ネタバレ注意です。
終盤の「人類補完計画」突入かという展開の辺り。人と人とを分かつ心の壁(ATフィールド)を取り払っちゃって、みんなが一つに溶け合ってる生命のスープみたいな世界に行っちゃいそうになった所を、シンジ君の選択で再び自分がいて他人がいて、傷つけられたり傷つけたりするかもしれないけれど、生きる覚悟を持ってそういう世界に戻ってくるよ……という辺りが旧劇場版よりも分かりやすくなっていた感じでした。
(エヴァは)「曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話」(新劇場版「序」のチラシに載っていた庵野秀明監督の言より)
を、素でやってくれた感じで。
旧劇場版だと、そうやって再び自分がいて他人がいての世界に戻ってきた(というか再構築した感じでしょうか)ものの、シンジ君とアスカしかいない世界だった(おそらく深層でシンジ君はそういう世界しか望めなかったのだと解釈しております。)。首をしめて自分と他人という境界を確認してるシーンで終劇……みたいな感じだったのを、今回のコミックス版ラストでは、戻ってきた、再構築された後の世界を、LAST STAGE「旅立ち」で描かれる「雪」降る街の世界で、もうちょっとストレートに希望的に締めくくっていた感じ。
要素としてはSF的に世界のループというか、もうちょっと宗教的な方向に持っていくなら輪廻みたいなのを扱ってる作品でもある感じで。他人への恐怖という課題がずっと付いて回ってる作品でもあったと思うのですが、そんな他人、象徴的にはLAST STAGE「旅立ち」の中で描かれるアスカが、輪廻前の世界ではシンジ君の愛する人であったりするかもね、という解法なのですね。そういう、今の世界にいる他者であるとか、他の生命であるとか、そういう存在とはある種、前の世界での縁で関係しているのかもしれない。だとしたら、恐怖の対象というよりは、丁寧に接する対象だと。
この手の世界のループネタは古くは古典SFからありますが、『エヴァ』後にむしろエヴァ要素に影響されながら、ゼロ年代〜最近にもう発表されてる作品としては、個人的に『AIR』と『輪るピングドラム』のラストシーン辺りをピックアップしてあげたいです。
●『AIR』ラストシーンネタバレ
「物語中盤で観鈴と往人が何気なく眺めていた少年少女が、前の世界の二人の生まれ変わり。また、物語序盤で観鈴に懐いた鴉が実は往人の生まれ変わりなど、『世界で触れる何気ない他者が、実は深い縁者でもあるかも』的作品。これは、同麻枝准氏シナリオの2010年のアニメ『Angel Beats!』でもラストシーンではほぼこれを表現している」
●『輪るピングドラム』ラストシーンネタバレ
「「運命の乗り換え」後、陽毬が何気なくすれ違った二人の少年は、乗り換え前の世であれだけ縁があった冠葉と晶馬だった、というラスト。「こどもブロイラー」的な人間の消耗品化を否定して、何気ない他者が、かけがえのない存在なのかもしれない……的に幕を閉じる作品」
そんなことに想いも馳せたりすると、LAST STAGE「旅立ち」は、ATフィールドがあって自分と他人が別たれている世界では、繋いだとしてもいつか離れてしまうという「手」を、再び再構築された世界で、それでもシンジ君とアスカは繋いだ。それは、あるいは前の世界の縁のようなもの……というシーンなのかなと。LAST STAGEのアスカが、『AIR』における「往人の生まれ変わりの鴉」だったり、『輪るピングドラム』における「転生した冠葉と晶馬」だったりなポジションという描き方なのだろうと。
ループ、輪廻をわりとポジティブに扱ってる今回の貞本義行コミックス版ラストに対して、映画の新劇場版は今の所『Q』でループとかはできないんだよ、という所で区切りがついていて対照的なのは面白い所。ただ、四作目のタイトルが「3.0+1.0」と発表され直したし、新劇場版も何らかの形でループや輪廻を盛り込んだ物語に進んでいくのですかね。
●EXTRA STAGE「夏色のエデン」
新劇場版の方で、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』から登場している真希波・マリ・イラストリアスの正体が明らかにされる、という、そんな重要要素をコミックス版の追加読み切りでやっちゃうんだ! という一話。
なるほどー、そういう素性の人だったのなら、『破』でシンジ君に対してああいう風に立ち回ってるのも納得だなー。
「そうやっていじけていたって、なんにも楽しいことないよ。」
『破』の彼女のこの台詞に至る文脈が、ストンと腑に落ちます。
→プレミアム限定版
→Kindle電子書籍版
→前巻:コミックス版『新世紀エヴァンゲリオン』第13巻の感想へ
→映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の感想へ
→映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の感想へ
→『輪るピングドラム』最終回の感想へ