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 アニメ『SHIROBAKO(公式サイトニコニコチャンネル)』第12話「えくそだす・クリスマス」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 落合さんがカナンに行っちゃうし本田さんは辞めちゃうとか、地方の人は家族と離れて上京してくるとか、ずっと一緒だった学生時代とは違って今ではみんなバラバラな場所で活動してるとか、劇中で様々な場所に沈殿して描かれている社会的な「分断」という要素。1クールのラストに焦点が当たったのは世代間の「分断」について。杉江さんは萌え絵とか描けないはずと言われていて、やっぱりそこには「分断」が描かれていたのだけど、それを「分断の繋ぎ人」ポジションとして描かれているであろう宮森あおい制作進行が繋いでみせます。

 で、やっぱり「アニメーション」という共有体験が「分断」を繋ぎ得るっていう描き方だと思うのですね。菅野光明氏経由で動物(今回の百頭の馬)の原画なら杉江さんへという流れだけれど、菅野さん(まあ庵野さん)とあおいが交流が図れたのはアヴァ(まあエヴァ)を媒介にしてだし、杉江さんもただ同僚(つまり会社共同体の縁)というだけで仕事を引き受けたかというと、(引き受けはしたかもしれないけれど)ここまで劇的に「分断が繋がった」感がするのは、やっぱり『山はりねずみアンデスチャッキー』があるからでしょう。去りゆくお年寄りと、いっぱいいっぱいの社会人一年目という社会的「分断」を、『山はりねずみアンデスチャッキー』が繋げてくれる。それは、あおい、絵麻、しずか、美沙、みどりの五人組が現在はバラバラになっていても、『神仏混淆七福陣』という五人の共有体験(のアニメ作品)が五人をまだ繋いでいる……というこれまでの描写の裏打ちでもあるかのように。

 杉江さんの、「仕事をふってくれなければ〜」「自分にもまだやれることが分かって……」のくだりは良いですね。分断を繋ぐ能力としては潜在的に凄いあおいが感謝されてるシーンだし、世代間が繋がるのならば、過去の作品、過去の人は、力を貸してくれる類のものであるというシーンだし、それが過去の作品、過去の人にとっても救いになるというシーンでもある。

 私事ですが、わりと昔から「過去の名作とかが共有体験になって世代間の分断を繋ぎ得る」は個人的にも意識してたりで、例えば、昔のアニメ作品なんかも勿論ですが、わりと時間をみて過去に流行った流行歌とか聴いてみることにしてたりします。カラオケの持ち歌のひとつは沢田研二の「勝手にしやがれ」で、学生時代バイト先におじさん・おばさん(世代的な分断がある人)が多かったので、共通で知ってる曲としてトリガーになって、対話が進んだり助力が受けやすくなったということが実際体験上もあります。

 『SHIROBAKO』ってそういうこともやってる作品だと思って、この作品をきっかけにそれこそ『山はりねずみアンデスチャッキー』の元ネタの『山ねずみロッキーチャック』を観てみる若い人とか出てくればイイんだろうなと。コンテンツの超速消費社会に流されてるだけだと、一緒に超速消費してたごくごく限られたクラスタ内でしか対話できなくて「分断」されてしまう側面があるので、どこかで歴史的な縦軸の楔を打ち込むように、過去の名作とか触れてみるのも大事なんだろうなと。劇中で武蔵野アニメーション内に貼ってあるポスターの作品が古いものばかりなのはそういう意図だろうと。


●参考:『SHIROBAKO』第4〜6話に登場する元ネタ解説/やまなしなひび−Diary SIDE−


 閑話休題。

 そして、「アニメーション」が「分断」を繋ぎ得たなら……という作中の願いが描かれた所で、現在進行で制作中のアニメ、それがまた誰かの分断の架け橋になるかもしれないという意義が加わった上で、『えくそだすっ!』最終回の制作シーンが描かれる。分断が繋がるというシーンでは矢野さんが戻ってきたシーンがウルっときたな。第3話(感想)でせっぱつまったあおいにお菓子くれるシーンのリフレインで、ここも先輩と後輩という小さな「世代間」のリンクを描いているし、家族との分断が意識させられてた矢野さんが戻ってきたことで、家族を切り捨てて仕事にまい進しないと勝ち抜けない社会さふぁっきんな感じに、一抹の救いを描いてるようでもある。矢野さんはこういう時、仕事、というか何か手を動かしてた方が落ち着くのですよね。そして、あおいの方も、第8話(感想)ラストでお姉さんの内面を察していたあおいだから、矢野さんが無理してるのは察しているのだろう。その上で普通の会話をするという。あおいできる子だ……。

 ラスト、分断されていた老原画マンから、親が入院してる状況の矢野さん、もちろん社外の様々なスタッフも含めて、あらゆるそのままでは「分断」された状況の人達をあおいが駆けまわって繋いだ結果として、最終回が完成。

 ラストシーンは、観ている風景さえそれぞれにバラバラになってしまったこの世界で、「白箱」というみんなが理想形として目指した、同じ景色をみんなが観ていた……という所で第1クール終了。その共有した景色の先が「つづく」なのともイイ、完成された第1クール最終回でありました。

●参考:「人それぞれ」になってしまった脳内映像を「みんな」で共有できる『白箱』という形に封じ込めること〜『SHIROBAKO』第5話まで

→動物たち



→1月24日、前日譚コミックス版発売

ミズタマ
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2015-01-24


→前回:『SHIROBAKO』第11話「原画売りの少女」の感想へ
→次回:『SHIROBAKO』第13話「好きな雲って何ですか?」の感想へ
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