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 アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-(公式サイトニコニコチャンネル)』第12話(最終回)「敵機直上、急降下!」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 分かりやすく描いた結末の他に、視聴者が作中に散りばめられているピースを能動的に組み立てるともう一層奥の意味、いわば「裏エンディング」も見えてくるというタイプの最終回でした。

 日本のアニメーション作品にはその手の手法でラストを描く系譜があるという話は、以前(もう2008年ですが)書いたこちらの記事辺りを参照に。↓


表エンディングと裏エンディングを用意する技法〜コードギアス、ひぐらしのなく頃に〜


 この辺り。最後まで視聴したのに、未だに『ひぐらしのなく頃に(解)』ラストの女性の意味も、『コードギアス反逆のルルーシュ(R2)』ラストのC.C.のシーンの意味も、『境界の彼方』ラストの栗山さんの意味も、よく分からないまま今日に至ってる方も多いのかと思うともどかしいですね。でもだからこその「裏エンディング」ですからね。

 それらの作品に関しては、そっちも以前書いたこちらなどを参考。↓


ルルーシュ生存説・まとめ
境界の彼方/第12話(最終回)感想(少しラストシーンの解説含む)


 さて、アニメ『艦隊これくしょん』。

 『ひぐらしのなく頃に(解)』、KEY作品などの、ゼロ年代のループものADV作品を2015年にやってみたみたいな構造の作品でした。これは、原作ゲームに元々そういう世界観があるから今回のアニメにそう落とし込んだのか、原作ゲームがヒットしたから、アニメ版はそういう物語構造に落とし込んでみようとしてこういう作品になったのかは、原作ゲーム未プレイなので分かりません。

 とにかく、そういう構造があるアニメ作品だったということですね。だいたい、気付く人は第3話の如月轟沈から、第4話(感想)までのセットの話が「繰り返し」がモチーフになっていること。第4話の金剛さんが吹雪を抱きしめて言った台詞がダブルミーングになっていること(表面的にこのループで吹雪の気持ちを分かってるという意味と、前のループなどでも悲劇があったことを分かってるという二重の意味)。そして、その頃にOP「海色」、ED「吹雪」の歌詞と映像に散らばってるもろもろを観て、あ、ループもの作品だと気づいておりました。

 物語構造が、いわゆる「繰り返されるループ世界の中で真実を見つける」的なゼロ年代ADV作品のものになっているだけでなく、演出もめっちゃゼロ年代ループものADV作品を意識しておりましたね。

 最終回の、敵深海棲艦が、「何度でも、何度でも、沈んでいきなさい」と「ループ」を意識させる台詞を発する。→この物語はループ作品だったんだ! と明示された所でオープニングへ……みたいな演出は、もう、ゼロ年代ADV作品の演出ど真ん中でしたね。『CLANNAD』の現実世界と幻想世界が繋がった瞬間にオープニングへ繋がる演出とか。あとは、もともとゼロ年代ループものADV作品の系譜の影響を受けて作られて大ヒットした『魔法少女まどか☆マギカ』も、映画版は、ほむら絡みの真相が明らかになった所で、ここからがループもの作品の真ルート! っていう勢いでもう一度真オープニング(「コネクト」)へ繋がるという流れでしたね(感想)。

 で、アニメ『艦これ』もループ世界で艦娘たちが「さだめのくびき」なる現実の史実を意識される流れを何度も繰り返していて、それを最終回で、「大和が戦えるようになっている」「吹雪が改になっている」「大鳳が投入される」などの今回のループでの特殊要素で、いわば定められたルートをブレイクしてみせる、と。ここまではゼロ年代ループものADV作品ど真ん中の描かれ方をされていたわけです。

 で、ここまでが表エンディングで、裏エンディングが何かっていうと提督と吹雪の関係ですね。

 何で要所要所で吹雪が今回のループでルートブレイクする特異点になってるかというと、これは第10話の感想で書いた通り、夢(紛らわしいのですが、プレイヤー=視聴者的には我々が生きてるこの現実)の世界で提督と吹雪が結婚してるからなんですね。

 つまり、表エンディングで、特異点による繰り返されるループの打破というゼロ年代ADVの定番展開を描いていて、もう一層奥の裏エンディングで、そんな繰り返されるループの中でも消えない「一人を選ぶ」ことの縁という、これまたゼロ年代後半作品で描かれていた題材の奥行を描いているのですね。

 「一人を選ぶ」ことの意義というのは、ゼロ年代作品でよく、沢山の複製された世界の中から一つの世界とコミットして本気で生きるということと、複数の異性ヒロインの中から一人を選ぶということが、「一つの存在にコミットすることで『生』はヴィヴィッドになる」点で重ねられて描かれていたというアレですね。こちらも懐かしの記事を二つ張っておきましょうか。↓


ハーレムギャルゲーの終焉は『ひぐらし』でも描かれている/ひぐらしのなく頃に解/ネタバレ感想ブログ(僕の別ブログの記事)

『ときメモ4』と『生徒会の七光』がゼロ年代最後尾のリリースであることの意味/ピアノ・ファイア(いずみのさんの記事)


 他のゼロ年代作品だと、『涼宮ハルヒの消失(感想)』なんかもですね。複製された世界の中からキョンが一つの世界を選ぶ物語。消失長門、みくるちゃん、古泉などを切り捨てることになっても、キョンが涼宮ハルヒという一人の異性を選ぶ物語。

 こういうゼロ年代作品の流れを踏まえた上で、アニメ『艦これ』では、沢山の艦娘たちとのハーレム環境みたいな中から、提督は既に吹雪一人を選んでいる、というのがコアなネタの作品だったという感じですね。第10話(感想)でワンシーン、現実世界の東京で提督が吹雪と結婚してるのが描かれていて、このシーンで一気にこの作品は良くなりましたね。これがなかったら普通のルートブレイクするループもの作品って感じで。

 このシーンで、物語でなんで吹雪が特異点になってるのかを説明してるだけじゃなくて、「ループを超える縁」がある、というテーマを描いているのですね。で、そっちにまつわる話は、様々な断片の情報から組み立てられた人だけ咀嚼できれば良いと裏エンディング的に扱っているという。

 オープニングにワンカット提督が映ってるシーンが墓標を連想させると当初から思っておりましたが、最終回のラストシーンが、このループ世界内で吹雪が振り返ると提督が……のシーンで終わってるのも、以上のような情報も前提とすると、表面的に何だか提督が返ってきた嬉しいというシーンだけじゃなくて、裏の階層がある。要するに、奥まで読むなら、現世の結婚の縁で、この繰り返されるループ世界でも、提督と吹雪は再会したっていうシーンなんですね。つまり、表面的にはループする世界で「さだめのくびき」を変えることを描いているように見えて、実際はどちらかというと逆で、現実世界だろうがループする世界だろうが、「変わらない」縁がある! っていうことを描いていた作品だったのですね。上の方でゼロ年代ループものADV作品の例で『CLANNAD』をあげましたが、昔書いたこちらの記事なんかも参照して頂けると良いかも。↓


原作「CLANNAD-クラナド-」のネタバレまとめ感想


 繰り返され、複製され、変わり続ける世界の中での、「変わらない」確かなものをあぶりだす。戦艦擬人化ループもので、2015年に改めて『CLANNAD』やってみたみたいな作品でしたね。

 最終回。MI戦で表面的にルートブレイクした後、轟沈した如月の髪飾りを見せることで「まだループが解けてない」ことを見せて(これは続編が決まったからもあると思いますが)、最後の提督と吹雪の再会のシーンで、「でも、儚く虚構的なループ世界でも、変わらずに途切れない確かな縁(現世での結婚)がある」ってもう一度ひっくり返してまとめてるんですね。

 この、輪廻も超える常世の提督と吹雪の夫婦の縁イイなというところも良いのですが、ラストシーンでこの「変わらない縁」を描いてる点が、重層的に劇中の他のキャラクターたちの縁の「確かさ」のサポートにもなるように描いてる点もなお良いですね。

 提督と吹雪の常世の縁がこのループ世界でも確かなものであったように、アニメ劇中のループ世界で一見儚いものに描かれていた、大井さんと北上さん。赤城さんと加賀さん。長門さんと陸奥。辺りの縁も、ループ世界の虚構性を超える確かなホンモノだ! とまとめていた最終回でした。もう、ずっと大井さんと北上さんは(おそらくは意図して)ファッションな百合カップルに描かれていたのに、最終回ではやっぱり常世の縁で、北上さんのピンチに大井さん現れるのですよ。ルートブレイクしようとする「変える」ドラマが進めば進むほど、提督と吹雪の縁に重なるような、大井さんと北上さんの縁、その他の「変わらない」大事な縁が際立つ、という構成は上手かった。途中でなんで吹雪の所属艦隊変えて、大井さんとか加賀さんと一緒にしたのかなと思ったのですが、ラストでこの(史実も意識される)常世の縁の確かさを描くためだったというのは技アリのシリーズ構成だと思いました。大井さんと上北さんの円周攻撃、赤城さんと加賀さんの二人での一矢、長門さんと陸奥の同時砲撃、全部、「この虚構ループ世界でも変わらない常世の縁がある」文脈が付与されているので、熱かったですよ。

 ゲーム版の基本的な世界観はいずみのさんがこちらにまとめてくれていますが、↓


そろそろ艦これのアニメの話よりも「艦これはどういうゲームなのか」を語ってみる/togetter


 これに加えて、ループ世界内の艦娘、史実の戦艦の他に、現実世界(第10話で描かれたような我々の現在の東京)にも戦艦の記憶を持った女の子がいる、というのが明らかになったのは大きいのではないでしょうか。

 アニメ版では、その現実世界の戦艦の記憶を持った女の子の救済、鎮魂のために、ループ世界内で「自己肯定」を模索する構造の物語として料理していたと。『Angel Beats!』方式ですね。(ちなみに、『Angel Beats!』も裏エンディング相当がある作品です:感想

 何しろ裏エンディング方式の描き方だから明示的には語れないですが、色々と想像の幅は広がる終わらせ方です。この描き方だと、現実の東京にも、戦艦の記憶を持った北上さん、大井さん、長門さん他がいるわけですよね。

 アニメ本編も、第8話(感想)の本当は自分の本質として戦いたい大和さん、本当は動物と戯れて平和に過ごしたい長門さんを重ねて描く手法など、「己の本徒の肯定(ができるのか?)」がテーマの作品でした。現実の東京にいる戦艦の記憶を持った女の子たちは、その史実の記憶ゆえに、自己肯定に至れない。……というところまで遠景にあるのだとすれば、そういう、自分で自分の本質を信じられない心情っていうのは、現代人一般的にあるかと思います。

 それを、まさに『Angel Beats!』方式で、繰り返されるループ世界で自己否定の顕現である深海棲艦との戦いを通して、自己肯定、己の生まれた意味を認められるようになるのを目指している物語だと。

 その流れを、(ループ世界内で)自分には何もないという自己否定の意識から始まった吹雪を通して描き続け、最終回では上記の通り、「変わらない常世の縁」で自己肯定される、提督から承認される吹雪のシーンで終わっているという。そして、それはあるいは現実世界で自己否定意識で生きてるのかもしれない大井さんや長門さん他も、己の本徒と自己肯定を求めてこのループ世界を繰り返しているのかもね……という所まで含みを感じ取れたりもする。

 だから、ドロップキックはやり過ぎたけれども(笑)、現実では自己否定もしていたであろう北上さんの所に、常世の縁で大井さんがやっぱり「変わらずに」来るという所は良い。それぞれに現実では自己否定を抱えているであろう赤城さんや長門さん、陸奥さんらが、このループ世界の最終回では同じように変わらない縁によって自己肯定できるところも同じ。

 それこそ、アニメーションを観てる時間のような一時の虚構的、儚いループ世界的な中の出来事なのだとしても、少しだけ至った「自己肯定」は、現実世界の自己否定だらけの自分(視聴者や、劇中では現実世界側にいる提督や吹雪さんら艦娘)に何かをもたらし得るのかもしれない。良い作品でした。

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→参考拙電子書籍



→前回:『艦これ』第11話「MI作戦! 発動!」の感想へ
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