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 アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!(公式サイト)』第3話「ファーストステップ」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 本作には、下記の感じの対照が見て取れるという感想を書いておりました。


 梨子(システムの中で生きていた東京の人)―千歌(システムの外で生きていた地方の人)
 μ's(ミューズ)文脈―Aqours(アクア)文脈
 『ラブライブ!』という作品―『ラブライブ!サンシャイン!!』という作品
 東京―地方


 で、左側と右側が(何らかの意味で)「同格」になるのを志向する物語なのではないか、と(物語冒頭時点では、左側が圧倒的に強い)。

 前回は、ラストの伸ばし合った手と手を触れ合わせるシーンにて、とりあえず人間関係に置いて梨子と千歌が「同格」になれたっていうシーンなんだよ、と感想で書いていたのですが。

 今話は、思っていた以上に、


『ラブライブ!』という作品―『ラブライブ!サンシャイン!!』という作品


 この対照もガチで物語に組み込んでいるんだなという印象を強く受けました。メタフィクションの色合いが濃い作品です。

 第一話ラストは三人で踊り狂う。第三話がファーストライブでお客さんが来るかが焦点……など、意図して『ラブライブ!』という作品と『ラブライブ!サンシャイン!!』という作品の作りが重ねられているのですが、やっぱり、その上で、『ラブライブ!サンシャイン!!』がどう『ラブライブ!』と違う作品として「同格」にまでなれるか? みたいな視点があると思うのですね。

 今話なんて、もろに千歌に、「目標はスクールアイドルμ'sです!」って台詞で言わせてしまって、劇中にまさに、Aqoursはμ'sと「同格」になれるのか? という物語が明示的にも組み込まれています。

 で、そのメタ階層として、作り手たちは『ラブライブ!』という作品に対して『ラブライブ!サンシャイン!!』を「同格」にまで持って行けるか? という視点が存在している。構成を似せているからこそ、自ずと『ラブライブ!』の第三話と、『ラブライブ!サンシャイン!!』の第三話は比べられてしまうという構図を、意図的にやっているという話ですね。

 『ラブライブ!』一期の第三話は、日本アニメーション史に残る勢いの神回なので、それに『ラブライブ!サンシャイン!!』第三話が挑むという、メタ物語を作品に組み込んでいると。

 劇中でμ'sが敷いたスクールアイドルシステムにただ乗っていれば楽であるように、劇外でも『ラブライブ!』の成功事例に甘んじていれば楽な気が一瞬するんですが、それって「先が読める」っていうことで、人間の本質的な部分においての「自由」性とは違うのですね。

 ハンナ・アーレント的な意味での「自由」って、(ざっくりとは)「閃いた予想外の事をやれること」ってことですから。それがAIに(しばらくは)代替されない人間の本質。後述しますが、『仮面ライダーディケイド』のことを語りながらこの作品観てるのTJさん(ブログTwitter)だけなんじゃないの!? みたいな感じで、ハンナ・アーレントのことを語りながらこの作品観てるの僕だけじゃないか!? と思いながら今、この文章書いてるよ。「自由」を守るために闘う。うむ。『スクールアイドル』は、『仮面ライダー』だったんだ(え)。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)
ハンナ アレント
筑摩書房
1994-10


 一応、僕の(前作&今作を重ねた)第三話感想も記しておくと、電気が落ちて一旦歌えなくなってから、ポータブル・エナジー・ジェネレータで電気を再供給して再起動するのは熱いと思いましたよ。上記の、重ねつつも『ラブライブ!』第三話とは違う部分を見せるという要素、そうきたかと。

 深読みだけど、『ラブライブ!』という作品は、何かと「街の電気」を美しいものとして演出として使っていました(僕の『ラブライブ!』の方の感想記事を参考)。だけど、その電気って地方で発電してんじゃん、的な視点も可能なわけです(上記の対照表の「東京―地方」の部分。そこに「同格」性はあるの? なんか、からまってしまった状態になってるんじゃないの? という視点)。

 学校にポータブル・エナジー・ジェネレータのストックが大量にあるのは、(ある視点からは)静岡の沿岸部舞台の作品としては、南海トラフ地震に備えているからとも捉えられます。そこから連想されるのは既に実際にあった東日本大震災です。

 2011年後のアイドルアニメとして、劇中で震災をあったことにした『Wake Up, Girls!』(感想)という作品と、(直接的な描写としては)なかったことにした『ラブライブ!』という作品の対照を個人的にずっと考えていましたが、今話を見て、やっぱり『ラブライブ!』の方も気にしてくれていたんだなと思いました(大ヒットしてから、怒涛の地方巡りとかやってくれてましたしね……)。

 そういう意味もあって、一度歌えなくなりかけてから、ポータブル・エナジー・ジェネレータで復活という展開は熱いと思ったのでした。音ノ木坂と違って、街の光はないけれど、地縁と防災力がある地方。何か悪いか? という。


 「人少ないですからね、ここらへん」
 「大丈夫よ、みんな、温かいから」



 閑話休題。

 ここで面白くなってくるのが、TJさんの黒澤ダイヤ=鳴滝さん(『仮面ライダーディケイド』の)説です。

 『仮面ライダーディケイド』という作品のメタ物語作品性については、僕のこの記事やTJさんのまとめなどを参照。↓


仮面ライダーディケイド最終回・メタ解釈の解説

ディケイド考/togetter


 千歌はスクールアイドルのファッション応援者の「普通星人」(視聴者と重なる立場=門矢士と重なる立場)、ダイヤさんはスクールアイドルガチ勢で、いわば原典原理主義者(鳴滝さんと重なる立場)……という。

 『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』最終回の感想の時も書いたけどさ、


参考:『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』最終回の感想(ネタバレ注意)


 視聴者に重なる(μ's・スクールアイドルの応援者)メタスクールアイドルの主人公が、最後に本当のスクールアイドルになるまでの物語なのだとすると。會川昇さん(Twitter)がシリーズ構成でも映えたくらいの勢いです。(『ディケイド』と『コンレボ』の脚本の方ね)

 「通りすがりの仮面ライダー」=「普通星人」=「通りすがりのスクールアイドルよ!」(ここで例のBGM)……こ、この話。た、たぶん僕とTJさんだけが興奮してる(え)。

 TJさんの論文発表が待たれます。僕はやりませんが(え)。だって、ラブライブ!学会って、神学論争とかやっておられるんでしょ?(危険発言)

 この流れだと、門矢士と同様に、Aqoursは最後に(μ's=原典とは違う)「自身の物語」を獲得するラストになりそうにも一見思えるのだけど、それはそれとして、今話の、ダイヤさんに成功は「街の人の善意のおかげ」&「(ミューズが敷いた)スクールアイドルシステムのおかげ」と言われても、千歌が(ある意味)その通りですが何か? みたいに返すの、もうちょっと先の物語まで見せてくれるのかもしれない。


参考:AKB48・μ'sが敷いたアイドル「システム」をブチ殺す(え)段階に入る? 10年代後半型アイドル達:『ラブライブ!サンシャイン!!』・『アイカツスターズ!』そしてSCK GIRLS


 で、書いたように、μ'sシステムを壊すなり、別の道を行くなりするのかなと思ってたのですが、なんか、μ'sシステム自体は認めた上で、それを含有した「次の世界」までいくのかも(二期くらい?)。今話だと、「街の人」大集合は熱いよな。丁稚さんが『ラブライブ!The School Idol Movie』の感想で指摘していた、


参考:「スクールアイドル・プロジェクト 第0話」としての『ラブライブ!The School Idol Movie』/ねざめ堂


 (いわゆる)神モブがアイドルにクラスチェンジすることで失われてしまうものを、改めてまた回復している。今話はお姉ちゃんも街の人もカッコいい。

 μ'sにも限界があったというのも描いているフシがある本作です。音ノ木坂にいても「輝く」ことはできなかった(ピアノが弾けなかったくだりね)梨子という「(喉に)刺さった棘」のようなものが、彼女が千歌と、Aqoursと、地方と関わることで、どう抜けていくのか。上記対照表で「非対称」にたぐまってしまっていたもの(両者の関係)が、どう解かれていくのか、そんな物語も予感させる第三話までで、続きも楽しみなのでした。

→Blu-ray



→OP主題歌



→前回:『ラブライブ!サンシャイン!!』第2話「転校生をつかまえろ!」の感想へ
→次回:『ラブライブ!サンシャイン!!』第4話「ふたりのキモチ」の感想へ
『ラブライブ!サンシャイン!!』感想の目次へ

【関連リンク1:当ブログの『ラブライブ!』前シリーズの感想】

ラブライブ!The School Idol Movie/感想(ネタバレ注意)
『ラブライブ!』(1期&2期)感想目次はこちら

【関連リンク2:アイドル論@2016年】

AKB48・μ'sが敷いたアイドル「システム」をブチ殺す(え)段階に入る? 10年代後半型アイドル達:『ラブライブ!サンシャイン!!』・『アイカツスターズ!』そしてSCK GIRLS

【関連リンク3:当ブログの2015年アニメーション作品ベスト10記事】

2015年アニメーション作品ベスト10〜共同体から零れ落ちた人間にも、それまでとは違うカタチなりの祝福を(ネタバレ注意)