ネタバレ注意です。
「想い人が遠くに行くのに何もできない男」で、剣之介と赤城くんが重ねられているのか。姫が遠くに行くのに何もできなかった剣之介という過去シーンと、由希奈が遠い所に行ってしまうのがはがゆいという現在の赤城くん。「馬」と「原付バイク」も重ねられていて、二人乗りで前に乗る方の人というポジションも剣之介と赤城くんで同じ。赤城くん重要キャラだったのですね……。こうなると、「何者でもない」赤城くんも応援したくなるぞ。
前回辺りから、「ハラキリ(敵における自爆)」『葉隠』のごとく潔く死ぬという要素とは別軸として「対話」という要素が出てきたと思うのですが、今話では、何重にも対話における「すれ違い」が重ねられて描かれます。
エフィドルグ(一応対話のメッセージは送ってる)と人類も対話が成立せず、再び戦闘へ……で引き、という大きいラインの他にも、ちょくちょくピックアップするだけでも、
・剣之介と知恵袋のネットの人達の「すれ違い」
・剣之介と赤城くんの「すれ違い」
・由希奈―和尚―茅原で電話による「伝達」が成立しないというシーン
・由希奈とお母さんの「すれ違い」
・由希奈と剣之介の「すれ違い」
スマートフォン、電話、通信といった伝達機器が何回も印象的に使われていて、こんだけ通信技術は発達したのに、人間と人間も、人間とエフィドルグもうまく通じ合えないといった状態。第一話が、由希奈のお母さんがスマートフォンを忘れていく……という出だしなのも、こういった「伝達の不在」みたいな要素が作品全体に絡んでくる暗示だったのかもですね。
Netflixでの世界同時配信を前面に出してる作品でこういう要素を扱うあたり、基本的には異文化間の「伝達」について意識してるのかなとは思うのですが、もっと根本的な部分での人と人とのコミュニケーションについても扱ってる感じ。
さすがに物理的にいきなりハラキリする人こそいないですが、何だか自分の中の世界でのことを一方方向で喋って、いきなり自棄的な行動に出る……みたいなコミュニケーションを取る人は、ネットでもリアルでもいたりで、それはどうよみたいな話。
いきなり自棄的な行動に出られたり、いきなりキレられたり、他人というものはよく分からない。けれども、だからといって、他人の中の世界のことはどうせ分からないという方に諦観的に突き詰めていってしまうと、今話でソフィーがちらっと言及したような、「他者を自由意思のない道具として扱う」という世界観にいってしまいます。
序盤の人類から見た剣之介も、人類から見たエフィドルグも、現在の剣之介から見た由希奈も「何考えてるか分からない」状態なのですが、だからといって道具扱いしていいかといったら、そっちのルートとはルート分岐していきたい。とすると、やっぱり第3話の剣之介と薬師和尚の「対話」のシーンが、重要なシーンだったのかなと。(ここで対話が成立して以降、人類側は剣之介を道具的に扱うのを緩和する)。
「だがね、信じてほしいんだ。同じ人として」(薬師和尚/第3話)
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→エンディング曲
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→次回:クロムクロ第9話「岩屋に鬼が嗤う」の感想へ
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【関連リンク:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】
→2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)