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ネタバレ注意です。
前回ラストで卯月が笑顔を取り戻したところで、物語の一番の山場は終わってるので、今回は残る未消化の要素を回収するように、プロデューサーと美城常務にスポットがあたって、二人の会話パートが描かれておりました。
「アイドル本人に入れ込まず、『お城』を優先する人」として、美城常務は感情を殺して「お城」の歯車に徹していた過去のプロデューサーと重なる、ということをこの感想では何回か書いておりました。今話の会話のシーン、プロデューサーが向き合ってるのは、過去の自分自身でもあるという構図。
そして、会話の結論としては、どちらかの主張が勝ったとかではなく、美城常務なりのやり方も、そのままで一つのあり方として「アリ」という感じなのですね。美城常務が拾えなかったアイドルの笑顔をプロデューサーが見つけることもできれば、逆もまたしかり。「Triad Prims」としての凛の才能やアナスタシアの別の側面を美城常務が発見したように、プロデューサーに見えなかったものを、美城常務が見つけることもある。両者の関係は、ゼロサムの競争で否定し合うというよりは、本作で用いられてきた「花」の比喩にすれば、違う花のようなもの。プロデュース方針の優劣を競争だ戦争だと殺伐と決めるとかではなく、別のあり方として、お互いそこにいて良い。というような結論。
こうして、「お城」優先の美城常務のあり方も、それはそれでアリだと受容に至った所で、プロデューサーも間接的に「過去の自分」も許せるという構図になっています。傷ついて「お城」の歯車となっていたのだけど、そうだった時の自分も否定はすまいというような、どの過去も生きる力にする的な到達点。
「過去の自分の救済」は、「孤独」が課題として重ねられていた卯月、プロデューサー、美城常務の三人に、共通して描かれていた感じです。
卯月。前話のクライマックス、卯月が笑顔を取り戻して「S(mile)ING!」を歌うシーンで、今の卯月が、過去のレッスン室で一人きりで頑張っていた卯月に、「星」を渡しに行くシーンが重ねられています。一人で孤独だった。でもそんな時でも頑張っていた「過去の自分」にエールを贈りたい。「がんばります」は卯月のキーワードでもありましたが、どうして今頑張るのかと言ったら、自分自身の存立のために、今の自分を信じるために、過去の自分を救わないとならないから……という辺りがしんみりと出ていて、良いシーンだったと思います。
プロデューサー。理想を追ってアイドルたちが離れて行った時から(つまりプロデューサーが抱えていたものも「孤独」)「お城」の歯車に徹するということを過去の自分はやっていたのだけれど、上記の流れで、if過去の自分たる美城常務のあり方も受容できたことで、過去のそんな頃のプロデューサーも救っています。美城常務が「Triad Prims」を見つけたように、過去の「お城」の歯車時代のプロデューサーも、何かしら誰れかの輝きを見つけてあげられたり、していたのかもしれない。
美城常務。少し描写が少なくて分かりづらいですが、今話のプロデューサーとの会話のシーンで、おとぎ話にすらならないと前置きした上で、「灰かぶりの少女」の話をしたのは、「灰かぶりの少女(=お城に憧れるような少女)」は過去の美城常務だったっていうことなのかなと思いました。つまり、過去の美城常務のifが、卯月という構図。そう考えると、前話ラストから今話までの美城常務はわりと理解できる感じで、「灰かぶりの少女」に過ぎない、過去の自分のifたる卯月が、「魔法」がない状態でも笑顔の力を証明してみせたことで、過去の美城常務も救われたのかなと。「灰かむりの少女」の笑顔で誰かが救われるということが、この世にはある。
孤独者三人に対して、三者三様の「過去の自分の救済」が描かれていた作品だったと思います。
劇中の「孤独者」の中には、描写が控えめですが、もう一人北条加蓮(ほうじょうかれん)がいたりもします。セカンドシーズンでは中盤に凛との関係性などからif卯月的なポジションを強調されていましたが、彼女も上記の三人と同じく「孤独者」として、「過去の自分の救済」が描かれていたりします。
ただ、北条加蓮が病弱で昔孤独だったという情報がアニメだと直接的には出てこず、ゲームの方の情報なので、「孤独者」としてはエクストラくらいの扱いで。「救済」は第22話の「Triad Prims」のライブシーンで、妙に尺を取って、「立ち上がれなくなっていた鷺沢文香が立ち戻り、橘ありすと絆を形成する」というパートが重ねられている部分です。
この箇所では、文香が「立ち上がれなかった立場の人」として、過去の病弱だった加蓮のifになっていて、そんな文香に今の加蓮は仲間と共に元気を贈れるまでになった……というシーンなのだと思いました。ここも、疑似的に今の北条加蓮が、過去の自分自身を救ってる類のシーンだと解釈したいところなのでした。
◇◇◇
上記の流れ、特にプロデューサーと美城常務が、それぞれのあり方なりに存在してOKとなった流れを受けて、いよいよ、本作的には第1話(感想)から描いてきた、様々な花なりに美しくて良い……という所に物語は収斂していきます。第1話の華美な花じゃなくてもアネモネとしての卯月で良いとか、後半だと第18話(感想)の色とりどりの切子細工に比喩されていたような、「それぞれの色」なりに輝いた上で、繋がる、「共同体」を形成するという地点ですね。
物語の起点が第一話の「閉じたレッスン室」に一人きりの卯月……の風景にあるので、シンプルには孤独だった卯月が仲間を、「共同体」を得るまでの物語と捉えることもできるのですが、本作の特徴は、前作のようながっちりとした一つの共同体(765プロ)を描くというよりは、市井の徒党のアイドルたちのちょっと新しい共同体を描いてる点じゃないかとは、感想でずっと書いてきておりました。
その新しい「共同体」の一つの形が、「共同体」の二重所属&外部とのリンクですね。
「無縁社会」とかの現実の問題も反映してか、近年のアニメーション作品には主題として「共同体」を扱ったものが多いのですが、その中で少し新しい共同体の形として「共同体の二重所属」と「外部とのリンク」がある……というのは、昨年の『ハナヤマタ』の記事カテゴリに詳しく書いたところでした。↓
●参考:『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について
「共同体の二重所属」の方は、『ハナヤマタ』で、例えばヤヤは「Need Cool Quality」と「よさこい部」という二つの共同体に所属しますが、それが必ずしも否定的なニュアンスじゃないというような話です。
今作だと、それは最終回エピローグの風景。美波もアーニャも「ラブライカ」共同体には属しながら、別のユニット(共同体)にも属してるとか。物語後半で主眼として描いた、凛、未央、卯月と、それぞれ別な共同体に属した活動も始めていくのだけど、引き続き「NEW GENERATIONS」も大事にしている、というような部分です。
「外部とのリンク」の方は、『ハナヤマタ』だと「よさこい部」の部室が(『けいおん!(!!)』とはちょっと違って)外部へと開けて繋がっている描写が強調されていて、実際に活動も部室の中、学校の中だけではなく、学校の外部と繋がっていく部分です。
それが、今作だと、既に第4話(感想)から「閉じた場所」と「開けた場所」の比喩的描写が豊富で、そこをリンクで繋ぐという作劇に満ちていました。「お城の中」だけで閉じてしまうのではなくて、外部と繋がることをポジティブに捉えていた感じです。最終回でも分かりやすく、美城常務がお城の外からステージを見てみるという趣旨のシーンがありました。この話が、一つのユニット(共同体)の中に閉じるか、外のものとも繋がるか? という話に重なってゆき、最終的には、「シンデレラプロジェクト」というユニットの中に「閉じる」のではなく、みんな外部のアイドル・人々たちとも繋がっていく風通しの良さが描かれていきます。
この、「共同体の二重所属」と「外部とのリンク」がそろってると何が良いのかと言ったら、良い意味で代わりはいる状態になる点なのかなと思います。
第10話(感想)で凸レーションが到着しないケースに備えて凛や蘭子がバックアップとして待機してるとか。第13話(感想)で倒れた美波のバックアップとして蘭子が「ラブライカ」に入るとか。最近だと、凛も未央もそれぞれの活動を始めて進んでいく間、傷ついてる卯月の側には小日向美穂さん(別に「シンデレラプロジェクト」メンバーではないアイドルさん)が入ってくれてるとか(最終回。「NEW NEW GENERATIONS」のライブの前に卯月が声をかける相手が小日向さんだった点に、地味に一番感動したりしました。)。
一人が傷ついて立ち上がれない時、外部とのリンクを通じて別共同体から助っ人、「代わり」が入ってくれるので、決定的な破綻はカバーできる……というちょっと新しい感じの「共同体」のあり方。一つの理想ですね。現実でも、子育てとか介護とかで、親、介護者が立ち上がれなくなった時、さっと外部から助っ人が来てくれる(また、自分も余裕がある時は助っ人する)世の中だったら、だいぶありがたいんだけどなぁ、というような。
ある意味、「唯一無二のアイドル」というような決定的な「特別」な人はもう存在できない世界観なのですけど、この作品で描いていたのは、わりと普通の人的な市井のアイドル達が、補い合いながら駆けていく……というちょっと新しいアイドル観・共同体観だと思います。
物語の最後の焦点が、「共同体の破綻とその克服」なのは前作(2011年にやってた方のアニメ『アイドルマスター』)と同じなのですけど、前作が765プロ内の共同体の崩壊問題を、765プロ内部の物語で解消していたのに対して、今作は外部の共同体(「シンデレラプロジェクト」メンバー以外)を絡めて解消していたので、テーマとしても、前作から今作は一歩進めたという印象を受けています。
そうして、描かれたちょっと新しい共同体の風景を描いて終劇。別々に活動していても、スマートフォンで連絡を取り合っている美波とアーニャ、皆と(最近)会ってる? と姉の城ヶ崎美嘉から尋ねられても、「大丈夫大丈夫、平気だよ」と応える妹の城ヶ崎莉嘉&その直後にみりあとLINE(のようなもの)で連絡を取り合っている描写、そして、ピンクチェックスクールなる新しいユニット(共同体)で活動してる卯月……などなど。いずれも、「多重所属」と「外部とのリンク」がキーの、ちょっと新しい形の「共同体」描写かと思います。
そうした、新しい「共同体」の形の中で、昔の共同体、「シンデレラプロジェクト」はバラバラになってしまったのか? という疑念が最後に過った所で、ラストのラストは「シンデレラプロジェクト」メンバーが再集合して「お願いシンデレラ」のライブに望むシーンで、過去の繋がりも意義を持ち続けてることが強調されています。最後は、エピローグの五分だけで、「一旦共同体がバラバラになる」物語から「それでも途切れないものは存在していて、再び合流することはできる」までの物語を描いていた。短い時間で『けいおん!(!!)』〜『ハナヤマタ』&『SHIROBAKO』をやっちゃった感じですね。最終回の脚本は吉田玲子さんだったとしてもおかしくない(え)。
以上の、「共同体」関係で本作で描いた大事なものを、アイドルアニメなので歌&ライブシーンが大事ということで、「流れ星キセキ」の"3つそろって流星になって いつまでもずっと"の部分や、「M@GIC☆」の"ここにある きっとこのキズナが宝"の箇所で、十全に表現していたと思います。
堪能した作品でした。制作陣に感謝を。
→特別編収録の第9巻
→Triad Primus
→前回:『アイドルマスター シンデレラガールズ』第24話「Barefoot Girl.」の感想へ
→『アイドルマスター シンデレラガールズ』感想の目次へ
→アニメ『アイドルマスター』(2011年にやっていた方)の感想目次へ
→『SHIROBAKO』の感想へ