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 アニメ『無彩限のファントム・ワールド(公式サイトニコニコチャンネル)』第7話「シュレーディンガーの猫屋敷」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 今話、脚本が吉田玲子さん(『けいおん!(!!)』のシリーズ構成の方)ということで、『けいおん!(!!)』文脈エピソード、本家京都アニメーション自らが久々にやってみました、という趣の一話でありました。「ドア」が比喩的に使われる演出が『けいおん!(!!)』と共通など、ほぼ、吉田玲子さん本人が手がけた『けいおん!(!!)』以降の「けいおん!(!!)文脈エピソード」の一つとしてカウントして良い一話だったのではないかと。

 吉田玲子さん自らが脚本を手がけた『けいおん!(!!)』アフター文脈的な作品としては、京都アニメーション作品以外だと、「輝いた女の子五人組の共同体の継続は可能か?」というテーマ的にもかなりダイレクトなものを扱ってる作品として、『ハナヤマタ』と『SHIROBAKO(第4話〜第6話が脚本吉田玲子さん)』などがあったりします。

 いずれも、「部室の中のみの五人から、窓(/ドア)の外の世界へと抜けていく」という『けいおん!(!!)』終盤〜ラストからの(テーマ的に)続きみたいな物語なので、その辺りの関係について書いてみたコラムへのリンクを張っておいてみますね。↓


●参考:『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について

●参考:SHIROBAKO/感想/第4話「私ゃ失敗こいちまってさ」(ネタバレ注意)


 その上で、今回は『けいおん!(!!)』本家京都アニメーションに吉田玲子さんが登場。加えて、本作は『ハルヒ』文脈がある作品です。↓


●参考:『無彩限のファントム・ワールド』はハルヒの系譜?


 その流れの中、『ハルヒ』で幼少時にハルヒが野球場で絶望した時の感情(このシーンのハルヒの「孤独/自身の無価値感」を救済するための物語を京都アニメーションはずっと作り続けてるフシがある)の中の、


 それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気付いた。あたしが世界で一番楽しいと思ってるクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国のすべての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気付いたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。

  谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』より引用



 の部分に関して。そうじゃないだろ。クラスの出来事。普通の出来事。そういう「日常」の中にも、色あせてない「輝き」は見つけられるはずだよ! と描いたのがそもそも『けいおん!(!!)』という作品でした。

 実際、何ら非日常的なことが起こるわけでもない。彼女たちが武道館に行くような成功をおさめることはない。それでも、澪が花火をバックにエアギターする唯(「日常」の中の一幕)に「輝き」を見つける瞬間をアニメーション表現で切り取った『けいおん!』第4話「合宿!」のあのシーンは日本アニメーション史に残る名シーンだと思います。

 なのですが、『けいおん!(!!)』後半は、その「日常」の中の「輝き」は、「部室の中」、つまり「学生時代」限定のものなのじゃないか? という問題意識が物語のけん引力になって描かれていくことになります。楽しいのは、学生時代だけさ、的な。

 その「輝いた日常はやがて終わる」問題に対して、『けいおん!(!!)』が物語としてどう決着をつけたのかは当時の最終回感想にてたっぷり書いてましたので、参考に張っておきます。↓


●参考:けいおん!!感想/第24話(最終回)「卒業式!」


 で、上のリンク先の話のように、窓の中、ドアの中、部室の中に「閉じて」いるだけじゃなくて、外に出ていくよ、外の世界ともリンクしていくよ……というのが『けいおん!(!!)』のラストだったわけですが、本作『無彩限のファントム・ワールド』第7話、いわば「バッドエンド『けいおん!(!!)』状態」として、楽しい「思い出」の中に「閉じて」しまった猫屋敷というのが描かれているのですね。もう、ドア(館の玄関と各部屋の扉と両方)に閉ざされているとか、「写真」とか、『けいおん!(!!)』でも象徴表現に使われていたアイテムが盛りだくさんでお腹いっぱいでありました。館の中で永遠にループする……というのも、いわば「永遠に『けいおん!(!!)』の部室に閉じこもってしまった」状態の比喩かと思います。ああ、写真の中のあの「輝き」だけが恋しい、みたいな。

 で、その「バッドエンド『けいおん!(!!)』館」をブレイクするのが、今話の物語。

 吉田玲子さん脚本の『けいおん!(!!)』アフター文脈作品については、全部観てると、「だいたいこういうことが言いたいんだな」というのが分かってくるのですが(けっこう作家性がある脚本家の方だと感じます)、『ハナヤマタ』にしろ『SHIROBAKO』にしろ、大まかには「中だけ(五人組だけ・部室の中だけ)に閉じないで、外の世界と繋がっていこう」ということです。『ハナヤマタ』で屋上のドアが開き、なるとハナが繋がり世界が開ける出だししかり、『SHIROBAKO』の、大人世界編では五人組のみにとどまらず、色々な人たちとリンクしていく展開しかり。

 そんな中で、今話も「外部とのリンク」で「バッドエンド『けいおん!(!!)』猫屋敷」が開かれるまでを描いた話。衒学もの作品なので「抽象的自我」という難しい要素も絡めてますが、シンプルにはバッドエンド『けいおん!(!!)』猫屋敷さんが外部の存在、特にルドルフとリンクしたことで開かれたという流れかと思います。

 かくして、言われてみると外見もさわ子先生に似てる気もする(顧問というポジションも含めて)姫野先生から「ティースポット」なる『けいおん!(!!)』キーワードも飛び出して、猫屋敷は「開かれた(外と繋がった)」場所へとステージアップした所で終劇。ラストはベランダという「中」と「外」の境界領域にいる晴彦と舞の会話のシーン(そしてこの二人がおそらく「境界」的関係にある:最後まで視聴してみないと分からないけど……)で、非日常の閉鎖空間的世界から帰還した二人という意味で『ハルヒ』ラスト的であり、「閉じた」世界と「外の」世界が繋がった後の風景という意味で『けいおん!(!!)』ラスト的でもあるという締め方。このシーンに意義があることで、疑似的に『ハルヒ』にも『けいおん!(!!)』にも意味はあった! とまとめていたと思います。

 ある意味、「非日常性」もアリさという方向に孤独の解消、「輝き」を求めた『ハルヒ』に対して、「日常」側にそれを求めた『けいおん!(!!)』、だとするならば、本作はコンセプト通り(それこそ、現実/ファントムは両義の見え方の違い? 的な)に、その両者の「境界」にそれを求めてる作品という気がしてきております。

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→前回:『無彩限のファントム・ワールド』第6話「久留美とぬいぐるみ王国」の感想へ
→次回:『無彩限のファントム・ワールド』第8話「猿温泉を突破せよ!」の感想へ
『無彩限のファントム・ワールド』感想の目次へ

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