ネタバレ注意です。
己の本質がそのままでは世界に悪なすものだとしたらどうするのか、というディズニー版『空の境界』、というのが最初の印象でありました。
エルサor式が閉鎖された場所に閉じこもっていた所から、他者(『アナ雪』ならアナ、『空の境界』なら幹也)との関係性を媒介に外に出てきたりするのも似てます。
ミュージカル要素に目がいきがちですが、ストーリーもけっこう構造的に作っていて、エルサとハンス王子の対照構造が作中にあるのですね。
同じように兄弟・姉妹と断絶している(無視されたりしてる)というシチェーションが重ねられ(だからハンス王子はしつこくアナにエルサは信用できるのか? と聞いている。自分は兄が信用できない境遇だから)、真実の姉妹愛があったアナとエルサと、十二人の兄弟との間には利己心に基づいた競争しかなかったハンス王子とが、結末としては別れる描き方になっている。
で、これ、競争世界の中で家族は別格の拠り所になるか? という話だと思うのですね。そこは、もうアメリカでずっと社会的にも論争になってるテーマです。
もう(特にアメリカでは)何十年も語られ続けてる話でもありますが、この辺りの話は特に近年だとアン・マリー・スローターの論文「女性は仕事と家庭を両立できない」が2012年頃に話題になっておりました。制作時期も考えると、念頭に置いているのかなとも感じます。
日本国内で紹介した「クーリエ・ジャポン」さんの記事はこちら。
ANNE-MARIE SLAUGHTER本人が反響についてまとめてる記事はこちら(英文です)。
とにかく個人としての進歩や自己実現のみを追ってしまうと、共同体、特に家族共同体が崩壊していくというのは近年の根深き苦悩。
前半のエルサは、本当「Let it go」(it=「己の本質的な情念」を解き放って進めみたいな結構強い歌詞です。英語で聴くと)しちゃって、氷の魔法という己の本質を解放して突き進んでいくのですが、その先には氷の城と孤独しか待ってないのですね。
それは、上記の己の本質に忠実に自己実現にだけ努めていたら家族共同体は崩壊して一人になっていたみたいな話で、そういう、抑圧をぶっ壊して己の本質を突き進むと同時に孤独になっちゃう……というアンビバレントを、アナがエルサに逢いに来てくれることで乗り越える物語です。
だから、ストーリー前半の「Let it go」とエンディングで流れる「Let it go」は少し意味合いが違うのですね。前半はエルサ個人の抑圧からの解放、自己実現的行進の方のみにフォーカスがあたってるのに対して、エンディングの方は、「自己実現も家族(やアレンデールという共同体)も両立できる。調和できる」というステージアップした「Let it go」になっていると思います。アン・マリー・スローターの論文に対して、いや、もっと上の境地、行けるから! みたいな作品でしょうか。原題「Frozen」は、エルサの自身の本質が凍らされていたのと、氷が何かと分断の比喩になっていた(クリストフが最初半分凍って現れる。エルサが閉じこもった氷の城。ラストの凍ったアナが真実の愛でもとに戻る……など)ので、他者や共同体との繋がりが凍結させられていた、の二重の意味がありそう。
で、競争社会による分断が背景として前提、己の本質(己の花)に目覚める物語、でも己の花を咲かせながら共同体も壊さないネクストステージの世界を目指す、ちょっと百合、さらに2014年公開……ということで、僕的にはもう、これ『ハナヤマタ(公式サイト)』じゃん!な感じでした。
み、みんな……2014年、社会現象になるまで爆ヒットしたのはディズニー制作の『アナと雪の女王』だけど、同じ年に、日本で作られたものでも同テーマで洗練させきった『ハナヤマタ』という神アニメが放映されておりましてね……。
●参考:アフター『けいおん!(!!)』文脈の結実点〜『ハナヤマタ』第11話「スマイル・イズ・フラワー」感想(ネタバレ注意)
マジで、『ハナヤマタ』の最終回の、各々の花が咲き乱れながら世界中の分断も繋ぐ一夜の夢の共同体『ハナヤマタ』が出現する風景と、『アナと雪の女王』ラストの己の本質(エルサの氷の魔法)も共同体(アナや国の人々との紐帯)も調和させることができたアレンデールの風景って、同質のものだから。むしろ、日本びいきで言えば、国境を越えてハナとハナのお母さんの分断が克服されてるのまで含有させて描いてる点で、『ハナヤマタ』の方が凄いから! 『ハナヤマタ』は、姉妹の紐帯の再合流と己の本質の調和の話は、第9話(感想)まででやっちゃって、残りの話数は「その先」だから!
というわけで、引き合いに出したのが『空の境界』に『ハナヤマタ』だったりと、ディズニーのヒット作と言っても、言ってることは最近の日本発のアニメと同じだなというのが僕の感想でありました。
・というか、似てるから日本で特に大ヒットした。
・最近はアメリカの創作界隈の価値観も日本と重なるようになってきてる。
可能性としては両方考えられますし、実際両方あって、あとは比率の問題かなという気もしますが、心持ち、後者の比率が大きくなってきていて、アメリカ発の映画も一昔前のマッチョなヤツは最近作りづらくなってるのやもとも思いました。
僕がマッチョなアメリカの映画として連想するのは世代的に『インデペンデンス・デイ』なのですが、悪の強敵が襲来して、人類が連合して撃破、正義! オー、アメリカ! みたいなのは、もう一昔前のイメージなのかもしれない。それくらい、『アナと雪の女王』は個人の実存と共同体の物語で、たいへんに最近の日本のアニメ作品っぽかったです。
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