相羽です。

 アニメ『ケムリクサ(公式サイト)』(全12話)の感想です。

 最終回までのネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 『ケムリクサ』はかなり(リアル世界の方に存在する)「神話」を意識してる作品なのかなぁと思って視聴しておりました。

 制作している会社の名前が「ヤオヨロズ」、たつき監督(Twitter)のサークル名が「irodori」ということで、一番のベースは日本神話じゃないかってことで、

 ワカバがイザナギノミコト、りりがイザナミノミコト、いわゆる「国造り神話」で作中世界を創造したという感じになってる。第11話で二人がいる世界は「高天原(たかまのはら)」チックな印象を受ける。ここまでは、わりとストレートに読める気がします。

 僕は特に神話学や宗教学の専門家ではなく、ただ言語の研究とかやってる関係上関連ジャンルではあるので、そこそこ詳しくはある……それくらいの人が書いてる話だとは前提にして頂いた上で、

 で、加えて僕が感じたのは、仏教、っていうかインド神話と縁が深い方面の話ですが、いわゆる「梵我一如(ぼんがいちにょ)」を描いていたのだろうか? というあたりです。

 「梵我一如」、ざっくりとは、


 梵、ブラフマン=宇宙を支配する原理(?)みたいな概念と、

 我、アートマン=個人を支配する原理(?)


 が、一如、一致した存在である……みたいな考え方です。

 ちと専門の神話学者でも宗教学者でもないのでざっくりとになりますが、僕としては一致というか「両義」、同時に存在している……みたいなニュアンスなのかなと現時点では捉えています。

 宇宙レベルの話と個人レベルの話が、「両義」であるということ。

 『ケムリクサ』作中では、りりが「梵、ブラフマー」担当で、りんたちからすれば創造主的なポジションです。

 一方で、物語のドラマは、りんの(個人の)感情がどうなるのか? という「我、アートマン」を追って進んでいきます。

 ラストシーンのりんの「好きだ」は、りり(宇宙を支配する原理=ブラフマン)から自由になって個人(アートマン)の自由意志としての「好き」をりんが獲得した! ではなく、僕としては、自由意志を経由してもなお、りんの「我、アートマン」と、りりの「梵、ブラフマン」は一致した(=わかば(ワカバ)が好き)! で終劇していた印象を持ちました。

 なので、個人的には恋愛方面のカタルシスというよりも、梵我一如や! りりのブラフマンとりんのアートマンは、反発しあうフェーズを終えて調和にいたったんや! みたいな、どちらかというと宗教的(?)なカタルシスの方が大きく感じられたラストシーンでした。

 全体(宇宙)と部分(我)が同じって、ある時までの西洋哲学方面の知見だけだどあり得ないだろって感じなのですが(「論理」には「排中律」=「XはAか非Aかのどちらかであって、Aでも非Aでもないことはあり得ない」があるから)、近年は、どうも「排中律」を取り除いた「論理」とか、あり得るっぽいよ、みたいな話も知の最前線では出てきております。

 ちなみに、「梵我一如」であるからこそ、「転生」という世界観が可能であるとも言われていたりします。

 ざっくりとはブラフマンとアートマンが一致しているなら、ブラフマン(宇宙の原理)は不滅なんだから、個人(アートマン)の魂もまた不滅、個人の魂は不滅でまた「転生」するんだ……みたいな話なのですが、劇中のワカバ(第11話で出てきた方)とわかば(物語全編で出てきてる方)、りりとりんたち、けっこうストレートに連想としては「転生」ネタを扱ってる作品でもありましたよね……。

 自由意志を経由した、ブラフマン(宇宙を支配する原理)とアートマン(個人を支配する原理)の一致。その二つを繋ぐキーワードが「好き」と描いてみた作品。

 我々のような普通の人が「梵我一如」の境地に至れるとしたら、「好き」を大事にしていくとイイんじゃないか、みたいな話でしょうか。

 込み入った神話とか宗教とかの話をいったん横に置いておいても、「好き」を大事にしてかろやかに生きていた方が、「宇宙」みたいな偉大な(?)ものとも一致して、自分も世界も良い感じに生きていけるのかな、というのは感覚的には分かる気がします。

 ここまでは、日本神話、インド神話、仏教方面の話ですが、その辺りをベースにしつつ、それでいて他にも世界中の色々な神話、宗教モチーフが習合し合ってる感じの作品でもあるんですよね。

 「習合」、とくにいわゆる日本の歴史における「神仏習合」(神道系と仏教が合わさり合ったりしながら同時に存在して続いてきた話。今でも、神社とお寺が隣り合ってるケースとか多いですが、あれはそういう歴史から繋がってます)の考え方とかあって、僕個人としてはわりと好きな考え方です。

 そう思うと、なんか『ケムリクサ』って、世界中の色々な神話、宗教を「習合」的に描いているようなノリも感じたりするのですよね。

 たとえばりんの物語はエロスではなくアガペー……みたいな話を描いていたんじゃないかって印象を持ったりもしたのですが、この辺りの話になると、キリスト教的な「愛」の話になってきます。

 アガペー、ざっくりとは神の愛、自己犠牲的なニュアンスを含む愛……みたいな感じだと解釈していたりしますが、この辺りは僕は詳しい知識がありません。詳しい方には聞いてみたい感じです。りりさんとりんさんのアガペーの話だったんじゃないのか? みたいな。

 劇中で大樹(植物?)が重要に使われているのは世界中の「世界樹」の神話を連想しますし、代表となると北欧神話という感じですが、あれも終末(ラグナロク)がある世界観なので、終末と創世が意識される今作と何か関係がある気がしてきますし。

 物語のギミック上の重要なキーになってる「船」は、やはり「方舟(Ark)」が意識されたりしますし。

 若干、ユング心理学(「集合的無意識」の話とかが出てくるやつね)みたいな話になりますが、

 無意識下の広大な世界(?)では、日本神話もインド神話も北欧神話も仏教もキリスト教もその他様々も、習合的に同時存在していて、なんかそういう領域に潜っていくような感覚もある作品。

 小説で言うなら、ジョイスの小説的な方向の作品といいますか。

 その、日本神話も、インド神話も、北欧神話も、仏教も、キリスト教も、色々も同時存在している世界は、「ユニバーサル神仏習合」なんじゃないかとでもいうような。

 そういった世界観の場所を意識してみることは、細かいクラスタに分断されて争い合ってるようなリアル世界において、何らかの意味ある(まあ平和に共存していくのを目指す的な)知見をもたらすんじゃないか……みたいな。

 認知科学とか脳科学の最前線で、どうも人間の自由意志ってない(思い込み)かあるとしても限られてるんじゃないの? みたいな議論も真面目にされている最近。

 なんかこう、たとえばりんさんの「自由意志」はどこまでなのか? みたいな要素があり、りんさんの自由意志、ブラフマン的なりりの意志が貫入し合ってるような感覚も浮かび上がらせてくる、こういう作品がクリエイティブな方面(たつき監督!)からも出てきて、実際に支持も得たというのは興味深いなぁ、などと思いながら視聴していたのでした。



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【当ブログ記事の参考リンク】

けものフレンズ最終回の考察〜ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その3(ネタバレ注意)
ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その2〜第11話「せるりあん」の感想(ネタバレ注意)
ポスト3.11作品としての『けものフレンズ』その1