ネタバレ注意です。
前話のソフィーの抱く「サムライかくあるべし」という見解、現代では時代劇や謎の信長ロボットアニメにだけ残ってる「(模造品的な)サムライ」、そういう「サムライ観」の話が続いているエピソードだと感じて、二点。
一点目は、「1対1」=サムライ? という要素。敵側もヘッドレスも含めて囲み込んで戦って来たり、味方側ではソフィーやトムがコンビネーションなどで戦っているのに対して、剣之介は基本「1対1」という描写は意図して描いていると思われ。
二点目は、現れた敵さんの行動の、「自爆」=サムライ? という要素。こっちは、Netflix独占配信で海外向けも意識されてる本作ですが、何と言っても「サムライ=ハラキリ」のイメージはあるので、一種の「自棄」にサムライ性はあるのか? 今話だと死すべき時に死ねなかったと悔恨していた剣之介より、むしろ死んでみせた今話の敵さんの方がサムライだったのか? という視点もあると思われ。
なのだけど、この二点、「1対1」=サムライ、「自棄」=サムライ……という「サムライ観」は共に、現在がまだ第六話だからというのもあるのですが、物語全体では「そうじゃないだろ」という要素になっていきそうな予感がします。第三話とか、あれも「1対1」のままでは小春は助けられなかった、現代文明との共闘も必要だったと描いた箇所だったのだと思いますしね。
この後、オールドファッションドで正統的な「真のサムライ」要素が見つかっていくのか、サムライ要素と現代文明要素とのハイブリッド化の方向へ行くのか、あるいはその両方なのかまだ分かりませんが、物語後半で、「ついに(物語上一番描きたかった意味での)サムライきた〜」な展開が描かれるのを期待したいのでした。
まさに、精神的な拠り所がない(夢とか持ちづらい程度に自分に自信がない・失踪した父親のことで自分のルーツに迷いを抱えている)由希奈が、(拠り所としての)「サムライ」に出会うっていうリアル世相的にもあるあるなストーリーラインだと思うのですが、個人的にはあまりにも懐古的な部分に拠り所を求める風潮も、一方で海外からのイメージのなんかチグハグなサムライ観もちょっと違うよな〜と(リアルの方で)感じていたので、「これだ!」というのを見せてくれたら嬉しいなと感じている作品です。
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→次回:クロムクロ第7話「東雲に消ゆ」の感想へ
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【関連リンク:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】
→2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)