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 アニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(公式サイト)』第24話(最終回)「時の彼方で」の感想です。仙台にて地方遅れ視聴中。

 ネタバレ注意です。
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 作品全体のキーの一つに描かれていた「歌」をちゃんと最終回に絡めていた当たりは丁寧だと思いました。僕は第10話(感想)のラストシーンが凄く好きなのですが、そこでは投獄されているという点で支配を受けていたのだけれど、アンジュの精神性は自由だ、という表現で「永遠語り」を歌うシーンが描かれていたと思います。それと重なるように、今回ではエンブリヲに性的に犯されそうという意味で支配を受けてるのだけれど、やはりアンジュの精神性は自由だ、という表現で「永遠語り」を歌い始めるというシーンが描かれていたと思います。

 そして最終回。ずっとこの作品では、僕の感想ではよく「共同幻想」という言葉を使っていましたけれど、「かくあるべし」っていう押し付け(なのだけど我が物顔で世を覆っている)に思考を預けてしまってる段階から、それに抗って自分の意志で思考し、自分の足で立ち、自己の精神の自由へと至る……という流れが何重にも重ねられて描かれていたと思います。その巧妙で押しつけがましい「共同幻想」っていうのは、第1話時点ではアンジュも無謬だと信じてた「万能なマナの世界」とか、アルゼナルの辺りでは「ドラゴンは敵である」というプロモーションだとか、「リベルタス」でさえも中盤ではジルの押し付けとして描かれてる場面もありました。最終回近辺ではシルヴィアさんの「私は立てない」という思い込みも「共同幻想」(それゆえにラストシーンに出てくる世界崩壊後のシルヴィアさんが良いのですが)。そんなこれまでの「共同幻想」に抗ってきた物語の全ての集約として、エンブリヲという「共同幻想」オブ「共同幻想」を敷いて押しつけてくるポジションのキャラがいるので、あとはそいつをブっ倒して自由に至る! というのがこれまでの物語の収斂になるという、シンプルな分爽快な最終回でした。

 タスクさんがサラから日本刀を受け取って殺陣を演じる所が個人的には盛り上がりましたね。先に述べた「歌」要素もだし、タスクが忍者でサラが日本刀持ってたのをここで繋げるのもだし、あとノーマが生まれた意味を支配に対する破壊や反逆の具現とちゃんと最終回で落とす所といい、隅々に散らばっていた要素をちゃんと集約させていた辺りは手練れの仕事だというのを感じました。

 そして、集約される矛先はエンブリヲ打倒なのですが、そういう細かい要素を拾ってくる丁寧さはありつつも、最後はパトス爆発な感じの盛り上げ方なのですね。世界の仕組みがどうこうとか、細かい設定要素とかを回収した帰結としてエンブリヲは倒す。だが、そんなこと以上に、惚れた女を奪われたくないので男としてブっ殺す、女としては生理的に受けつけないからブっ殺す。先立つのはそっちな盛り上げ方。水樹奈々さんボイスでの弾丸罵倒を浴びせてからのアンジュの一殺、サムライ映画、ヤクザ映画のごとく最後は日本刀で一刀両断というタスクのトドメの一撃。それこそ愚かな世界の愚かな人間のごとしなんだけど、第22話(感想)で至ったように愚かな世界と愚かな人間でも守ろうって話だし、良い意味で空気読まないことから生まれる貫通力、共同幻想を破ってでも言いたいこと言うしやりたいことやるよって作品だったと思うので、これで良いのですね。そう描いてきたからノリがある。最終戦のメンバーはアンジュもタスクもサラもヒルダもサリアもある側面では愚かでバカな面々なんだけど、そんな愚かさと紙一重の生命のパトスで支配者をブっとばしてネクストフェーズの世界に抜ける感じが出ていて、人間に籠ってるエネルギーの開放感・爆発感ある最終戦でありました。

 ラストは、そんな一人一人の人間の精神の自由を「国」、特に「独立国」に見立てて、第1話時点のエアリアのチームみたいな共同幻想準拠で繋がりを連呼する気持ち悪い共同体ではなくて、独立国同士が連帯してるような、人間もノーマもドラゴンも古の民もそれぞれが立ってそこにいる国を、アンジュ、建国する宣言。福田監督(今回はクリエイティブプロデューサー)のこのツイートが良いですね。↓


 ヴィルキスの設定などもそうですが(最終回でタスクで起動するのにはちゃんと意味がある)、「遺伝子の本徒」みたいな重厚な話も背後にはあって、それはマナの設定のように支配者に調律された遺伝子の力学に準じてるだけじゃなくて、各々の遺伝子に潜在している本徒(己という存在の本当に向かいたい方向性のようなもの)を抑圧から解放せよ、的な衝動で進んできた物語でもあったと思います。

 それゆえに、一見愚かしく見えようがなんだようが、拒否したい遺伝子(エンブリヲね)は拒否して打倒し、選びたい遺伝子(タスクね)をゲットし、ムカつく共同幻想はブっ壊し(マナの世界だとか、ノーマとかドラゴンとか排斥者を設定しなきゃとか、同性での恋愛とか、本当あらゆる「かくあるべし」的なものブっ壊しましたよね)、大きいものに思考を預けたゆえの依存ではなく、自分の足で立って本当に一緒にいたい仲間もゲット、さらに国まで作るよ! という、支配とか抑圧とか押しつけられた正しさとか全部ブっとばして、遺伝子の生命可能性はとことん開花させてやるよ! みたいなラストのアンジュはひたすらに爽快でありました。

 ともすればエンブリヲのような人も第一話時点のアンジュのような人も現実では実際にいるし、我々の中にもそういう側面はあるのかもしれない。そこは意地悪く突きつけた上で、でもそれを超える可能性のようなものも、完全燃焼で撃ちつけてくれた作品だったと思います。第一話のアンジュと最終回のアンジュとで変化してるということが、何よりの「人間の可能性」の描破だと思ったのでした。

 芦野監督に福田クリエイティブプロデューサーをはじめ、数多の制作陣のみなさん。素晴らしい作品をありがとうございました!

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