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 アニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(公式サイト)』第4話「ひとりぼっちの反逆」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 アンジュが自分以外の生命、まずはドラゴンを殺しても生きるという方にいった前回。番組開始前のPVのフレーズからあった「殺して生きる」の世界観にまずは突入といった感じで。

 今回も、アンジュへのイジメの描写がちょっとコメディ調だったりもするのだけど、基本的にアルゼナル内での「生きる」ということは一応貨幣経済で成り立ってる描写があって、そのお金はドラゴンを殺した対価という形になってるのですよね。つまりその仕組みからして、アルゼナル内のノーマたちはドラゴンという他の生命を殺して生きられるようになっている。ゲットした、あるいは所持したお金の量を比べあってるシーン。突き詰めると現実の資本主義+新自由主義もお金が集まるということはどこかで誰かが奪われてるという構造がありますが(実際はもっと複雑だけど)、もっとダイレクトに、ドラゴンを殺せば殺した分だけお金が増えてより生きられる仕組みな感じなのですよね。

 こういう、現在描かれてる枠組みでの仕組みが、世界全体にリンクしていくとすると、第1話時点でアンジュが観ていた「完璧な世界」の原動力たるマナも、何かの対価で成り立ってるとかなのかな。

 もう、殺し殺されで、殺した方がより得るという世界観なので、殺伐としてる。ヒルダが金(前述のようにドラゴンの生命の対価)で死んだゾーラ隊長の部屋や女やらを手に入れるというのも、非常に弱肉強食的だし、リベルタスとかきな臭いキーワードも出てきたけど、その仕組み、力学、世界観で押し進めていくなら、生存競争としての殺し合い、大きくは戦争にいきつくしかない。

 そんな殺伐とした中、エルシャ姉さんとヴィヴィアンが癒しであった。ヴィヴィアンクイズは、今後の暗示になってるっぽいですかね。サリアは異性愛者っぽいとか、アンジュ、ヒルダ、ヴィヴィアンはフォーメーションが可能とか、色々仕込まれてる感じが。

 アンジュは、お姫様的な高貴な魂というか、最早かたくなにお前らと私は違うというロック魂と思春期の自意識が大きい故に自分というものを物語化して他人との差別化をはかろうみたいな幼い魂があるだけみたいな印象なんですが、それはそれとして、良いものは良いと認める心は持ってそう。エルシャの料理のクオリティが高いことに一瞬表情を変える所とかは良かった。

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2014-10-29


→前回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第3話「ヴィルキス覚醒」の感想へ
→次回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第5話「アンジュ、喪失」の感想へ
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【関連リンク】

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