ネタバレ注意です。
第4話から今回の第6話までの3話は『けいおん!(!!)』のシリーズ構成でもあった吉田玲子さん脚本回。
『けいおん!(!!)』ラスト(学生時間の終わり)では離れていてもずっと一緒だとは言ってみたものの、厳しい大人時代の社会人編。世界は、「人と人とをバラバラに分断していく力学」で進んでいて。
2Dの遠藤さんと3Dの下柳さんはゼロサムゲーム的に仕事を取り合う関係で、バラバラになるしかないのかもしれないし。そして、その関係は、学生時代は『けいおん!(!!)』的「輝いた五人組」を形成していた中にいた、絵麻と美沙も、2Dと3Dで競争する中バラバラになっていくんじゃとも重なる感じで。あおい、絵麻、しずか、美沙、みどりは、結局社会人編ではバラバラになるしかないのかもしれないし、社会全体も競争(過剰供給で淘汰し合うアニメ。2Dか3Dか)とか引き抜き(落合さんのパート)とか格差(それぞれの住まいの描写など)とか、バラバラに分断する力学ばかりで。
という所で、アニメーション作品が媒介となって、その分断に架け橋を作るのは可能なのではないか、というような第六話。遠藤さん、下柳さん、太郎、あおいと、そのままではバラバラであるはずの四人が、『イデポン』を媒介に共有体験を形成しているイデポン展の一連のシーンは大変感動的。立場上対立していたはずの遠藤さんと下柳さんが「違うっ」って『イデポン』に対してはハモって太郎に突っ込むんですよ。立場も違うし、脳内の理想とするイメージ(例えば爆発シーンに関して)も違うのだろうけれど、『イデポン』という過去のアニメ―ション作品を媒介にして、そんな二人がハモる(同じ想いになる)。そういう同じ気持ちになった体験は、見解の相違を埋めていくきっかけになりやすかったりで。遠藤さんと下柳さんにおける『イデポン』、あるいは五人組における『神仏混淆七福陣』のように、過去に強く共有できる作品が存在している、というのは、紐帯のキーのようなものだったりで。それは考えてみると中々に奇跡的なことで。
そんな過去作品を媒介にした共有体験が描かれ、その後は秋葉原で、現在進行で制作中の『えくそだすっ!』のプロモーションをこの四人で観る、というのも、今度は俺達・私達が次の誰かのための共有体験を作り出すんだ、という感じで好き。全体的に、過去から現在、次の世代への伝承要素も入ってる作品なのですね(しずかと講師の先生のパートなんかもそうだ。)。
そして、この三話では象徴的には2Dの遠藤さんと3Dの下柳さんだけど、こういう分断された人々を繋ぐという、あおいの特性が明らかになってきた回。言われてみると、とにかく車でやら、移動するシーンがあおいには多いです。瀬川さんとかも住まいは安いアパートという感じだし(ローンで高級な感じのマンションに住んでる遠藤さんとの対照になってる)、色んな部署・専門分野の人達それぞれに見解があるし……という、社会的分断の中を、接合するために駆ける人、というポジション。これは、一種のヒーローです。「制作進行」はヒーロー。新しい!
こういう、あおいが大人社会の中を駆けて分断の架け橋になっていく様が、ある種の学生時代なりの幼い理想である、「五人の再合流」を、少し大人世界なりに形は変わるかもしれないけれど、それは可能なんだ、という所に繋がっていく感じで。
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→前回:コラム:「人それぞれ」になってしまった脳内映像を「みんな」で共有できる『白箱』という形に封じ込めること〜『SHIROBAKO』第5話まで
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