ネタバレ注意です。
長年の当ブログの解釈の通り、京都アニメーション作品にはいくつか作品をまたいで受け継がれ・進展しているテーマのようなものがあるのと思うのですが、今話で感じたのは「ゼロサムゲーム」に関する部分です。
『Free!』の第一期のラスト(感想)で選手枠という一つの椅子を凛と怜で競争でゼロサムに争うしかないのか? と描いた部分や、『甘城ブリリアントパーク(感想)』で描いた、一つの「役割」があり、あとは代替可能な消耗品が、より優れたものであれば誰でもイイからその「役割」に収まる、そのために競争の力学で進んでいくだけでイイのか? という命題であったり、近年の京都アニメーション作品には、この「限られた椅子を競争でゼロサムゲームで奪い合うだけで良いのか?」というテーマがわりと頻繁に描かれていると思います。
今作『響け!ユーフォニアム』でもこの点がかなり描かれていて、目に留まりやすい箇所だけでも、
・全国への切符という限られた椅子を競争でゼロサムで争う
・コンクールに出場できるメンバーの椅子を部内でも競争でゼロサムで争う
・姉の麻美子と葵で描かれる、「受験」という限られた椅子を競争で争うゼロサムゲーム
・秀一の彼女というポジションを葉月と久美子で(結果として、構図としては)争う恋愛のゼロサムゲーム
・トランペットのソロパートという一つの椅子を麗奈と中世古先輩でゼロサムで競争で争う
などなどと、何重にも作中に埋め込まれています。
で、「この競争によるゼロサムゲームの過酷さ」にコミットすることが表面的には「生のVivid感」に繋がっているように見えるので、本作は背後にかなりの程度、『けいおん!(!!)(感想)』が本歌として意識される構成があって、『けいおん!』で言っていた「この講堂が私達の武道館です」の精神とか甘い、本気でゼロサムの競争に身を投じてみては? という『けいおん!』カウンター的流れが漂っているのが感じられる、というのがこれまでの感想で書いてきたことでした。
今話の画面の右から左に久美子が走って行くシーンも、『けいおん!』の第一話と最終回で唯が走って行くシーンに重ねていたと思います。
この演出は、その後同じくシリーズ構成が同じ吉田玲子さんという関係もあるのか、『けいおん!(!!)』を本歌に使っていたと思われる去年の作品、『ハナヤマタ』でも重ねる演出として意味がある形で使われておりました。↓
(画像は『響け!ユーフォニアム』第12話・『けいおん!』第12話・『ハナヤマタ』第1話より引用)
●参考:『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について
今回は、『けいおん!』の唯が走っていった先の学校の講堂で「この講堂が私達の武道館です」宣言(ある種の競争へのコミットを拒否しても「輝き」はある宣言)をするのに対して、『響け!ユーフォニアム』では走って行った先で久美子は競争に敗れた悔しさに涙する、という対比になっているというような意図でしょうか。(ただし、久美子が涙するシーンは「美しい」もの、ある意味「輝いた」ものとして(作画的にも)描かれていると感じます。)
で、ゼロサムゲームの方のテーマ。
ようは、久美子はここまで何だかんだで「ゼロサムゲームで勝ってきた側」だったんですね。葵が退部した(大袈裟にいえば排除された)中自分は部内に残り、オーディションでも夏紀先輩に勝利し、曖昧な態度でも葉月よりも秀一の気を引いている。感想を休んでいましたが、第八話で麗奈の「特別になる」宣言を受けてからは、自分も特別になるために頑張ろうとまで思い始めている。(ただ、このパートは表面的な「頑張ろう!」的ポジティブ描写というよりは、姉のことを引きずってる久美子の代償行為のように僕には感じられておりました。)
なのだけど、今回鼻血が出るまで競争原理の中頑張っても、ユーフォのパートを外されてしまった。今話で、ついに本当の意味で「ゼロサムの競争」の中での敗北者になったのです。
麗奈の「特別になる」は明らかに(これもアニメ化は京都アニメーションですが)『ハルヒ(感想)』が本歌になっていて、ようは幼ハルヒが野球場の五万人に感じた「自分は特別でない」絶望を、キョンの白雪姫のキスで浄化するまでの物語です。つまり、「特別=ハルヒ」を志向していた麗奈みたいに自分もなろうと思ったんだけど、自分は「特別」でない四万九九九九人側だったと久美子が気付いた・突きつけられたのが今回。
姉は離れていった。葵も中世古先輩も中学時代ラストの麗奈もこの気持ちを知っていた。
そういう、この世界(社会)を覆っている「ゼロサムゲームの競争」の力学の中では一握りの勝者以外が皆抱える「分断」と「自身の無価値感」の中で、久美子に最後に残ったもの。
それが、「ユーフォニアムが好き」だっていう気持ちだった。というエピソードだと思いました。ここで、『けいおん!(!!)』のカウンター的に入ったようで、また『けいおん!(!!)』に戻るのですね。好きだから、続けるということ。
当ブログでは『響け!ユーフォニアム』には競争原理の中で分断されていく様をシビアに描きながら、その奥に「途切れない縁」のようなものを希望として描いているのじゃないかと書いておりましたが、久美子を救ったのはキョン(のポジション)のキスではなく、ユーフォニアムだったというのは、序盤から緑輝がなかなかコントラバス君が当たらない描写(縁とは面倒でも粘り強く続けるものというパートだったと思われる)がタメとして入っていたので、ついにユーフォ君が久美子の元に来る(縁の成就?)というギミックも相成って、大変感動的だったのでした。
次回、「特別」を志向するものも、「特別」になれなかったものも、ゼロサム世界で勝ったものも負けたものもいる、さらには排斥されたものもいる「共同体」(=それは吹奏楽部共同体を社会の縮図として描いているように感じます)で、それでも「理想」は捨てたくないから、「調和」を目指して「競争(具体的にはコンクール)」のステージに登壇。合奏。
最終回。楽しみです。
→Blu-ray
→番外編詰め合わせ小説。面白いです。
→前回:「最近の響け!ユーフォニアム」へ
→前回:『響け!ユーフォニアム』第六回「きらきらチューバ」の感想へ
→次回:響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒへ
→『響け!ユーフォニアム』感想の目次へ
【関連リンク:これまでの当ブログの京都アニメーション作品感想】
→『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら
→『けいおん!!』最終回の感想はこちら
→『氷果』最終回の感想はこちら
→『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
→『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
→『境界の彼方』最終回の感想はこちら
→『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
→2014年にふれたアニメ作品ベスト10へ