のこと関係とか、真智も家族(沙里)とか生徒会とか、そっちを捨てる、というニュアンスは感じない作風なのね。多重所属しながら、好きなことも追おうよ、そういう世界もイケるんじゃないの? というような。ハナだけまだ背景が伏せられてると感じるので、そこは終盤の物語で描かれるのかな。
最終回は場所の制約の問題を超え、共同体の問題を超え、己の本質を抑圧してくる世のシステムの問題を超え、一時の奇跡のハナヤマタの共同体として自由を体現するよさこいを踊るというのが描かれそう。共同体はいずれ壊れるでしょ問題を内包して描いていた『けいおん!(!!)』のアフターの回答(というより返歌)みたいな感じもするので、最終回すごい楽しみ。
また余談として、『Wake Up, Girls!』仙台公演(ライブレポはこちら)でハナ役の田中美海さんとヤヤ役の奥野香耶さん生で観てきました。超絶に可愛かった!
→前回:『ハナヤマタ』第8話「ミッション・イベント」の感想へ
→次回:『ハナヤマタ』第10話「オンセン・ガッシュク」の感想へ
→コラム:「Vivid性を取り戻すために2014年型作品全弾装填」へ
→『Wake Up, Girls!』の感想へ
→『けいおん!(!!)』の感想へ