ブログネタ
Charlotte(シャーロット)の感想 に参加中!
 アニメ『Charlotte(シャーロット)(公式サイトニコニコチャンネル)』第十三話(最終回)「これからの記録」の感想です。

 本作及び麻枝准氏の他作品のネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 破綻する兄(姉)と守られるその妹(弟)……という構造・暗示が何重にもあった本作。


 有宇と歩未
 奈緒の兄と奈緒
 美砂と柚咲
 サラとサラの弟
 隼翼と有宇&歩未


 いずれも、左側の兄(姉)ポジションの人が何らかの破綻を経験して、右側の妹(弟)ポジションを守ってるんですね。これは、先行する存在が、何らかの犠牲を引き受けても続く存在を守るという意味で、麻枝作品的には、『Angel Beats!』で音無が自分が死にゆくとしてもドナーのギミックで奏の命に貢献する。『CLANNAD』で渚が命を失っても汐を生む……というような構造と重なる部分です。わりと、麻枝作品のエッセンスかなと思っております。

 だから、あえて「フラグ」という言い方をしてしまいますが、第七話(感想)以降は有宇(兄)にとっての「守りたい妹」は歩未から奈緒(擬似妹)へと継承されていますので、物語の最終局面は、結局、フラグ通りに「有宇(兄)は破綻して、奈緒(擬似妹)を守るという結末なのか」、それとも、そのフラグをブレイクして、何か別の結末があるのか? というのが、物語のけん引力になっていたという。そして、結末としては、やっぱりフラグ通りに単純に有宇が破綻して奈緒を守って終わりじゃなくて、「少しだけ違っていた」結末を描いてみせたと。

 この「少しだけ違う」要素こそが、麻枝作品における「永久性」のようなもので(KEY評論とかだと「奇跡」って言葉を使うのかな)、『CLANNAD』だったら改めてこの記事を読んで頂きたいのですけど↓


原作「CLANNAD-クラナド-」のネタバレまとめ感想はこちら


 どんな変化の中でも、時には世界が輪廻したりしても、途切れない確かな・大切なもの、といった要素です。『CLANNAD』だったら、その永久なるものは、幻想世界の少女に象徴されていたりしました(その幻想世界の少女、及びそれに象徴されるものを守るための物語……という構造に、特に原作ゲーム版はなっている)。

 で、本作では、『CLANNAD』の幻想世界の少女に相当する、「どんな変化の中でも途切れないもの」を、「奈緒との約束」として描いたといった印象でした。『CLANNAD』などがけっこうファンタジー的に描いていたのに対して、今作はわりとストレートだった感じです。『CLANNAD』の「幻想世界の少女」は象徴的には「家族の愛」だったのだと思うので、本作では有宇と奈緒は疑似兄妹として位置づけられていたわけですから、結局、『CLANNAD』と同種のものが途切れないものだった、とも捉えられる気がしますが。

 そういう流れで、最終的にはフラグをブレイクして、ある種のハッピーエンド的な所に着地するのですが、そのフラグブレイクの過程が面白かったですね。

 まず前提として、本作第十一話(感想)からは、「『庇護下にある内』と『過酷な外』」というような対照が出てきます。


 内―外
 日本・学園の中―外の過酷な世界


 庇護された日本という国の中、学園の中に閉じこもってるだけで良いのか? 外の世界は過酷なのに。それは、『リトルバスターズ!』でずっと虚構世界に閉じこもってるような状態じゃないのか? というような問題意識ですね。

 で、外の世界から脅威がやってくるので、このままでは奈緒も守れなくなると、有宇は能力の回収のために外の世界に出ていく……というのが前話ラストだったのですが、『リトルバスターズ!』の主題歌の「過酷」のフレーズのごとく、やっぱり外の世界は「過酷」で、有宇は破綻、化け物化&奈緒のことも忘れてしまう……という状態になるのですね。ここまでが、兄ポジションの破綻というフラグ通り。

 このフラグを打ち破ってみせる「何か」があるとすれば、前述の、


 有宇と歩未
 奈緒の兄と奈緒
 美砂と柚咲
 サラとサラの弟
 隼翼と有宇&歩未


 という全ての破綻した兄(姉)たちの意義を救う……という構造になってるのですが、そのフラグをブレイクしたのは、内の世界と外の世界に別たれても、途切れなかった、(フレーズ帳:英語(外)と日本語(内)の架け橋……に象徴される)奈緒との繋がり、「約束」だった、というラストですね。奈緒の兄のことも、美砂のことも、サラのことも救ってる、良いラストだと思います。

 また、有宇は記憶を失ってるのだけど、奈緒(他者)からのアイデンティファイで最後救われる。「自分」にいたる。「世界」に繋ぎとめられる。というのも良いですね。このギミックが実は『AIR』のラストシーンの意味(あくまで僕の解釈)に近いのですが、そこはまたいつか。今作では、「他人に乗り移れる&略奪できる(他者の一部を自分のものとする)」有宇と「特定の一人からは認識されない」奈緒という能力上の設定を、うまくこのラストの展開に絡めていた感じです。奈緒が(世界や人を)ビデオで撮影する描写が豊富で、何かと「客体から認識している」ポジションの人なのだというのも同様。第七話(感想)が顕著ですが、ともすれば破綻的な出来事が起こってしまう「私」を世界に繋ぎとめていてくれるのは、自分では気づかないような、(時には見知らぬ:でも何か縁があったのかもしれない)他者からの承認・見守り・アイデンティファイだったりするのだった……。

 ポスト『まどか☆マギカ(感想)』文脈視点では(第十話がタイムリープの種明かし回など、意図してるのを感じておりました)、ラスト、主人公が(「略奪」の能力で)世界の負を一身に引き受けて世界の方はルール変更……までは同じなのだけど。ちゃんと少し文脈を進めてくれた感じ。

 『まど☆マギ』の「その次」の物語としては、虚淵玄氏本人がシリーズ構成してポスト『まどか☆マギカ』文脈を自身で描いていた昨年の『仮面ライダー鎧武(感想)』が既にあったのですが、まどか(紘汰)が一人犠牲になるだけじゃなく、舞というパートナーも一緒だった……よりも、今作はさらにまどかポジションの有宇が仲間の元に帰還してるので、また一歩進んだ感じです。まどか的な解決法(一人で引き受ける)に対する処方箋として、やはり永久なる何か、今作では「約束」がある。それは例え人外の存在になったようなもの(神化するまどか・全ての能力を手にして化け物化する有宇)すら許容するものだから、「内」たるこの国、この学園(たとえばゼロ年代作品の主要舞台・それを描いてきた意義)は、近年の過酷な世界でもそういう「場」でありたい。みたいな感じでしょうか。

 堪能した作品でした。制作陣に感謝を。

→Blu-ray



→ZHIEND

ECHO
ZHIEND
Aniplex (music)
2015-10-14


→前回:『Charlotte(シャーロット)』第十二話「約束」の感想へ
『Charlotte(シャーロット)』感想の目次へ

【関連リンク:これまでの当ブログの麻枝准作品感想】

『Angel Beats!(エンジェルビーツ)』DVD全7巻の感想はこちら
『リトルバスターズ!』感想日記はこちら(別ブログ)
アニメ版『AIR』第01話「か ぜ〜breeze〜」の感想はこちら
原作「CLANNAD-クラナド-」のネタバレまとめ感想はこちら

『リトルバスターズ!Refrain(アニメ)』(全13話)の感想はこちら
公認アンソロジードラマCD 1 Kanon 〜カノン〜 プロローグ・美坂 栞 「約束をしたこと」の感想はこちら
京都アニメーション版『Kanon』DVD第1巻の感想はこちら

2014年にふれたアニメ作品ベスト10へ