相羽です。

 東日本大震災から7年。

 宮城県は仙台で暮らしていると、まだまだ色々と続いている感覚です。

 悲しい出来事は起きなかった方が良いのですが、起きたことをなかったことにもできないので、できるだけそこから学んで次の備えに生かしていきたいところです。

 また、最近よく書いてる「両義」的にとらえるという観点からすると、悲しい出来事の中にも、裏を返せば良いことも見つけられたりします。

 もちろん震災が起きて良かったみたいな話じゃ決してないです。悲しい出来事の中で浮かび上がってきた良い点があったのなら、その点は大事にしていけたらなという話です。

 壮大なスケールでの(復興とかの)グランドデザインが大事な一方で、特に権力を持ってるとか、そういうのじゃなくてもめっちゃ卓越した能力があるとか、めっちゃお金があるとか、そういうのではない一般人である我々は、小さく地道に日常を積み重ねていくことも大事かと思います。

 「良かった」が見つけられた点は、少しずつ伸ばしていくこと。

 変えた方が良いと分かった点は、少しずつ変えていくこと。

 小さくその繰り返しの日常を生きていくということ。

 その営みを守るように生きていく、という方針です。

 この辺りは、京都アニメーションイズムに共感していたりします。

 『たまこまーけっと』エンディングの回るレコードの表現もイイですが、今思うと『小林さんちのメイドラゴン』エンディングの回り続ける日常の表現もすごいイイですよね。


参考:パッヘルベルの『Kanon』のように「繰り返し」ながら「受容」の「共同体」は波打つように少しずつ豊かになってゆく〜『小林さんちのメイドラゴン』第5話の感想


 本日はせっかくなので、「良かった」が見つけられた点の方を、少し思い出しつつ、いくつか書いておこうと思います。

 良かったこと。

 本震の日、半身不随の母をマンションの上の階から下まで下すのをマンションの人が手伝ってくれたこと。

 母親重いwので、僕一人では抱えて避難はできなかったのですが、これまでそんなにも交流がなかった同じマンションの人が手伝ってくれました。
 介護を一人で抱え込む感があった僕なのですが、やがてマンションの人とかと携帯の番号交換したりして、今は僕が外出してる時に母親に気がかりなことがあった時は、マンションの住人の方に電話して見に行って貰ったりもできるようになったりしています。

 母親に関しては避難所でもよくして頂いたこと。

 少なくとも僕がいた避難所では、あの状況でも車椅子の母親に対してそうとう配慮して頂きました。今でも思い出すと感謝の念が湧いてきます。

 父親が避難所で子供にお菓子をあげてたこと。

 明日の食糧もどうなるのかという頃でしたが、父親エライな〜と思って記憶に残ってることです。

 工事のおじさんが本震の翌日から壊れた道路の復旧作業をしていたこと。

 何度か書いてますが、あのおじさんこそがヒーローだと今でも思ってます。

 タコヤキ屋さんも翌日から材料がなくなるまでお店を開けてたこ焼きを焼き続けていたこと。

 『アンパンマン』のやなせたかし先生のヒーロー観が有名ですが、お腹が空いてる人に食べ物を供給し続ける人。あのたこ焼き屋さんも今でもヒーローだと思ってます。

 近所のスーパーが、在庫分を数量限定で販売する対応に出て、みんな長い列で並んでいたこと。

 僕も並んでいましたが。これ、今でもよく分析しきれてないのですが、日本人あの状況でもちゃんと並ぶんだよな……。多く寄こせみたいなことも言わず、ちゃんと並んで割り当てられた数量分買っていくっていう。たぶん、良い点なんだと思います。

 思考の幅が広がったこと。

 震災前はせいぜい100年〜1000年くらいの歴史スパン観で生きてた気がするのですが、それでは来る来るとは言われていた宮城沖地震をはるかに超える規模で震災が起こったのに備えられなかったので、今では1億年くらいの歴史スパン観で生きてる感じです。

 なので、東日本大震災が実際に起こったので、起こる可能性が高いと言われてる南海トラフ地震や首都直下地震、あるいは富士山の噴火も、僕が生きてる間に経験し得るという実感のもと、日々の行動を決めてる感じで今は生きてます。

 住んでる街の良さを改めて感じたこと。

 もともと故郷の仙台近郊は好きな人でしたが、震災後に徐々に復旧していく過程に付き合っていくうちに、さらに愛着を感じるようになった気がします。

 散歩して、何気なく街角にある小さい神社にお参りしてみたりしていますw

 小説を書いたこと。

 震災の前から書いてましたが、『妹の紋章』『こちら街アカリの復興部!』は震災を経験しなかったら書かなかったですね。

 そういう意味では、震災が起こらないで書かれなかった方が良かった作品なのかもしれないのですが、うーむ、もし震災が起こらなかったら今頃どんな作品や文章を書いていたのか、ちょっと想像し切れないです。

 『非幸福者同盟』の残りと、あと今書いてる新作の「歴女ファンタジー小説(仮)」までは震災のことも絡めた小説を書きます。その後はとりあえず未定。なんか、今書いてるやつは代表作になりそうな気とかもしてるのでした。

 『Wake Up, Girls!』。

 震災後も色々な作品に触れましたが、一つあげるならこれですかね。この作品も、今思うと震災がなかったら作られなかったわけで、そういう意味では哲学チックには本来的には作られなかった方がよかった作品みたいな、矛盾っていうか、そういう要素の上に成り立っていた作品でもあったんだな〜とか。


参考:『Wake Up, Girls!』の感想


 山本監督のところまでは本当良かったな〜。

 特に劇場版『Wake Up, Girls! 七人のアイドル』ですね。これも何度も書いてますが、「タチアガレ!」が始まって、最後に続いてる仙台の街灯りのシーンで終わるの、自分の故郷が舞台になってるというのもあるのですが、一生ものの作品になりましたね……。



 とりあえず、そんな感じで。

 七年経ちましたが、引き続き、やりたいこと、やれること、少しずつやっていこうと思います。

 ではでは!

以前書いた文章:2016年「アニメ作品」ベスト10〜過去の悲しい出来事を受け取り直し始める震災から五年後の想像力(ネタバレ注意)