『月刊少年マガジン』で連載中の川原正敏先生の「修羅の門第弐門」第47話の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 劇中の九十九空白の二年間、劇外では連載休止中の長い時間、その間に「色々なことが変わってしまった」感を漂わせながら始まった『修羅の門第弐門』という作品。その期間に地位を確立した総合格闘技隆盛の前では陸奥圓明流的な謎の武術体系なんて丸裸なのかもしれないし、そもそも九十九は負けてしまっているかもしれない……。そんなかつてあった(読者にとっても)「大切な事柄」が不安定な雰囲気から始まった本「第弐門」という作品。

 数話前の四神の白虎公開&九十九はケンシン・マエダに勝っていた→「陸奥圓明流千年の歴史に敗北の二字はない」の流れも鳥肌ものだったのですが、今話は四神の青龍公開に加えて、九十九と舞子との関係にも焦点があたっていてなお良かった。

 舞子は「九十九を待ち続けていた」ポジション的に読者とも重なる感じですしね。まさか第壱門のタイムリー読者だった中学生時代に色々妄想していた「白虎」「青龍」が、生きてる間に拝める時が来るとは。ずっとおあずけになってた九十九と舞子の関係も、暗器をレフェリーに伝えない舞子に、千年の歴史と自身のアイデンティティがかかってる戦いの最中でも舞子を庇う九十九で、第壱門の頃よりも「先」が描かれておりました。まさか、九十九と舞子の話の続きが生きてる間に読めるとは。

 ルゥ・ジァ側やあるいは九十九の出生に関しても寝取り寝取られな感じで殺伐とした背景がある分、ずっと待っていた舞子の姿は何か(休載期間中含む)長い時間を超えても、「大切なもの」は断絶していなかった、というのが感じられて良い。

 陸奥九十九の不敗神話と、九十九と舞子の関係、そして作品のコアを伴った『修羅の門』という作品そのもの、ラストの舞子の「おかえりなさい」はそういう全部がこもってる万感のコマでありました。もともと連綿と続く歴史ということがキーの作品でもあるので、様々な断絶的な出来事が起こったここ十数年でも、途切れない大切なものがあった、だからおかえりなさい、みたいなこの締めは凄いグっときましたよ。ここ十数年の個人的な色々な体験なども思い出してしみじみしちゃったりして、感無量。

 あと最近僕は感想書いてなかったのですが、与力さんが毎号感想書いてるので、そっちを読んでおくとよいですよ。

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