穂乃果役の新田恵海さんが、神田明神の絵馬に、『ラブライブ!』を通じて友だちができますように……という願い事が書いてあるのを取り上げるシーンが印象的。
このブログのアニメ『ラブライブ!』の感想で、この作品には「共同体について再考する」みたいな視点がある作品なんじゃないかとずっと書いていたのですが、作品・プロジェクトを媒介にして何らかの共同体が形成されている(「友達」ができるなど)側面を切り取っていた感じです。
娘が観てなかったなら観なかっただろうという親御さんのインタビューを取り上げていたのも同じ。こちらは、『ラブライブ!』という作品・プロジェクトを通じての「家族」という共同体の豊穣化。
一方で、新田恵海さんが高坂穂乃果としてステージに立つ日は必ず『ラブライブ!』のTシャツを自分でも着ているのは、新田さん自身が演者としてステージに立つ「送り手」でもありながら、同時に自分自身が『ラブライブ!』の「応援者」でもあるんだという精神が反映されてるのが明かされたりもします。
その、一昔前の作品みたいに、特権的な「送り手」が「消費者」に向けて一方的に発信してるわけじゃないんだという視点が取り上げられた所で、『ラブライブ!』の楽曲やキーポイントで使われる「僕」という概念について。特定の人物を指すのではなく、送り手や応援者(ラブライバー)全体を含んだ、謎の人称、それを「僕」と呼称してるというのが仮説めいて語られます。
上の話と絡めれば、制作陣から演者九人、ラブライバーに、そこから繋がる友人や家族など、そういった「新型共同体」をボンヤリと「僕」と呼んでいる感じでしょうか。
アニメ作品の『ラブライブ!』自体が、学校共同体やμ’sという九人の共同体、そして家族という共同体の、崩壊と再生、そして継続にまつわる物語をテーマとして描いている部分があるので、「共同体」を扱った作品・プロジェクトを媒介にして、リアルで「共同体」ができて、何か新しい方向に進み始めているということが言えそうです。スマートフォンゲーム『スクフェス』のユーザー全世界2000万人突破も、それはSNSゲーム的なゆるい繋がりかもしれないけれど、国境を越えた、一つの価値観を共有するちょっとした国家なみの、何か「新しい」共同体の萌芽とも言えるかもしれない。
そういう流れで、僕個人としては『けいおん!(!!)』辺りが起点で、昨年辺り「ネクストけいおん!(!!)」文脈を出そうと現れた、『ハナヤマタ』や『SHIROBAKO』。今年で言うなら『アイドルマスターシンデレラガールズ』のような、リアルの「無縁社会」的な問題意識も反映されて、何らかの少し新しい形の「共同体」を模索する一連の流れの中にある、作品・プロジェクトという印象を感じているのでした。
アップデートされた文脈での「ずっといっしょ」が主題の一つであろう、「どんなときもずっと」で番組が締められているのも意図的な演出と感じられ、かなり愛情をもって作られた特番だったなと思います。良い番組でした。
→当ブログの『ラブライブ!The School Idol Movie』の感想へ
→当ブログのTVシリーズ『ラブライブ!』(一期&二期)の感想目次へ
→当ブログの『アイドルマスターシンデレラガールズ』感想目次へ
→当ブログの『SHIROBAKO』感想目次へ
→『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図についてへ