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 アニメ『マクロスΔ(デルタ)(公式サイト)』第5話「月光 ダンシング」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 「歌う」「踊る」「飛ぶ」といった自由な行為に対して、それらを閉じ込める「閉鎖された場所」が同時に描かれてると思われる本作。それらはコンテナの中とか、エレベータの中とか、コックピットの中とか、ヘルメットとか、鎖国していたウィンダミア王国自体とか、様々に劇中の中に象徴表現を伴って出てきます。

 そのような「閉鎖された」場所というか思考に、「過去からの呪い」のようなものが加えて描かれ始めた回だったのかなと感じました。

 ウィンダミア王国がひどい目にあったらしいのは40年前ということで、寿命が30年のウィンダミア人からすると、現在の自分が生まれる前なのですね。この、自分が生まれる前の過去の呪い、犠牲者意識で現在のウィンダミア人が戦ってるというのがポイントなのかなと。自分たちが生まれた時点で、世界への復讐とか、そういう方向にレールが敷かれているというのは、上記の「歌う」「踊る」「飛ぶ」といった自由性とは真逆な感じです。こっちが、ウィンダミア人=フレイアサイドの「過去からの閉鎖性」。

 一方で、今話ではミラージュさんも「過去」「自分が生まれる前」に言及するくだりがあります。祖父母の時代の、地球人とゼントラーディとの恋物語、相互理解物語。

 この過去の話自体は良い話だし、ミラージュさんもその物語を肯定的に捉えているのは伝わってくるのですが、その過去の物語を、(本人は無意識にしろ)現在のフレイアにも敷いてしまうような言動をしてしまうのは、今話時点で、ミラージュさんもまた「過去」に囚われていて、自由ではないというシーンに思えました。ゆえに、作中で「自由」な人として描かれているハヤテは、ミラージュさんのその語りに反感を示すと。こっちがミラージュさんサイドの「過去からの閉鎖性」。

 両者の「過去からの閉鎖性」の源流には「戦争」という問題があるのに行き着きます。ゆえに、ここまで幾重にも描かれてきた、「歌う」「踊る」「飛ぶ」といった自由な行為を閉塞させる存在としての「戦争」。劇中で、何故か今の所過去のしがらみもなく、それゆえに一番自由であれるかもしれないハヤテが、歌ったり、踊ったり、飛んだりするために、それらを閉塞させる戦争を終わらせると決意したところで次回へ。

 アニメーション作品とはいえ、リアル世相もある程度反映している昨今(視聴者も作り手も現代を生きてる人だから)。東日本大震災後は、文化的なもの(それこそ、歌、漫画、アニメ、エトセトラなど)の意義を守るために、災害的なもの(象徴的なものを含む)を乗り越えて進んでいく……というストーリーラインの作品が多くなったと感じておりましたが、今作は、同じくカルチャー的なもの(「歌う」「踊る」「飛ぶ」)の意義を守りたいみたいな話だと感じるのですが、そのために向き合う対象としては、戦争とか、過去からの呪い……を設定している作品なのかなと感じ始めております。そういう閉塞的なものを乗り越えて、ハヤテが自由にバカバカしくウミネコジャンプできるのか? って感じの作品なのかなーと。

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→前回:マクロスΔ第4話「衝撃 デビューステージ」の感想へ
→次回:マクロスΔ第6話「決断オーバーロード」の感想へ
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【関連リンク1:当ブログの以前の『マクロス』感想】

当ブログの『マクロスF』の感想

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2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)