ブログネタ
マクロスΔ感想 に参加中!
 アニメ『マクロスΔ(デルタ)(公式サイト)』第13話「激情 ダイビング」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 新統合政府サイドのプロトカルチャー遺跡爆破により、これまで丁寧に描かれてきた惑星ラグナの「日常」、「文化」というものが一瞬にして喪失してしまいます。ウミネコと戯れた日々とか。クラゲ祭りとか。第8話(感想)ラストで隊長が「帰る場所・日常」というニュアンスで語っていた風景。これまで丁寧に(作画とかそういう意味でも)描いてきた部分だったので、全て壊れる・破綻してしまうというのは厳しいです。メインキャラの何人かも(おそらく)巻き込まれて死亡。

 しかし、戦争とはこういうものなのでした。踏みにじられるのは、「日常」であり、「文化」、という描き方。

 そういう破綻的な状況で、二つくらい希望的な事柄が描かれていて、一つ目は、ハヤテが自機が壊れても、メッサー機で再度出陣するシーン。死してもクラゲになって転生する的な惑星ラグナの「文化」的信仰を体現しているという展開。「文化」、もうちょっといって「たましい」のようなものは大きな破綻の中にあっても継承し得る、というのが感じられる熱いシーンでありました。

 二つ目は、フレイアさんのダイビング「一度だけの恋なら」。つまり、この破綻的な状況でも「歌う」ということ。作中、というかマクロスシリーズで「文化」の象徴として物語に組み込まれている「歌」です。惑星ラグナの「日常」も「文化」も戦争の前に壊滅。ワルキューレももうダメだ(傷を負う美雲さん=強い「文化」でも戦争の前に劣勢)という状況で、フレイア単独で「歌」・主題歌を歌い出すというのは熱い。クライマックスで主題歌流れる演出はやっぱりイイよね……。

 命かけて歌ってるのはハインツ王子も同じなんだけど、フレイアさんの方が勝ったのは、フレイアさんの方が「届けたい」歌だからだよな……。ちゃんと、『マクロスF』からテーマも繋がってる(「歌」とは何か。バジュラの「歌」とは何だったのかとかの終盤のあたり)。

 フレイアさんの「歌」で逆転しつつも、惑星ラグナは放棄という展開で第1クールは一区切り。ここから、第2クールは惑星ラグナに象徴される失われた「日常」・「文化」を取り戻すみたいな流れになっていくのだとしたら、本当震災後のマクロスって感じだなぁ。

→アルバム

Walkure Attack!(初回限定盤)(DVD付)
ワルキューレ
FlyingDog
2016-07-06


→Blu-ray



→前回:マクロスΔ第12話「キング・オブ・ザ・ウィンド」の感想へ
→次回:マクロスΔ第14話「漂流 エンブレイシング」の感想へ
マクロスΔ感想の目次へ

【関連リンク1:当ブログの以前の『マクロス』感想】

当ブログの『マクロスF』の感想

【関連リンク2:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】

2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)