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ネタバレ注意です。
引き続きシルヴィアさんが良かった。アンジュに鞭打つの、全部自分に返ってくるかのような感じが。本当に苦しいのは足が動かなくなってしまったこととか、父母が死んでしまったことなんだけど、そういう痛みのはけ口に「全てノーマが悪い」が用意されてるので、乗ってしまうのですよね。そういう、「万能のマナのおかげで世界はカンペキ、悪いのは全てノーマ」というプロモーションというか共同幻想というか、そういうものが家族の繋がりなんかよりも強いものとして存在して、みんな疑念を抱かない世界。アンジュの捨て台詞を食らった後の表情なんかも最高で、今後、共同幻想にハックされてるし、そこに逃げ込んでもいるようなシルヴィアさんの内面に波紋として残留しそう。
で、次回以降、そういうプロモーションというか共同幻想というか、そういうものを作ってる側が出てくると思うのだけど、とりあえず現時点で「万能のマナのおかげで世界はカンペキ、悪いのは全てノーマ」というルールになってる世界を、ブっ壊すかっていう方にアンジュは行って、ヒルダも共鳴と。
アンジュとヒルダの関係は面白い。前回書いたように、ヒルダの代わりの次の子を作ってヒルダの代わりにしていたヒルダ母の行為は、第1話でアンジュがノーマの子の母に言った「ノーマの子は忘れて次を作れ」を実践していた意味で、ヒルダは疑似第1話のノーマの子だし。また、ヒルダがもっとも欲しかったお母さんからの愛情は、実はアンジュの方は持ってるものでもある。兄も妹も現在の世界のルール(ノーマは排除)の元にアンジュを排斥してるけど、お母さんは世界のルールに逆らってもアンジュを守ろうとしてくれていたわけで。そのお母さんからの愛情は、ヒルダが最も欲しくて手に入らなかったものという構図になっている。世界は腐ってるかもしれないけれど、ヒルダが信じたかったそんな中にもあるかもしれない(例えば親からの愛情のような)真実性のようなものは、実はアンジュが体現してるという構図になっている。そこで、現在世界を覆っている共同幻想よりも一層奥にある真実性を宿しているかのような、劇中歌「永遠語り」をアンジュが歌うという。このシーンでヒルダが眠ってるのは、「子守唄」の比喩で、上記の文脈がある中で、疑似的にヒルダにヒルダが欲した真実性が、アンジュを通して付与されているのだと解釈したい所。
「はらだたしくて」「いらだたしくて」「頭にくる」と、語彙が高貴なので自身の感情を表現しきれないアンジュに、ヒルダが「ムカつく」という言葉を教える下りとイイ(語彙、言葉の共有は人間関係の基本だ)、この二人なんかイイ感じ。これが「クロス」アンジュかってことなのかって感じですが、世界を覆ってるプロモーションっていうか共同幻想を離れて個として自分で考えるようになるって、異なる世界(最近の言い方だとクラスタくらいでもいいし、イデオロギーくらいに言ってもいいかもしれない)を両方行ったり来たりした人、できる人じゃないと中々できないのですよね。そういう意味で、「はらだたしい」と「ムカつく」の両方の語彙の世界を行き来できるようになったアンジュは一つの世界に閉じこもってる状態の人よりはステージアップしている。このドストエフスキー感というか、牢屋の中なんだけど、世界の多くの盲目的にプロモーションの中でしか考えられない人々よりも、アンジュの精神性はどこか自由で、歌として響く、という感じは良い。
そして安定のタスクさんであった。囚われのヒロインを助けに来るヒーローの図なんだけど、ToLoveるチックさやユーモアは忘れない。この人は最終回クラスでも股間に顔うずめるくらいのノリのままでいってほしい。基本はヒロインの方が戦うんだけど、時々助けてくれる。謎が多い。ヒロインと縁があるらしい。ということで、タスクさんはタキシード仮面ポジション説を推していきたい。タキシード仮面も、世相柄、股間に顔をうずめたりしないとやってられなくなってきたんだよ!
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→前回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第9話「裏切りの故郷」の感想へ
→次回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第11話「竜の歌」の感想へ
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