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ネタバレ注意です。
今回はTwitterの投稿を掲載する+付記みたいな形で。
最終回感想 #はいふり 1)明乃が「家族」にこだわるのは、幼少時に両親(「家族」)を亡くす「破綻」を経験しているから。最終回ではくり返されかける「破綻」的な出来事を前に、明乃がもえか(「家族」ポジション)を今度は守れるかに焦点があたる。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 2)「破綻」的な出来事を遠景に、共同体(本作では主には「晴風」という共同体)の維持と再構築を描く物語としては、吉田玲子さんシリーズ構成作品では、『けいおん!(!!)(部活共同体)』→『たまこまーけっと(商店街共同体)』のラインと本作はかなり重ると思います。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 3)『けいおん!(!!)』で「日常」の共同体を描いた後、東日本大震災後の『たまこま』では、「無条件で『日常』の共同体は成立しない」ということを描いていた。吉田玲子さんにはその間にもいくつか代表作があるけれど、本作は特に『たまこま』からの直系という印象です。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 4)「日常」作品『はいふり』で広報しておいて実は「非日常」もある『ハイスクール・フリート』でしたと転換する第1話も含めて、(水着回的な)「日常」が突然訪れるピンチで成立しなくなりかける→「日常」を守るために対処……という作劇が本作では何度もくり返されます。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 5)「日常」では繋がりが維持できていたのに「破綻」的な出来事が迫り、「分断」されてしまった「家族」的な二人……というモチーフが、メインの明乃ともえかの他にも、ミーちゃんとテア艦長、黒木さんと麻侖さんなど重ねて描かれています。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 6)そういった「分断」を、ピンチを乗り越えることでもう一度繋ぎ直していく。「日常」の維持と再構築を目指していく……というのが物語全体の動力なのですが、最終回は、最後の象徴としての「もえか」を取り戻すというミッションが描かれます。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 7)もえかに象徴させているのは「日常」かもしれないし「家族」かもしれないし、「萌え」かもしれないし、視聴者それぞれの(特に)震災後に失いかけているものに置き換えが可能です。それを救出に向かう晴風を、皆が援護してくれるという理想の「共同体」の姿が描かれます。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 8)晴風が武蔵に激突するシーンがかなり良くて、戦艦擬人化ならぬ人間(明乃)擬船化。もえかのような立ち場の人(被災者にしろマイノリティにしろ)を助けに行けば自分も傷つく感じが出てたと思う。それでも助けに行く。そういう立場の人も見捨てない共同体でありたい的な。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 9)地味に良かったのがましろが明乃を岬さんと呼ぶ所。「破綻」経験者の明乃と非経験者のましろ。リアルの被災した人としなかった人にも置き換えられそうなこの二人の心理的なズレが、第7話、第11話と経て解消に向かい、ついに両者が対等になるまでの物語でもあった感じ。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 10)また再び訪れた「破綻」的ピンチを乗り越えて「日常」に帰還したシーンでもある(もう艦長と呼ばなくていいから岬さん)。作中で「日常」の象徴だったネコ(五十六と第7話で救出したネコ)も下船。ましろさんの台詞は「帰ってきた」。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 11)しかし「日常」が戻ってめでたしめでたしでは終わらない。やはり吉田玲子さんシリーズ構成の「日常」テーマの作品でも、震災以降の『たまこま』の系譜。無条件で『けいおん!(!!)』には戻れない。「日常」への帰還・その維持・再構築の代償に「晴風」は沈んでいく。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 12)沈んでゆく晴風が象徴するのは、「日常」の維持のために自分は後回しだった明乃自身かもしれないし、我々の「日常」を支えてくれてる土台・インフラのようなものかもしれない。そんな、我々の意識の外で、傷つきながらも「日常」を守ってくれてる存在は尊いから。敬礼。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 13)周囲の「日常」を優先して打ち明けられなかった「破綻」経験者としての自分の内面の告白。「破綻」非経験者側の人(ましろ)との関係性の対等化。壊れかけた子供の頃の紐帯(もえかとの関係性)の縫合。そういう物語を全てクリアできたのでラストシーンは……。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
最終回感想 #はいふり 14)ED曲の歌詞「微笑み忘れたら わたしが笑うよ」と重なりながらの、第10話(まだもえかの問題があった)とは違う明乃の心からの笑顔。「破綻」を経験した日(視聴者それぞれに色々置き換え可能)から、ようやく「日常」の中で笑える所に辿り着けたというラスト。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
(最近だと、『無彩限のファントム・ワールド』がもろにこのタイプの作り方をされておりました。受け手側次第でおっぱいアニメの方向にも受け取れるし、『ハルヒ』文脈の総決算みたいな方向にも受け取れるという。それこそ、劇中で言及されていた「クラインの壺」の見え方の違いのごとく。→参考:『ハルヒ』放映開始から十年、京都アニメーションがここまで進めた「日常」と「非日常」にまつわる物語〜『無彩限のファントム・ワールド』最終回の感想(ネタバレ注意))最終回感想 #はいふり 15)受け手側次第で、女の子いっぱいで楽しい的な気軽なエンタメ方面にも、作家性を出してる側の吉田玲子さんシリーズ構成の文芸方面にも、どっちとも受け取り可能な感じに立体的に作られていて(世相を受けてか最近こういう作り方するの多い)、堪能した作品でありました。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) 2016年6月26日
その他の見どころとしては、最終回にちゃんとミーちゃんとテア艦長が来てくれて良かったですね(実はミーちゃん派だった?!)。「家族」的な二人が分断されていたのを明乃と晴風が助っ人になってくれて再会できたので、今度はお返しに明乃ともえかが再会するのを助っ人に来てくれる。テア艦長の台詞は「借りを返す」。この仁義感はミーちゃん経由の邦画経由なのだろうか。
そして、ずっと「ネコ=この作品では『日常』の象徴」説を唱えていた身としては、「日常」(=陸)への帰還シーンでちゃんと五十六が印象的に描かれて良かった。
個人的には、最後に使うのは噴進弾ではなく五十六を砲弾として装填して五十六砲を発射してくれたりしても盛り上がったんだけど(え)、本作の作品内「ファンタジー−リアリティ」度調整では、そこまではアウトだった模様。
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→前回:あの日欠けてしまった人の日常(=マヨネーズ)に私がなるということ〜『ハイスクール・フリート』第11話「大艦巨砲でピンチ!」の感想へ
→『ハイスクール・フリート』感想の目次へ
【関連リンク1:当ブログの吉田玲子さんシリーズ構成・脚本作品の感想】
→『けいおん!』と『ハナヤマタ』で重ねられている演出とその意図について
→『けいおん!!』最終回の感想はこちら
→『SHIROBAKO』(シリーズ構成ではなく同テーマのキー話の脚本)の感想へ
→『けいおん!(!!)』シリーズ構成の吉田玲子さん脚本による「バッドエンドけいおん!」を浄化する物語〜無彩限のファントム・ワールド第7話の感想(ネタバレ注意)
【関連リンク2:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】
→2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)