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ネタバレ注意です。
競争を勝ち抜いて「特別」に至れるかもしれない麗奈みたいな人だけじゃなく、そこまで勝ち抜く側にはいけなくともユーフォニアムが「好き」という気持ちで自分なりの「特別」に至れるかもしれない久美子。そもそも檀上に上がることすらできない、だけど、上がれない人なりの「特別」があるんじゃないかという夏紀先輩。
そういう、競争で勝てる側だけじゃなくて、例えば競争で負けた側の夏紀先輩を丁寧に描く。そこを大事にしているのが『響け!ユーフォニアム』という作品なのではないかというのをこれまでの感想では書いてきました。
「特別」というキーワードは京都アニメーション作品の文脈では明らかに『ハルヒ』に出てくるもので、『ハルヒ』でも重要な要素として出てきた「ポニーテール」を表現に使って、そんな「特別」性の2015年なりの更新をはかっていた作品なのではないかというのは、今年、当ブログで一番読まれた記事(5000ユニークアクセス感謝です)であるこちらに書いた通りです。↓
●響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒ(ネタバレ注意)
この記事の流れから行くと、今回の番外編「かけだすモナカ」は、檀上には上がれなかった人達、オーディションという競争では敗北した十人のチーム「モナカ」に焦点があたるエピソードとして、三様の「特別」性の中でも、夏紀先輩的な「特別」性を掘り下げたエピソードだと感じました。
中心になるキャラクターは葉月。
葉月が、檀上には上がれない側、競争では敗北した側というのは、オーディションに敗北したという意味合いと、恋愛パートで久美子に敗北したという意味合いとで、二重に重ねられて描かれています。
そういう意味で、競争に勝つとか、恋愛が成就するとか、華がある方向での「特別」、「ヒロイン」にはなれなかった人間だとしても、そういう人にも「物語」はあるんだというのを描いていたと感じます。上記の「ハルヒ」の文脈で言うなら、ifとしてキョンに抱きしめては貰えなかったハルヒなりに「特別」性を獲得するとしたら? そういう部分を描いていた感じです。
そういうポジションの葉月が、
「私もう一度選び直せてもたぶん、吹奏楽やってると思います」
と言えるまで気持ちを昇華できる過程が描かれているのですが、主立って葉月がそこまで辿り着ける要因として描かれているのは、緑輝と夏紀先輩の存在が大きいです。
先の記事で書いた通り、競争で敗北した自分なんて無価値だ……という虚無感を何らかの形で補填する展開が必要なわけですが、『ハルヒ』でハルヒがクライマックスでキョンの告白と「白雪姫のキス」を受けて承認されたのに対して、本作では、葉月に塚本は(恋愛という意味での)承認を与えてはくれません。
その代わりに、葉月を承認してくれるのが、緑輝と夏紀先輩。それぞれ、檀上に上がれる人間(緑輝)と上がれない人間(夏紀先輩)からの承認。残念ながら、あなたは最後にキョンが抱きしめてくれる「特別」なハルヒではない。だけど、キョンが取りこぼした分の人には、代わりに抱きしめてくれる人がいる。特に、同じく「檀上に上がれない側」「競争に敗北した側」である、だけど「ポニーテール」という「特別」性の記号を纏っている夏紀先輩から抱きしめられるシーンは良いですね。
『ハルヒ』で選択から取りこぼされた者の救済……というテーマは、その後の京都アニメーション作品だと、『境界の彼方』で、キョンに選ばれなかった消失長門のifである栗山さんはいかにして救われるのか? というのをやっているのですが、
参考:『涼宮ハルヒの消失』と『境界の彼方』との関係について(『境界の彼方』第8話〜第11話感想)
夏紀先輩が葉月を抱きしめるシーンは、作品をまたいで、様々な「競争に敗れた者・選ばれなかった者」の救済を描いているようにも感じます。それは他作品だったら消失長門かもしれないし、美月(参考:境界の彼方/第12話(最終回)感想(少しラストシーンの解説含む))かもしれない。葉月と同じように自身が引いて最後に「枠を譲る」ということをやる『Free!(第一期)』の玲かもしれない(参考:Free!/感想/第7話「決戦のスタイルワン!」〜第12話(最終回)「遥かなるフリー!」)。本作の中では、麗奈に敗れた中世古先輩かもしれない。そんな、様々な「限られた椅子に選ばれなかった者」たちを、優しく抱きしめているシーン。
そこで救済されているので、葉月は、「支える人」として、ステージの上とステージの下を繋ぐ人として、駆けることができる。
葉月が久美子に贈った言葉も「支えるから」ですし、塚本にお守り経由で伝えた言葉も「支えるから」でした。勝ち抜いてステージに上がるという方向で、「特別」的で、「ヒロイン」的で、「ハルヒ」的な生き方・物語の他に、ステージの上に上がれなくても支えるという生き方・物語もある。TVシリーズにあった、低音、特に葉月とチューバ(支える楽器)との、再契約。
かくして、葉月駆ける。
今エピソードだけでも、ステージに上がれるものはバスで、上がれないモナカたちは電車で。ステージの上と下。ドアの中と外。と、「勝ち抜いた者」と「勝てなかった者」の分断要素が描かれていますが、その断絶を縫合しようとしてるのもこの『響け!ユーフォニアム』という作品だというのもこれまでの感想で書いてきました。
ラストの、葉月がステージに上がれる側と上がれない側(モナカ組)の間を往復して走る……というパートは、そんな「支える」葉月が、この二つの間の分断を繋いでいる描写なのかなと。
ステージに上がれる側という意味でも、恋愛の当事者という意味でも、「ヒロイン」である久美子とは別に、久美子が気付かない所で、ステージに上がれない側の人間なりの物語がある。そして、それはそれでこれまでのストレートな「ハルヒ」的な意味での「特別」とは違う、やっぱり「特別」なんだというのを、番外編という形での追加エピソードでも描いていたと思います。我々視聴者の大部分はステージに上がれない側かもしれないので、この辺りはなんだか優しい視点だと感じます。
『響け!ユーフォニアム』自体はアニメ二期も決定ということで。様々な立場なりでの「特別」をどう描いていくのか、続く物語で楽しみにしています。
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→前回:響け!ユーフォニアム最終回の感想〜ポニーテールと三人のハルヒへ
→次回:『響け!ユーフォニアム2』第一回「まなつのファンファーレ」の感想へ
→『響け!ユーフォニアム』感想の目次へ
●合わせて読むのがお勧めその1:『響け!ユーフォニアム』を振り返る 前編:他者の異質性の肯定/ねざめ堂
●合わせて読むのがお勧めその2:『響け!ユーフォニアム』を振り返る 後編:ポスト・キョンとしての黄前久美子/ねざめ堂
●合わせて読むのがお勧めその3:『響け!ユーフォニアム』アニメが描いていたものを原作小説から読み解く /やまなしなひび−Diary SIDE−
【関連リンク:これまでの当ブログの京都アニメーション作品感想】
→『涼宮ハルヒの憂鬱』最終回の感想はこちら
→『けいおん!!』最終回の感想はこちら
→『氷果』最終回の感想はこちら
→『Free!』(第一期)最終回の感想はこちら
→『中二病でも恋がしたい!』(第一期)最終回の感想はこちら
→『境界の彼方』最終回の感想はこちら
→『甘城ブリリアントパーク』第12話の感想はこちら
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