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 相羽です。

 アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト(公式サイト)』第十一話「わたしたちは」の感想です。

 現在、期間限定で「スタァライトチャンネル(公式チャンネル)」で、これまで放映済みのものを全話観ることができます。↓

 感想は、ネタバレ注意です。

 一部、前日譚コミックス版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』第1巻のネタバレも含みます。
 ◇◇◇

 物語の核心部分。

 劇中劇、記憶、運命の交換、観測者、などなど……についての話は、

 前回の感想記事で書いていた考察で今のところけっこう合ってるっぽいですかね。少なくとも、今話で大きくくつがえすほどの情報は出てこなかったんじゃないかと。


参考:少女☆歌劇 レヴュースタァライト/感想/第十話「されど舞台はつづく The Show Must Go On」(ネタバレ注意)


 つまり、ざっくりとは、


・華恋とひかりの「運命」とは、劇中劇「スタァライト」の筋に対応している。

・華恋とひかりは「運命」を交換しているので、本来なら華恋がクレールの筋を、ひかりがフローラの筋をとおるはずだった。

・「運命」を交換した後は、華恋がフローラの筋を、ひかりがクレールの筋をとおるのが普通だったんだけど、「ある条件」でアニメ版で描かれてる「ループ(再演)」では、交換の前、華恋がクレールである「運命」も貫入してきてしまっている。

・前回のラスト、このままでは華恋がクレールになってしまうのを回避するために、ひかりが交換後の「運命」通り、クレールになった。


 と。

 前回時点までだと、ひかりが華恋をクレールにしたくなかった理由、自分がクレールになった理由がまだそんなにも明らかじゃなくて、(「スタァライト」の筋通りだと)(「ループ」後に)記憶を失う役割を自分が引き受けたのかな? ……くらいに考えていたのですが、

 今話まで観ると、(おそらく)オリジナルの原典「スタァライト」では、「悲劇」の当事者は塔から落下するフローラよりもむしろクレールだったから(罪びととして塔に幽閉されてしまう)、予めオリジナルの筋を知っていたひかりは華恋の身代わりにクレールになった……というのが一番しっくりきますかね。

 その点を踏まえて改めて第一話(感想)を振り返ってみると、ひかりが華恋をキリンのレヴューに参加させたくなかった理由。

 表面的には、勝者以外は「キラめき」を奪われてしまう過酷な「競争」に華恋を参加させたくなかったから……ですが、より深層では、華恋が勝ち進んでクレールになってしまうと塔に幽閉される「悲劇」は華恋が負ってしまうから(せっかく「運命」を交換したのに、自らクレールに向かって進んでしまう華恋に対しての、「バっ華恋」だったと。)……という背景なのかなと推察できてきます。

(ただし、第一話の時点でひかりが前の「ループ(再演)」の記憶を持っていたのかは不明。クレールに記憶が戻るタイミングは、「スタァライト」の通りなら塔に登った後)

 となるとまた、幼少時の「運命」の交換も、持ちかけたのはひかりの方だったんじゃないか、とも。

 ひかりがどの時点でオリジナルの「スタァライト」の筋を知っていたかはまだ不明ですが、最初は華恋が星の髪飾りを買った。このままでは華恋の「運命」はクレールになってしまう。だから、華恋がクレールの「悲劇」に辿り着くのを回避するために、髪飾りを交換して(「運命」を交換して)ひかりがクレールになった……の順番なのかなと。

 物語上重要なのは、クレール、つまりひかりが「競争」のシステムを成立させるための「犠牲者」だったということ、です。

 表面的に「競争」しつつも、「聖翔音楽学園第九九期生」の「共同体」は温かさもあって、和気あいあいとやっていた部分もあったのですが(オープニング前半の光景のように)、それは、ひかりという忘却された九人目の「犠牲」の上で成立していた、ということ。

 「競争」の中で、忘却される者、脱落する者、孤独である者、……

 これらは、

 第七話の感想(こちら)で書いていたところの、


 「あぶれていた女児(コミックス版『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』)」=「脱落した『成瀬さん』と『逢坂さん』」=「(第二話で)敗北した星見純那」=「孤独だったかつての大場なな」


 ……らと、ひかりは重なるポジションであったということです。

 スタァライトの「悲劇」の内容は、「別れ」エンドのみならず、忘却された「犠牲者」の上で成立する世界という「悲劇」。

 一人一人が「キラめき」を持った世界は、彼女たちから「キラめき」を奪わなかった代わりに世界から忘却されたひかりという「犠牲」の上で成り立っていた。

 ……と、ここまでがやっぱりこうなった。という展開です。(前回の感想でいうところの「2」の「運命」。第一話の塔から落下する華恋の暗示……通りの展開なので)

 最終回は「その先」が描かれると思われます。

 以下、予想となりますが、二つほど、「その先」に進む要素が今話時点で描かれているかと思います。

 一つ目。


1.「再演」の度に「オリジナル」から変わることを「可能性」として描いている。

 大場ななさんのエピソードの時に、大場ななさんが繰り返す「再演」の中でも、「再演」の度に台詞を変えたり演出を加えたりはしていた姿勢を、純那が「舞台少女」の姿勢と評していて、作中で肯定的な態度として描いているんだな……と思われたのですが、

 この「再演」のたびにちょっと変わることができるというのが、物語全体としても希望として機能しているのですね。

 ずっと変わらないままだったら、(前回の感想でいう)「2」の「運命」を永遠に繰り返して、ひかりは塔に幽閉され華恋は塔から落ちるという「悲劇」を繰り返し続けるだけですが、今回の「ループ(再演)」では少しだけ変わったことがある。

 細かくはたくさん変わってますが、わりと大きな要因として描かれてるのが、華恋が英語にポジティブになってる点ですね。

 華恋は当初英語が苦手、ひかりはできるという設定が、劇中劇「スタァライト(オリジナル)」の結末のクレールの「悲劇」を(視聴者にも)隠すように機能してるのも上手いと思いましたが。

 加えて、今回の「ループ(再演)」の第一話時点では「キラめき」が減衰していてやる気なかった華恋が(次の主演も真矢とクロディーヌだよみたいなことを言ってる)、今回はひかりがやってくるルートなのを通して、英語で「スタァライト」の原文を読む気になるくらい(ちょっとだけ)変わってる(「舞台少女」は日々進化中……要素が強い)という、いわゆる「ルート分岐」要素に持ってきてるのも上手いと思いました。

 そして、華恋が英語で原文の「スタァライト」を読み進めたことが、クレールの結末(幽閉エンド)を明らかにすることに繋がり、だったら助けにいこう……という扉を開く。丁寧に読解することを通して、華恋はひかりを見つけたんですよ。

 あるいは、我々視聴者も作品を消耗品として高速で消費して終わりじゃなく、向き合って読解してみたりするべきなんですよ。「推し」の「運命」まで、見つけるべきなんですよ。

 そして、この「再演(ループ)」でちょっとだけ変わったのは、華恋だけではない。

 オリジナル「スタァライト」の通りなら、クレール(ひかり)のことを覚えているのはフローラ(華恋)だけのはずですが、今回は七人の「舞台少女」もひかりのことを覚えています。以下、次項。二つ目。


2.華恋以外の「舞台少女」たちもひかりのことを覚えている。

 華恋をひかりの元に送り出す時、それぞれの「舞台少女」がひかりに「舞台で待ってる」ということを伝えて……と伝言するのですが。

 これは、

 忘却された「犠牲者」に対して、あなたの「居場所」はある、っていうことを言ってるってことなんだと思います。

 第二話で一度敗北して華恋にもう一度照らされた純那、もともと「孤独者」への共感がつよいばななさん辺りはともかく、

 真矢様とかまで、ひかりを待ってるという。ひかりとはクレール役を奪い合う関係なのかもしれないのに、今の真矢様は「競争」の頂点に立つこと以外の大事なものが受け入れられるようになっている。

 よっぽど前回ラストの真矢クロエンドが良かったんや……。オーディション終了後の七か月の間に、真矢クロはめっちゃイチャイチャしてそう(え)。

 華恋をひかりの元へ送り出す、「舞台少女」一人一人が「星」を持ってるわけですから。

 Star、

 劇中劇「スタァライト」のラストは、


 そして頭上では、永遠に星たちが瞬き続けるのでした。(第十話)


 です。

 じゃあ、「スタァライト」するって……。

 星々が誰(何)なのかと言ったら……。

 作品タイトルおよび最終回サブタイトルが「レヴュースタァライト」、基本スペルは「Revue Starlight」ですが、「Re-View(もう一度見る/振り返る)」がかかっているとすると。ああ……。

 一連のシーンの挿入曲は「舞台少女心得 幕間」。泣くわ。

 「犠牲者」「脱落者」「孤立者」。

 第一話の感想(こちら)で、ひかりが散らかった部屋で独りでいる描写は、


>ひかりの孤立した部屋の描写があったり。(散らかった部屋=現代社会の「共同体」から隔絶された孤立世帯の比喩的な感じなのだろうと……)


 なんてことを書きましたが、「競争」の勝者が富や情報や人を手に入れ「つながり」とかを連呼する背後で、キーワードとして「無縁社会」が踊り、孤立者は世界から忘却されている昨今。

 今話ラストの塔に幽閉されてるひかりの描写は第一話の「散らかった部屋に独り」のヴァージョンアップ版とも解釈できそうですから、作品として、時代性もありそうです。

 敗北した純那は華恋が照らしてみせた(第二話)、大場ななさんのことは華恋が照らした純那さんが見つけてくれた(第九話)、じゃあ、ひかりは? 最後の、「世界」が成立する代償として忘却された人間を救えるのか……という物語。

 視聴者とも重なる(第十話の最後のレヴューは「観測者」として観劇してた)他の「舞台少女」たちが(「居場所」として)あなたを待ってると送り出し、あとは、ヒーロー(愛城華恋)に任せる……というところで、次回最終回。

 ヒーロー。

 本作はけっこうヒーローもの作品のフォーマットを踏襲してるよなと思って観ている視聴者の方は多いと思いますが、

 僕は第一話から特に本作は『仮面ライダー龍騎』と重なる部分があるという話を書いていましたので……、

 少しだけ、最終回で「その先」が描かれるとすると、それは、ゼロ年代バトルロワイヤルもの作品の金字塔である『仮面ライダー龍騎』のエンディングの「先」も描くことになりそうだという話も書いてみます。

 『仮面ライダー龍騎』の話は別にイイという方は読み飛ばしてくださいw




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(以下『仮面ライダー龍騎』のラストまでのネタバレを含みます)

 神崎優衣の命を救うために、兄の神崎士郎が何度も世界を「ループ」させながら十三人の仮面ライダーたちを戦わせていた……という構造の『仮面ライダー龍騎』。

 どんなエンディングだったかというと、最後の「ループ」での真司の生き方を見た優衣が、自分の命を救うことを手放し、最終「ループ」後の世界では真司や蓮、仮面ライダーたちが争い合うことのない優しい世界が訪れた。しかし、そこに神崎兄妹の姿はない……というエンディングだったと個人的には解釈しています。

 つまり、「競争」原理の中でエゴを手放すことが描かれるのですけど、最後の優しい世界の成立には、神崎兄妹は「犠牲」になった……というエンディングだと思うのですよね。

 この構造は、そのまま華恋とひかり=神崎士郎と神崎優衣……のカタチで本作でも当てはまりかけています。

 なので、最終回で華恋かひかりのどちらか、あるいは両方が「世界」からいなくなることで(「犠牲」になることで)、「競争」システムから解放された優しい世界が訪れた……と描かれたりしたら、これは2002年の『龍騎』エンドを2018年にもう一度……というカタチになってしまうのです。

 個人的には、もう2018年なので、『龍騎』の「先」のエンディングが見たいかな、と。

 「世界」のために「犠牲」になるひかりを救いたいという華恋の願いは、優衣を何とか助けたかった真司くんの願いと重なります。

 『龍騎』は真司くんもラスト2で死亡し、最終回では最終「ループ」して真司くんと蓮は生きてる世界になったけど(お互いが戦い合う関係だったのを覚えてないのかもしれないけれど、二人が何らかの縁で接触する……っていう最後のシーンイイよね)、代わりに優衣がいない……という作品でしたが。

 真司も優衣も生きられる「世界」はあり得なかったのか。

 劇中の「女神」との対応は、華恋は「傲慢の女神」ですが、全員助けたいと願ってしまうのは、はたして「傲慢」なのか?

参考:小説仮面ライダー龍騎/感想(ネタバレ注意)

(/『仮面ライダー龍騎』の話、ここまで)
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 今話で明らかになった、オリジナルの劇中劇「スタァライト」のフローラが塔から落下した後の部分。


 残されたクレールは星を掴もうとした罪を償うため

 星摘みの塔に幽閉された。新たな罪人として。



 と、キーワードが「罪」なので、対置として最終回では「赦し」が描かれるのかな、という気はします。

 「赦し」って、くだけた言葉で言うと「オッケーを出す」ってことだと思います。

 誰が誰(何)にオッケーを出すのか?

 何となく、もう見えそうな部分ではありますが……。

 ……最終回を全裸待機したいと思います。

→アニメ版Blu-ray



→前日譚コミックス『少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア』第2巻



→前回:アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第十話「されど舞台はつづく The Show Must Go On」の感想へ
→次回:少女☆歌劇 レヴュースタァライト最終回の感想〜愛城華恋と再生産(ネタバレ注意)へ
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