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 先月3月17日発売の、赤松健先生(Twitter)の『UQ HOLDER!』(ユーキューホルダー)、コミックス第6巻の感想です。

 収録話数に関して、「週刊少年マガジン」の雑誌連載時にタイムリーに書いていた感想の再掲載をしつつ、最後に少し追記です。単行本派の方はこの記事から読んで頂けたらと。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

Stage.52「襲われた街」

 色んな物語要素を回していく感じで作品を作ってると思われる『UQ HOLDER!』、最近は「ミステリ」だったのが「ホラー」作品な感じに(というかゾンビもの!)。

 小夜子も三太も強者に虐げられて世界から淘汰された側、マイノリティー側の存在だとして、行動には三段階くらいある。


1. 強者に淘汰されて自分が死んで終わり。
2. 強者の中でもクズに絞ってピンポイントで復讐・淘汰し返す。
3. 世界中を巻き込んで復讐・心中。


 今回は小夜子が「3」に突入みたいな感じですが、これはさすがに普通の観念的によくないことだと分かる。関係ない一般の普通の人まで巻き込んで殺すのはおかしい。ただ「2」はけっこう微妙。強いクズが今後も弱者の犠牲を出すようなら、それをピンポイントに排除するのは悪なのか。

 この手の話は『ネギま!』の時でもあって、例の夕映の哲学的な解答とかの話。なのだけど、麻帆良学園祭編の時点では、ネギは人は自分のエゴの元、ある種の「悪」を行うのは避けられないと結論づけてたりします。今エピソードのケースに当てはめるなら、弱者を守るという目的の元、ピンポイントに弱者を殺してしまう強者を排除するという「悪」は避けられない、みたいな感じ。犠牲を出して、他を救う。

 もちろん『ネギま!』はその後に物語が進展して、魔法世界編で人間世界か魔法世界かどちらかが犠牲になってどちらかが生きるというシチェーションで、「宇宙開発」という手段で両方生かすという理想を描く所で終幕しております。

 なのだけど、その流れで、『UQ HOLDER!』はちょっとそこから戻ってるというか、理想のようには現実はいかなかったというか、フェイトもこの前の遭遇時では、大多数を生かすために少数を犠牲にするのはしょうがないみたいな感じになってるのね(世界を救うと言いつつ、刀太の両親は殺してる)。

 小夜子が世界を巻き込んで復讐してやる(「3」)にいっちゃうトリガーを三太の精神的な課題(イジめられて殺された犠牲者意識は根強く、恨みを世界にまで拡大した発言「あいつら…壊してやりたい…ッ」)に起因させてる辺りがまた上手いなーという感じですが、要は同じマイノリティーでも、UQホルダーのメンバーと小夜子はパラメータが逆に入った裏と表で、三太はその中間で揺れてるみたいなポジショニングだと思うのですね。

 世界から排斥されるような立場だったのは同じ。だけど小夜子は世界全部を巻き込んで復讐の方にパラメータが入っちゃって、UQホルダーは世界のマイノリティーに助力する互助活動の方にパラメータが入ってる。

 今話時点だと、九郎丸は大多数の犠牲を抑止するなら原因の排除やむなし(ある種の悪をなす)な立場の雰囲気で、刀太はネギを継いでるごとく、何か別解を模索してる感じ。そこに、マイノリティーの立場でも世界から排斥された小夜子、三太と対照になるように、世界に生かして貰った立場の一空先輩がどんな感じに関わるのかと、そんな感じ。


Stage.53「希望はやって来る」

 三太と他の「UQホルダー」メンバーを対照していくと色々面白いです。三太も「UQホルダー」メンバーも、普通だと世から排斥される側、マイノリティー側なのは同じなのだけれど。

 例えばキリヱは、現在の作中世界で「持ってる者」に分類される劇中で言及されてる要素のうち、「魔法の素質」と「(アプリなどを買える)お金」のうち、「お金」は持ってる存在なんだよね(「UQホルダー」のパトロンで仙境館の最上階に泊まってるという設定)。

 一方で一空先輩は、世界全部を壊したいと思わざるを得ないような三太や小夜子に比べて、80年間世界の善意に生かして貰った立場で、逆に世界に恩返ししようとか思ってる。

 なので、この二人は三太と対照するなら、わりと持ってるものは持ってる感じがするかもしれない。

 そうなると、やっぱりStage.22「ないもの同士(感想)」で本当に何も持ってない二人として描かれた刀太と九郎丸が、持てるものがはびこる一方で持ってないものは淘汰される世界、そんな中で本当に持ってなくて淘汰された(イジメで殺された)三太にあたっては、キーになりそう。

 このエピソード、作劇上、三太が立ち上がるなり、何かするなりしないと最後の一ピースがハマらないと感じているのだけど、そこで、刀太や九郎丸のような三太の先行者的な「持ってないもの」の描かれ方に、鍵があるように思う。

 ここで、だいぶ前(2008年!)の「物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために」さんの『ネギま!』記事にリンクを張ってみるのですが。↓


アスナの記憶喪失との対比/物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために


 引用。


 ///

 基本的に、この作品は、負の力で得た力であっても、それは力じゃないか!というメッセージがあって、僕は凄く凄くそれを愛しています。なんというか、現実的で。そういうものだもの、人生。

 ///


 2014年の今読んでも、僕としてもまったく同感です。

 僕の当時の『ネギま!』感想にも言及リンクして貰ってますが、明示的に台詞にされてるのは例の四葉五月の、


 「誰かを恨んだり何かから逃げたりして手に入れた力でも・・・・それは立派なあなたの力です」(『魔法先生ネギま!』73時間目より)


 ですね。

 ネギま! 以降の赤松先生の作品に通底されてる価値観かとも思います。

 だから、『ネギま!』の頃の明日菜も望んで手に入れたわけじゃなかったアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアとしての力で最後に事を成しますし、そういう虚構的な、負の時間で手に入れた力でも、それは「力」で世界に意義をもたらし得るということが、記憶喪失中(望んで記憶喪失になったわけじゃない)のユエが手に入れた魔法とかアリアドネー騎士団との仲間との絆とか、そういうものはやっぱりホンモノなんだよ、という展開に重ねられて描かれていたと思います。

 で、『ネギま!』との断絶と連続を描いてるフシがある『UQ HOLDER!』でもこのテーマは繋がってる気がして、まず一番は九郎丸ですね。前々エピソードでは、夏凛先輩に突きつけられた通り、九郎丸本人の過去っていうのはいわば上述の負の時間で、望んで剣とか身に着けたわけではなかったわけです。

 だけど、「ないもの同士」のエピソードを通じて気持ちが昇華されて、その負の時間、虚構的な時間に身に着けた神鳴流の力を使って、南雲たちの攻勢の中、花火を使って援軍を呼ぶわけです。望んで身に着けたわ訳じゃない神鳴流のしかも宴会芸だけど、使えるなら使うよ、的なタフさというか。で、それが決め手になる展開でありました。

 そして、刀太。彼は魔法も使えないし、一応「持ってない」側のキャラクターなんですが、まあネギから受け継いでる(と思われる)「闇の魔法」とか、実は持ってるキャラなんですね。あと、今話でも中国拳法っぽい技つかってますが、相変わらず僕はネギと結婚したのは古菲説を推してますので(こちら)、これもネギの才能を継いでるというよりはお祖母ちゃんの才能なのかなと思ってます。

 虚構的な時間、負の時間に身に着けたものでも現実に生かす、自分が知らない歴史からリソースが供給されてる、と、九郎丸と刀太でちょっと違いますが、両者とも、「ないもの同士」、「持ってない側」なりに、現実を変える力を抽出してるという点があると思います。

 で、そんな二人が先行者な感じで、三太も死んでしまって、幽霊として引きこもりとして虚構的・負の時間を送っていたわけなのですが、これやっぱり、何かそんな負の時間とか負の力からも、意義を抽出しなおすんじゃないのかな。死んでからの記憶が曖昧だっていう状況も、『ネギま!』のアスナや夕映、今作の刀太と重なりますし。この、時を超えて、作品を超えて、厳しい現実の中で、虚構的な時間・負の時間の力といった類の「チカラ」と再契約してみせる、っていうのが描かれたら、とても熱いと思うのですけどね。


Stage.54「ゾンビ化」

 「みんな死んじゃいナよ 勝ち組どもメ」(小夜子)

 強者・勝者たちに淘汰された側の怨念というか、世界の方が自分の存在を受け入れなかったので、世界の方を滅ぼそうとする。「人間に守る価値はあるのか」という問いかけが、定番ながら、UQホルダーの面々も何かを違えればそういう方にいったかもしれないマイノリティー側の存在なので、心理がかき乱されるふり幅があります。『仮面ライダー』とか、ヒーローを扱うにあたってのそっち方面の題材。自身が排斥される立場になっても、世界を守るのかどうか。

 一空先輩とか世界に生かして貰えた立場だし、同じく世界に排斥されていた九郎丸も今は仲間がいるし、刀太も歴史的なリソース(「闇の魔法」などのネギの文脈)に守られている。本当の意味で世界から排斥された立場の気持ちが分かるのか、という意味で、今話では小夜子の相対正義度が高めな所で次回へ。


Stage.55「さようなら」

 という流れで、小夜子に相対することができるのは、同じく世界から排斥されて死んだ三太。

 これ、普通の作品の最終回級の題材だと思うのだけど、三太は自分を淘汰する側だった驕れる強者の代表のような稲垣シンジを切り捨てきれない。一瞬入るカットは昔の小夜子と刀太なのか。


 「お前らに守る価値があるとは思わねーが 俺が小夜子を止める…!!」(三太)


 微かに触れてしまった世界の善性(淘汰されるような人生を送ってきた三太にも承認を与えてくれた昔の小夜子や刀太)が、どうしても小夜子のように世界なんて滅べばいいとフっ切ってしまうのを留まらせるのか、自分自身にイラつきながらも、ここで三太が立ち上がるパートに。このエピソードの主要UQホルダーが全滅で、三太に全部がかかってくる展開は熱いな。死んで、引きこもっていたので、三太にあるものなんて非常に虚構的なものなのですが、そういう微弱な武装でも何か譲れない一線があったので立ち上がる。

 これ、世界規模の話になってきたので、今エピソードの最初にわざわざUQホルダー世界支部の伏線入れてたし、十蔵とか他のUQホルダーも出てくるのだろうか? やー、世界を滅ぼそうの方にいっても無理なかった世界から排斥された側の個人が、一番の理解者と対立しても世界を守ろうとする側に……というシチェーションは熱いですわ。


Stage.56「小夜子と三太」

 トイレという閉じた空間に長い時間閉じこもっていた小夜子と、旧麻帆良学園の開かずの間という閉じた空間に閉じこもっていた三太が重なる感じの描き方。で、それぞれ外部からの来訪者で友情を構築したという点が、小夜子における三太、三太における刀太と重なると。

 この二重の描き方は、結末を分けてきそうだから、小夜子と三太、どちらかは助かってどちらかは助からなかったりするのかのう。パラメータも、こんな世界だから滅ぼす方にいった小夜子と、こんな世界でも捨てきれず守る方にいった三太と別れてるしのう。

 この、強者に淘汰される弱者という立場でも、それでも世界を守るのかという今エピソード。ここで強者要素は何もない人生だった三太が57分稼いで、魔法も使えない&金もない(2000万の借金)の刀太が来るのだろうか。金も魔法(のようなその社会で上位層が持つ要素)もなくてもヒーローたりえるとしたら、そのヒーロー性って何なのか。熱い。

 三太が失っていた過去の小夜子との記憶を取り戻すというのも、他者に記憶として覚えて貰えてることが、当人をアイデンティファイするという話のようで好き。上記の二重の描き方より、過去の小夜子のことを三太は覚えてるし、虚構的な時間を過ごしていた三太のことを、刀太は覚えている。この辺りは、記憶を失っている間のような虚構的な時間に構築された関係性でも、真実性を有する、という『ネギま!』の明日菜(&アスナ)や夕映(&ユエ)の物語ともリンクするようで、とても好き。


Stage.57「戦闘激化」

 「この飛行船 私が生まれた時代から飛んでるんだよ」(小夜子)

 『ネギま!』の超編(で印象的に使われていた)の飛行船きた!

 本格的に『ネギま!』で未来から来ていた超の未来軸と『UQ HOLDER!』がリンクするギミックなのかはまだ不明。なのだけど、象徴的には色々込み上げてくる演出な感じで。『UQ HOLDER!』第1話冒頭の、「3-A」メンバーが時間の流れの中でバラバラになっていく諸行無常のシーンで感じたものと近いです。超編のラスト、超が「3-A」はあなたにとって何だったのって問われて、「儚い夢のようなもの」って答えるんだよね。『ネギま!』時代の黄金の共同体「3-A」(それは超の拠り所になったものだった)は今では壊れ、こうして飛行船だけが残ってる。


 「辛いことも 苦しいことも 不公平なことも この世界から全部消えてしまえばいいのに」(小夜子)


 超編ラスト160時間目のサブタイトルは「世界が平和でありますように」(感想)。何もかもが切ない。

 飛行船の上で孤独に世界と戦ってる少女と、少年が戦いに向かう、少年は少女を救いたいという構図も超編と同じ。

 ただ、世界の方はエリア内の自殺者年間(劇中で)3000人という、強い者が進歩していく一方で多くの弱者が淘汰されていっていた世界で。そんな弱者の怨念の集積が勝ち残った強者の世界を今度は滅ぼすという寓話的に悲劇的な状況で。あるいは、超が言っていた(未来の超に起こった)ありふれた悲劇って、こういう構造の中での出来事だったってことなんだろうか。

 ただ、超もだけど、一人ではいけないわけで。例えば、超編の一大命題だった「人はエゴの元に悪をなす」に関して、それは生きるもの全員が持つ罪だから、私も引き受けて私でよければ一緒に背負うとネギに言ってくれた夕映だったり。高畑先生がネギにかけてくれた「一人で背負うんじゃないぞ」ということであったり。そういう併走してくれる他人の存在がある点において、何かを変えられるかもしれないと、『ネギま!』では描いておりました。

 今話はグっとくるな。この流れの中で、80年間変わらなかった麻帆良の制服(これには、エヴァと夏凛の関係性の象徴という意味が付与されている)を纏った夏凛先輩と、あの時超を救いに飛んだネギの子孫の刀太が合流。Stage.12で夏凛先輩が、「我らUQホルダー 人の理外れた人間以外の徒党 我らは常に――人の世からはじき出され蹂躙され 忘れ去られる者達の側に付く」と言っていた。人の世からはじき出されて蹂躙されて排斥されて淘汰されて死んで忘れ去られていた三太一人だけでは、いかに心の隅に残る善性を拠り所に戦ってもどうにもならなそうな所で、「UQホルダー」も参戦となりそう。これは、刀太も夏凛先輩もカッコ良すぎるな。


Stage.58「能力×空中戦」

 『ネギま!』時代から飛んでる飛行船が、自殺者達の怨念で黒く覆われるという悲しい絵に。

 これ、やっぱり超編の命題の、人は自分のエゴの元に何らかの悪をなす、っていう話の延長上の物語をやってるんじゃないかな。エゴを押して強い者達が発展していった分(それこそ搭が天空に向かって行くように)、それらが成した悪(例えば切り捨てた分の弱者)が、足元にたまって怨念になっていた。その集積が小夜子と三十四万の荒御霊(都の発展の下で淘汰された自殺者たち)だと。

 そして刀太登場。刀太が、「ここは任せて先に行け」ポジションなのですね。「飛行船で待つ女の子の元に駆ける」シチェーションが同じでも、『ネギま!』の時は駆けたのは主人公のネギで、『UQ HOLDER!』は主人公ではない三太。刀太はあくまでヒーローの補佐。フェイトの示した「世界を救う」という話にそんなにピンと来てなかった描写といい、前作主人公と本作主人公で、何か性質を描き分けてると思う所。あと、余計なお世話かも知れないですが、サポート役で当事者(漫画家)のある種の受け皿っていうのは、最近のリアルの赤松先生のポジションっぽくもあります。


Stage.59「盟友として」

 刀太から「あんたすげえ勇気だぜ!!」、三太から「お前に必要だったのは ほんのちょっとの ささやかな… お前自身の…」という第1話(『ネギま!』『UQ HOLDER!』両方で出てくる)の「わずかな勇気が本当の魔法」が意識される台詞が出てきました。

 なので、わずかな勇気で踏み出して都に出てみたものの、勝ち上がれずに自殺したり淘汰されたりしてしまった弱者たちの怨念の話なんだなと。三太自身がそういう立場だし、小夜子はそういう人たちを受け入れていた。逆に言えば、今はまだそういう人たちを誰かが受け入れているのかもしれないけれど、いつかリミットに対して勝者たちの世界に対して牙をむき得るぞ、ということを描いているという。


Stage.60「全て終わり」

 自殺者・淘汰されたものたちの怨念の集積がキラキラと舞っていくのを、そういう人たちの犠牲の上で都で暮らしている人たちが、花や雪のように「綺麗なもの」だと誤認しているという切ないラスト。それでいて、そういう怨念を綺麗なものに変えられたなら、という排斥される立場の人達の願いのラストでもあるように思える。あれだ、負の環境も負の心情もあるけれど、そういうのを糧に生み出された漫画は綺麗なもので、普通の人には幸せを与えるとか、そんな感じです。

 自殺者の怨念たちに小夜子という受け皿が必要だったように、小夜子に三太が逢いに来てくれるということが必要だったように、ラスト、世界から排斥されて一人残った三太に対して、刀太の「ウチ来るか?」。カラー表紙絵と相成って泣けましたよ。

 Stage.12で夏凛先輩が言っていた「UQホルダー」の理念、


我らUQホルダー 人の理外れた人間以外の徒党 我らは常に――人の世からはじき出され蹂躙され 忘れ去られる者達の側に付く


 進歩を追う過程を最早止められないのが世の力学で、その流れの中では必然的にはじき出され、淘汰され、忘れ去られる者が出るとして、その受け皿となる互助の徒党のようなものが必要だ。ラストのコマの「UQホルダー」の面々、それは例えば『ネギま!』の刹那のような、みんな何らかのマイノリティーで世界からは排斥されるポジションの人達で、刀太、九郎丸、夏凛、一空、キリヱと優し気に三太の側に立っているのが、良い。


Stage.61「九郎丸の苦悩」Stage.62「一層賑やかに」

 諸事情により第61話と第62話の個別感想は省略となります。


第6巻単行本感想追記

 何度読んでも、三太がUQホルダーに加入する第60話のラストシーンは良いです。幽霊? この世界では淘汰される側だった? いいじゃん、うち来いよ、という寛容さ。

 改めて、「UQホルダー」は色々な存在が色々ななりにいて良いという『ネギま!』の「3-A」のアップデート版共同体なんですよね。今回は、幽霊も加入。

 そして、第56話、第57話辺りの三太で描かれる、自分自身は淘汰される側の存在だったけれど、むしろ自分を淘汰する側だった連中をそれでも守る……っていう心のあり方は、今後のこの作品全体にもかかってきそうなんですよね。雑誌でのタイムリー連載分で刀太の存在がどういうものなのかが明らかになってきてますが、このエピソードでの三太のあり方、三太に接した刀太のあり方が、物語全体の刀太のポジションのエッセンンスにもなってるんじゃないのかな。つまり、刀太は旧「3-A」の(広い意味での)守り人的なポジションになっていくのではと予想。自分自身が、ネギにもなれないしエヴァに(恋愛関係的な方向の意味では)愛されはしないとしても。

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