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 相羽です。

 アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト(公式サイト)』第九話「星祭りの夜に」の感想です。

 第一話は、現在「スタァライトチャンネル(公式チャンネル)」で観ることができます。↓
 感想は、ネタバレ注意です。

 一部、前日譚コミックス版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』第1巻のネタバレも含みます。
 ◇◇◇

 確認しておくと、大場ななさんが抱えてる課題は「孤独」で、どうもそこには「競争」から「脱落(敗北)」すると「孤独」だ……というような世界観があるようだということ。

 その意味で、ばななさんは「聖翔音楽学園第九九期生」から脱落した「『成瀬さん』と『逢坂さん』」に共感を示しており(第七話)、ざっくりとは、


 「あぶれていた女児(コミックス版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』第1巻』)」=「脱落した『成瀬さん』と『逢坂さん』」=(第二話で敗北した)星見純那=「孤独だったかつての大場なな自身」


 という擬似的なイコール関係の構図が成り立つようだ……というのをこれまでの感想で書いてきました。

 その上で、今話で断片的に明らかになったばななさんの「孤独」にまつわる過去を解釈してみると、どうも、中学の時の演劇部(?)で部員が離れていってしまって(あるいは最初から集まらなかった?)「孤独」だったらしいということ。

 これは、大場ななさんは「競争」の犠牲者的なポジションゆえに「孤独」なのだろうというこれまでのこのブログの感想の解釈に合わせるなら、中学時代のななさんは「選ばれなかった」人なんだという描写なのだと思います。

 離れていった、あるいは集まらなかった部員たちの素性は明確には語られませんが、たとえば受験(もろに「競争」ですよね……)の方が大事だったとか、演劇以外の活動を選んだ……とかだったら、やはり過去、ななさんは「競争」原理の中で「選ばれなかった」人なんだ、ゆえに「孤独」だったんだ……とこれまでの解釈に一本芯が通る感じです(本編の「オーディション」で「選ばれない」者たちと重なる)。「共同体」崩壊(あるいは不成立)の経験者なんですね。

 それゆえに、過去の自分的な存在、「競争」の脱落者(「選ばれなかった」人)、孤独者への共感が強く、そういった存在を守るために一気に超「共同体」的な永遠の「ループ」という方向に舵を切ってしまった人。


 「最高の舞台。大切な仲間たち。全部守りたいから。運命の舞台に、あの一年間の再演を選んだの」(大場なな)


 第九話前半までの大場ななさんはそういったキャラクターだと解釈しております。

 華恋との決戦中の、実は劇中劇「スタァライト」が嫌いという言述にも、こういった過度の「共同体」志向が垣間見えます。

 第九十九回の「スタァライト」の演目経験自体は永遠に追いかけるほど好きなので若干状況が複雑ですが、「スタァライト」のメインシナリオ部分、最後に「別れ」が待っているという部分が受け入れがたいと言ってるのですね。これは、「孤独」に脅え、超「共同体」的な「ループ」を敷いてる(「脱落者」が出ない世界)ななさんなわけですから、「別れ」を極度に恐れてるというのは分かります。

 そんな大場ななさんというキャラクターに対置されているのが、今回のレヴューの対戦相手でもある愛城華恋さんです。

 結果としては華恋さんが勝ちますし、信念の対決みたいな面でも大場ななさんの強い思想を(絵的にも)受け止めた上で打ち返したみたいな感じだったのですが、その、超「共同体」的な方向――変わらない永遠の「ループ」を願った大場ななさんに打ち返した部分の華恋の台詞がこちら。


 「ノンノンだよ、ばなな。『舞台少女』は日々進化中。同じ私たちも、同じ舞台もない。どんな舞台も一度きり。その一瞬で燃え尽きるから。愛おしくて。かけがえなくて。価値があるの。一瞬で燃え尽きるから。『舞台少女』はみんな舞台に立つ度に、新しく生まれ変わる」(愛城華恋)


 表面だけなぞるとやっぱり「変化」とか「進化」とか大事ということを言っており、超「共同体」派だったばななさんに対して「競争」派(上昇志向派)なの? とも捉えてしまいそうですが、どうもそういうわけでもなくて、華恋には「変化」を肯定しつつも「脱落者(孤独者)」もキラめける「別解」がある……という深層のニュアンスだと感じました。

 華恋(&ひかり)のコアとして、劇中劇「スタァライト」のヒロイン二人への共鳴も描かれていましたが、こちら。


 「記憶を無くしても親友との約束だけは忘れないクレールの強さ」(神楽ひかり)

 「親友のためなら危険を冒しても奇跡を起こそうとするフローラの勇気」(愛城華恋)



 華恋が惹かれる「奇跡」というのが、一つの勝者の椅子を目指して「競争」で争い合い「脱落者」や「孤独者」は淘汰されるという世界観ではなく、「ふたりでスタァになる」「一度敗北したとしても再びキラめける」という世界観を志向している部分なのではないかと。

 かなり明確にななさんから華恋がシステム&ループのブレイカーであると言及され、演出的にも「円(ループの比喩)」と「塔(「競争原理」の比喩?)」のマークから華恋が出ていってマークが消滅すると、カッコいいものでした。

 どういう意味で華恋がシステムブレイカーなのかというのは、第二話の感想に書いておりました。↓


参考:少女☆歌劇 レヴュースタァライト/感想/第二話「運命の舞台」(ネタバレ注意)


 ざっくりとは、「競争」で敗北した人間にも、「星」「キラめき」を「スタァライト」する世界観の持ち主。

 こうして、華恋が勝利し、ばななさんが敗北するのですが、これでばななさんが「競争」の敗者、「脱落者」として淘汰され再び「孤独」に突き落とされるのでは、解決になってないですし、華恋の「世界観」(別解)が本当の意味で大場なな「ループ」を上回ったことにもなりません。

 ここで、第二話で「競争」で敗北したけど再び華恋に照らされた純那さんが、今回また「競争」で敗北した大場ななさんの救いになるというカタチで、「脱落者」への救いの連鎖のようなものが描かれます。この辺りの流れは当初からじんわりと示されていた華恋が志向している「別解」、「みんなをスタァライトする」世界観がカタチを帯びてきて、様相が何となく分かるようになってきたかなと感じる部分です。

 星見純那さんが二つの意味で大場ななさんを救います。

 「星」が「スタァ」で作中の「キラめき」の比喩になってる作品ですから、「星見」っていう名字まで物語上のキャラクター配置と関係してたのかという構造美も感じつつ。

 一つ目に、まず、純那さんはななさんの「星」を見つける。大場ななさんも、「ループ」しつつも完全な「変化」拒否ではなく、再演の度に台詞を変えたり演出を加えたりはしていたのです。その志向は「舞台少女」のものであり、ゆえに大場ななさんも「舞台少女」であると。

 二つ目に、過去においては「競争」の脱落者として、「ループ」中は「ループ」の特異者ゆえにずっと「孤独」だったばななさんにおいて、テリー・ライスさん(Twitter)の第七話の感想、


参考:「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#7 舞台少女の条件/In Jazz


 ……でいうところの「(物語上の)記号的存在」ではなく「人間」としての大場なな個人を純那さんが見つけて抱きしめるということをやります。


 「知らなかった。ななって、こんな大きいのに、怖がりで、泣き虫で、子供みたい」(星見純那)


 怖がりで、泣き虫で、子供みたいな、大場ななさんを見つけてくれた。

 アニメ前日譚コミックス版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』にて、「ひとりぼっちの子を ちゃんと見つけてくれる人だって思ったの」と、「私も 昔は1人だったから」と言っていた大場ななさん。


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(画像は『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』第1巻(電撃コミックスNEXT)より引用)

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 「(純那は)ひとりぼっちの子を ちゃんと見つけてくれる人だって思ったの」(大場なな)


 今にして振り返ると純那さんに対する「いつか私のことも見つけてね」的なサインだったわけですが、今話ラストで、見事にこのサインに対するアンサーが純那さんから返ってくるという流れには感動しました。百合だ……、でも百合っていうか、尊い……。

 ラストのラスト、最後に残った「脱落者」問題に関して。

 過去の「孤独」だった大場ななさんとか、脱落した「『成瀬さん』と『逢坂さん』」とか。どうするのか。

 そういった人たちを守りたかったこれまでの大場ななさんの象徴である「第九十九回聖翔祭の『スタァライト』の台本」に対して。


 「持っていこう。あなたが大切にしてきた時間。守ろうとしてくれたもの。全部持っていこう。『次の舞台』に」(星見純那)


 「脱落者」たち(彼女たちがいた時間)も、次の舞台に(何らかの意味で)持っていく。

 かなりもう、作中解に近い辺りを言葉にしてるのかなぁと感じました。

 脱落した「成瀬さん」と「逢坂さん」とかが何らかの別なカタチで「次の舞台」に関わってくるとかだったら分かりやすいですが、そこまで分かりやすくなくても、たとえば「ループ」が解けた後の「変化」した「世界」で、「成瀬さん」と「逢坂さん」たちも何らかのカタチ(たとえ「舞台」関係じゃなくとも)で自分の「星」を追っているのだとしたら。そういう世界観を信じることができたなら。

 今、こうして敗北したななさんを抱きしめてくれる純那さんがいる。

 前回第八話の感想で、


>踏み込んで言うなら、それは、どこかで他者を信じられない、ということです。深刻な「孤独」という課題を抱えているのでまあそうだろうなぁという心理なのですが、永遠に「ループ」してでも「守る」というのは、捉え方を変えると「私が守ってあげないといけない」=「みんなの自発的な可能性(キラめき)を信じていない」ということです。


 ……と書きましたが、

 今話ラストでは、大場ななさんが「守ってあげなきゃ」という強迫観念、脅えを手放せる瞬間が描かれていたと思います。

 自分における今の純那さんのような、敗北した人間のキラめきを見つけてくれる人が、「成瀬さん」や「逢坂さん」それぞれにいて、彼女たちも少し「変化」しながらもう一度それぞれに(何らかの意味での)「次の舞台」で輝ける。そしてそこには以前の舞台での大切な時間も(何らかの意味で)持っていける。そういう世界観があり得るなら、自分が無理に過度に守ろうとしなくていい。

 大場ななさんという「孤独」者の(永遠の「ループ」ではない)「世界」との再契約までの物語を描いた、ナイス文学でありました。

 一つの物語が閉じた余韻がしみじみと感じられ、堪能したのでした。

 残る、華恋とひかりの、そして(おそらく)真矢とクロディーヌの物語にも期待して、ラスト三話(だよね?)を待つのでした。

→劇中歌アルバムVol.2



→前日譚コミックス

少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア1 (電撃コミックスNEXT)
轟斗 ソラ
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2018-06-27


→前回:アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第八話「ひかり、さす方へ」の感想へ
→次回:アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第十話「されど舞台はつづく The Show Must Go On」の感想へ
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