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 アニメ『ハイスクール・フリート(公式サイト)』第10話「赤道祭でハッピー!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
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 『けいおん!(!!)』〜『たまこまーけっと』〜『ハナヤマタ』ラインの、吉田玲子さんシリーズ構成の「(擬似)共同体」ものテーマの作品と感じる本作。

 これまで、水着とかお風呂とか、それこそ『けいおん!(!!)』っぽい「日常」パートが描かれかけるのですが、突然に危機がやってきて「日常」は中断され、非常事態の「非日常」パートに……という作劇が繰り返されてきた本作。

 なのですが、今話は「赤道祭」という「お祭り」、それこそ『けいおん!(!!)』の文化祭のような「日常」パートが、本作で初めて中断しないで最後まで描かれた回です。その意味・メッセージに対応して、サブタイトルからも初めて「ピンチ」が外れて「ハッピー」に。

 転機となった第7話(感想)から、第8話(感想)、第9話(感想)と課題をクリアしてきて、ついに「日常」を取り戻したのか……と一見見えるのだけど、世界の方ではパンデミック的な危機が進行中で、このお祭りの中でも、明乃だけは「日常」を意識的に守ろうとしている(この目線が、同じく吉田玲子さんがシリーズ構成を手掛けた(3.11後のポスト『けいおん!(!!)』的意味合いが強い作品である)『たまこまーけっと』のたまこと共通しているというのはこれまでの感想に書いてきた通りです)、いわば「メタ日常」の視線を持ってしまっている……というちょっと切ない回。

 リアル世相も受けて、『けいおん!(!!)』的「日常」はもう壊れてしまった……要素として、作中では「児童時間的紐帯が分断されてしまう」というのが何重にも描かれていて、例えば前話のミーちゃんとテア艦長、今話の麻侖さんと黒木さんなんかがそうです。子供の頃からの「繋がり」がある二人だったのに、世界が「非日常」になってしまったために「分断」されてしまっていた二人、という要素。

 これが、前話ではミーちゃんとテア艦長が、今話では麻侖さんと黒木さんが再合流して、「分断」が「縫合」されています。でも、じゃあめでたく「日常」が戻って来たのかというと、同じく児童時間的紐帯である明乃ともえかの「再合流」はまだ実現していない。それゆえに「日常」はまだ戻り切っていない……というのがこの第10話。3.11以降の文脈で、「日常」の復帰度のようなものには個人差がある……という部分を突いてる陽気さの中に真摯さがある一話だと思いました。お祭りで皆が笑ってる間にどこかで、そちらを大事なものだと尊重しながら、まだ笑っていない人がいる。

 こんなに楽しいお話なのに、ラストシーンは独りで晴れない表情の明乃。残り2話かな。第7話の感想で詳しく書きましたが、明乃は震災孤児の比喩というキャラクターかと思います。周囲が成長してるのは、最後に明乃ともえかの「日常」を取り戻すために、周囲が助力してくれる展開への仕込みだと思うので、しかと見届けたいのでした。復帰できた人から助力して、復帰できてない人に力を貸していかないと。僕もそろそろ復帰してきたので、何かやりたいですよ。

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→前回:『ハイスクール・フリート』第9話「ミーナでピンチ!」の感想(ネタバレ注意)へ
→次回:あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想へ
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【関連リンク1:当ブログの吉田玲子さんシリーズ構成・脚本作品の感想】

『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について
『けいおん!!』最終回の感想はこちら
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『けいおん!(!!)』シリーズ構成の吉田玲子さん脚本による「バッドエンドけいおん!」を浄化する物語〜無彩限のファントム・ワールド第7話の感想(ネタバレ注意)

【関連リンク2:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】

2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)