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 アニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(公式サイト)』第24話「明日なき戦い」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 ロザリーとクリスのパート良かったですよ。王女でもない、バトルも強くない、指輪もない、アンジュと比べて何もないのはサリアと同じなのだけど、そんなロザリーでも友達一人くらい助けることができる。過ちを犯してしまったし、周囲も自分たちも傷ついてしまったし、ベロベロに泣いてともすればカッコ悪いのだけど、でも大事な人だと分かってしまったからダイブ。

 第1話の頃のマナの光の共同幻想の元、心の奥ではノーマへの排斥意識とかあるのに表面上は集団を保つために「繋がり」を連呼するエアリアのチームの「気持ち悪さ」から始まって、共同幻想とかなくなっても本当の意味で一緒にいたい、一緒に戦ってくれる人と人との関係性を見つけるまでというストーリーライン。アンジュはタスクとかモモカとかヴィヴィアンとかサラとか、中盤でもう見つかっていたけれど、別に王女で世界がどうこうという話の有資格者であるアンジュじゃなくても、普通の人のロザリーとクリスでも、そんな関係を見つけ出すことはできる。世界が終わりそうな時なのにというクリスの台詞が印象的だったけれど、それは、表面的に無謬の「世界」(第1話時点のマナの世界)を維持することよりも、あるいは先立つくらい大事なことなのかもしれない。

 一方でタスクはエンブリヲとアンジュとヤったヤらない闘争。最終局面でも「三日三晩」と話を盛ってるタスクさんのノリは好き。そこ、三倍(シャア専用!?)にする所じゃないだろ感の面白さと、本当にショックを受けていてアンジュ強奪に走るエンブリヲも面白い。ここも、世界どうこうよりも、女(雌)を巡って男(雄)二人は争い合う「野生」みたいなのが先立つんじゃないの? というパートに感じられました。そういうの全部捨象して表面だけ綺麗に取り繕った世界ってどうなの? というような。

 それを言い出すと、ラストのアレクトラのパートも、心情の根底にあったのはタスクの父との愛憎劇。こっちは、一人の男に女二人ですが、どちらにしろそういう野性的、ともすれば動物的な動機が先にあって、「世界」のためのリベルタスとかはその次だったんじゃないのか、というような。でも、第22話(感想)でアンジュが至った「愚かな世界だとしても守る」というのはこういうことなのですよね。愛憎とか至らない人間とか、殺してやりたいほどの情動とか流れる血とか、それもあるから「生」はヴィヴィッドで、だから守ってみせるさという。

 次回、最終回。それこそ現在の世に溢れる賢くまとまった無敵主人公とか可愛いだけのヒロインとかを置いてきぼりにする勢いで、至らず狂暴で優しくて泣いて笑って怒って「生きて」るアンジュという今作の主人公が、とびきり愚かで、だが生命のパトス迸るような決着を決めてくれそうです。

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→前回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第23話「ゆがむ世界」の感想へ
→次回:『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』第25話(最終回)「時の彼方で」の感想へ
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