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公開初日にMOVIX仙台で観てきた、続・劇場版『Wake Up, Girls!』後篇[Beyond the Bottom]の感想です。
ネタバレ注意です。
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(ある意味強者の立場にいる)早坂さんの曲ではダメで、一度破綻を経験した人間(佐藤勝子:サファイア麗子さん)が作った曲――『Beyond the Bottom』で「Wake Up, Girls!」は最後の舞台に挑むという、続・劇場版・後篇。
●前篇「青春の影」の感想から読む方はこちらから。
「個人の再生」と「壊れた場(共同体)の縫合」の過程がリンクして描かれるという、WUG!のエッセンンスが詰まった最初の劇場版『劇場版 Wake Up, Girls!〜七人のアイドル』と構成を重ねて描いている。&決着させていると感じました。
『劇場版 Wake Up, Girls!〜七人のアイドル』では、
・破綻を経験した個人→真夢
・破綻を経験した場→仙台(・東北)という東日本大震災の被災地
・劇中で壊れかける(続けられなくなりかける)共同体→Wake Up, Girls!
という感じでしたが、今『続・劇場版『Wake Up, Girls!』後篇[Beyond the Bottom]』では、
・破綻を経験した個人→志保&佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)
・壊れてしまった共同体
→かつてのセイント40(丹下社長と佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)の関係)
→「リトル・チャレンジャー」時代の「I-1クラブ」
→WUG!とbvexの関係
→日本という国(後述)
・劇中で(七人という形では)壊れかける(続けられなくなりかける)共同体→Wake Up, Girls!
という感じでしょうか。
特に、「壊れてしまった共同体」の方が何重ものレイヤーになっていて(上にあげただけでも五つ)、ラストのアイドルの祭典のシーンで、その破綻・分断が縫合・再合流に至る様がカチッと描かれるのには凄い構成力を感じました。
まずは破綻を経験する個人・岩崎志保から。
『劇場版 Wake Up, Girls!〜七人のアイドル』のエッセンスのリフレインになっている形で、「センター争い」という「競争原理」の文脈の中で敗北した志保が、旧・劇場版の真夢をなぞるように博多へと(表面上)左遷されるという破綻を経験します。
そして、そこからもう一度立ち上がる契機になるのも旧・劇場版の真夢と重ねて描かれて、それは「リトル・チャレンジャー」を歌っていた頃の、歌や踊りが好きという自分自身の原初の気持ち。&支えてくれている人の存在。TVシリーズ中とか、立場上は反目するような状態に置かれていた真夢と志保が、結局同じものを一番大事な部分で共有していたというのは良いですね。
この、志保という個人の再生が、やがて「I-1クラブ」という、今ではバラバラに分断されてしまった共同体の縫合へと繋がっていきます。リンクしていく過程が丁寧で、これはもう、作り手が分断されてしまった今の日本に必要なことなんじゃないかとメッセージとして描いているのかなと思う箇所なのですが、異なる立場(クラスタ)にいても「相手の立場になる」ということ。志保は「I-1クラブ」のセンターを追われて地方に来て初めて、同じ境遇で仙台に来た頃の真夢の立場・心を知り。萌歌もまた、「I-1クラブ」のセンターという立場になることで、志保がどれだけの重責を背負って頑張っていたのか、という立場・心を本当に知る……というシーンが描かれます。
「I-1クラブ」的な競争第一を押していけば、敗者は蹴落とすしかないからみんなバラバラになっていくのは必然なのですが、この「相手の立場になった思いやり」が、その力学への抵抗として描かれます。そうして、お互いの立場・気持ちにエンパシー(共感)を持ち続けていられたから、ラスト、愛の「同窓会みたい」という台詞に象徴される、「今ではバラバラに分断され・壊れてしまった『I-1クラブ』という共同体の再合流」が実現します。劇中で、「I-1クラブ」が「リトル・チャレンジャー」を歌ってたのは2011年の東日本大震災後の時期です。あの頃彼女たちが歌っていたのは無駄じゃなかった。今では表面上はバラバラになってしまったけれど、あの頃の「I-1クラブ」の繋がりも、嘘じゃなかった。
破綻を経験する個人・二人目・佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)。
この人も、作中の競争原理の象徴、劇中の言葉いわく「東京の引力」に引かれていった結果破綻を経験した人。後から再構成したにしろ、第〇話相当の『劇場版 Wake Up, Girls!〜七人のアイドル』の最初が、サファイア麗子さんがいなくなった(関係が破綻した・分断された)という所から物語が始まって、この続・劇場版がそのサファイア麗子さん(佐藤勝子さん)と丹下社長の再合流で終わってるというのは構成として綺麗ですね。
佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)の再生のきっかけも、志保と同じで、旧・劇場版の真夢と重ねて描かれていて、「自分たちが歌っていた頃の原初の気持ち」に触れる&(苦しい時に)支えてくれる存在(丹下社長)。というもの。真夢と志保が「リトル・チャレンジャー」時代の「I-1クラブ」の気持ちを思い出して立ち上がったのに対して、麗子さんは「セイント40」時代の気持ちを、現在のWUG!を観て思い出した感じですね。
こうして、一度破綻を経験した人間(佐藤勝子さん(サファイヤ麗子さん))が作曲した曲、『Beyond the Bottom』がWUG!の決戦の曲となる。強者で東京で勝ち抜ける早坂さんから贈られた「少女交響曲」と、弱者で東京で敗北した人間の麗子さんから贈られた「Beyond the Bottom」が補い合う作品の二つの双曲なのですね。続・劇場版「前篇」から顕著になってきた東京と地方の縫合というようなテーマからも、この展開しかないなといった終盤です。
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続いて「壊れてしまった共同体」要素。
「セイント40」と「I-1クラブ」は前項に絡めて書いたので、続いて「日本」。
個人の項目から書いてる「破綻してる」とか「分断されてる」とかいった話は、WUG!プロジェクトの発端から察しても、特に東日本大震災以降の現在の日本(という共同体)にも重ねて描かれてると思うのですね。細かいクラスタに分断されて相手の立場を思いやらず憎しみを重ね、競争原理にのっとって勝った側と負けた側の格差は開き、両者の間は分断されている。格差には経済格差もあるし、劇中で焦点があたってるように、大都市と地方の格差もある。
『Wake Up, Girls!』という作品では、その分断された日本を縫合して回る過程も描かれてるのですね。
WUG!が全国行脚に出発するために、古びたWUG!ワゴンが洗車されて復活していく過程が感動的です。震災後の作品としては、『Free!(一期)(感想)』の「みんなで壊れたプールを修繕するパート」に相当するパートですよね。今では古ぼけてしまった昔あった何か。もう一度取戻しに回ろう。
そうして、地方を回る、回るというパートが良かった。ハイパーリンク(二次元と三次元のリンク)的には、リアルWUG!メンバーさんたちも日本全国を回りに回ってるし、制作陣もこの作品作るために博多なら博多に取材に行って回ってるのですよ。
この「分断された日本を繋ぐ」パートと並行して描かれてるのは、「東京と地方」ネタとしては大人組です。
●大田さん
→私設WUG!ファンクラブを作って、同じように日本全国に架け橋を作るのに尽力する。
●早坂さんと白木さん
→前回の感想では表面上は早坂さんが地方派で(むすび丸とか好き)白木さんが中央派と書いてたのですが、実は白木さんも中央一極集中が無条件で是とは思ってないかのような描写が入ります。言われてみれば地方を回る「触れ愛プロジェクト」をやっていましたし、萌歌へのセンター交代も白木さんというよりはどちらからというと上(というか競争経済原理を象徴するX的な何か)からの意向といった描き方。何より、志保を博多に送ったのは、志保なら本当に地方に嵐を作ってくれると信じていたのでしょう。競争原理だけの一極集中の力学を無条件で肯定できないのは実は白木さんと早坂さんも同じで、「I-1クラブ」を撃たれるべき強者として育てて、地方の逆襲を裏から鼓舞してると(「アイドルの祭典」のレギュレーションを変えたのもおそらくそのため)。
「壊れてしまった共同体」要素改めて、『Wake Up, Girls!』。
今作では、菜々美が辞めて光塚に集中するということで、七人の形では壊れかけるというのが描かれます。
再生の過程は何段階かで丁寧に描かれていて、一つは藍里。
劇場版(七人のアイドル)、続・劇場版と、「続けたいことが壊れそうになる時、続行するきっかけを作る」のが劇中の藍里の役割ですが(詳しくは以前の感想を参考)、今回も菜々美と藍里が二人で話をするシーンが一つのきっかけになります。その場面でついに、劇中で追っていた「WUG!らしさ」。続・劇場版「後篇」のキャッチコピーでもある、「真摯であること、正直であること、一生懸命であること。」が藍里の口から飛び出します。この台詞を言うのが藍里だから、能力的には最弱でも、裏主人公的なポジションにいるとも言えるキャラなのですよね(緋呂河ともさんのコミックス版『七人のアイドル』では藍里視点から描かれていたりします。)。キャストが仙台出身の永野愛理さんなのも、色々と意味がある感じ。
続いて独りぼっちの空港と、実波から貰ったお守り。
あのお守り、実波が磯川のおばあちゃんからもらったやつですよね? 脚本は待田堂子さんもメインなのだろうから、『小説版 Wake Up, Girls! それぞれの姿』(感想)の実波パートの「必要とされること」もストーリーに織り込んでいそうです。
「人に"必要"とされるってこと、とっても、大事なことだと思うよ」(『小説版 Wake Up, Girls! それぞれの姿』)
補完になるけど、「そのお守りは……」のやりとりから菜々美も実波の「必要とされること」の話は聞いたことがあるんじゃないのかな。
如何に夢を追うという正しい道のためとはいえ、独りぼっちは寂しい。空港で一人泣いてしまう菜々美のシーンは優しい。強くあれというより、泣いてもいいと言っている作品。孤独は寂しい、嫌だという、繋がりを求めてしまう弱い気持ちも込みで人間とアイドルを描いている作品。
かくして、菜々美は戻ってきて、上述した「I-1クラブ」の再合流と「WUG!」の再合流が、「アイドルの祭典」で重なります。
弱い人間かもしれない(今回は特に菜々美のエピソード)WUG!が、一度破綻した人間から贈られた曲『Beyond the Bottom』で「アイドルの祭典」のステージへ。強者の論理で進む世界でも、僕たちはこういう力で闘いたい。そのライブを見つめる人たちの中には、一度バラバラになったり、破綻したりしたはずの、「I-1クラブ」のメンバーや、大人たちの姿がという所で終劇へ。カルロスとかさらっとくるの良いですよね。「壊れた共同体の再生」ちょびっと編。別れた形になったWUG!とBvexの関係も再生される可能性を含んだシーンと解釈。最後のライブシーンで、『Wake Up, Girls!』をきっかけにバラバラに壊れた場所、東北も含めた日本、共同体、人と人との関係が少しだけ再合流・縫合されています。
混沌(カオス)となったこの自由から逃げ出そう。
押し進めた自由の逆ってことなので、ある程度の不自由性も含んだ連帯とか、そういう歌詞なのかなと解釈しています。
参考:けいおん!大学生編感想(ネタバレあり)〜不自由さを受け入れながら進む時代〜
新自由主義が押しつけた個の欲望を解放する是に基づいた競争による自己実現追及みたいなの。そんな世界で、幸せを願った時、あるいは光塚行きを辞めた菜々美のようにある種の不自由さが伴うのかもしれない。だとしても、それでも一緒にいたいと思える仲間・家族・共同体、そういうことがあってもいいんじゃないだろうか。って風景。
奇しくも『けいおん!(!!)』の終焉から様々なアニメーション作品が描いてきた「共同体の次のカタチ」というテーマ(個人的に代表は前述した『Free!』の他に、『ハナヤマタ(感想)』『SHIROBAKO(感想)』『アイドルマスターシンデレラガールズ(感想)』『響け!ユーフォニアム(感想)』など)に、東日本大震災後の文脈での優しい到達点を見せてくれた作品だったと思います。この時期に、仙台が中心の舞台の作品を作ってくれたことに百万の感謝を。
→Blu-ray
→主題歌
→前回:続・劇場版『Wake Up, Girls!』前篇[青春の影]の感想へ
→前回:『Wake Up, Girls!』TVシリーズ第12話(最終回)「この一瞬に悔いなし」の感想へ
→前回:『小説版 Wake Up, Girls! それぞれの姿』の感想へ
→次回:続くように応援したい。
→仙台は「日立システムズホール仙台・交流ホール」で開かれたWUG!の同人誌即売会イベント『同人誌即売会やらせてください!in仙台』(2015.10.25)のレポ記事はこちら
頒布させて頂いた同人誌、

『ミリオンアート・ウェイクアップ!〜実波と菜々美と未夕が石巻に行く小説本』
の通販ページはこちら。
→『Wake Up, Girls!』感想初回、MOVIX仙台で劇場版を観てきた時の感想はこちら
→『Wake Up, Girls!』全話感想の目次はこちら
→Wake Up,Girls!1st Live Tour「素人臭くてごめんね!」・仙台公演・夜の部の感想はこちら
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