相羽です。

 仙台はフォーラム仙台でも公開開始となりました、劇場アニメ『薄暮(公式サイト)』を上映開始日に観てきましたので、その感想です。

191109hakubo

 以下、ネタバレを含みますので注意です。
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 原作小説よりもより感じたこととして、雉子波君の絶望が思っていたよりも深いというのがあります。

 かくり世のような場所(夢という表現になってますが)で彼が零す「何処にも居場所がないんだ」。

 彼の魂が求めているものはもうなく、絵を描くという代償行為でも遠い。

 雉子波君には、どれだけ佐智(と彼女のバイオリン)が光に思えたのか。

 もっと言えば佐智を包む、また彼女を培った日常がどれだけ眩しかったのか。ひぃちゃん、リナ、松本先輩、部長、父、母、お姉さんが佐智にとって「私の帰りを待ってる」人たちで重要な役どころになっています。

 一方で雉子波君には家族の描写などがなく、孤立者として描かれている感じです。

 日常に貫入してきた孤立者(異質者)を音楽(に代表されるフィクション)の媒介(橋渡し)で繋ぎ止めるような話になっていたと思います。

 できるかは分からないけど、そうあれたらイイのにという願いを感じる作品です。

 原作小説の感想の方で書いてたのですが、

 『薄暮』は「自同律」にまつわる話でもある、という側面があります。


自同律=ざっくりとは、自分が自分であること。


 アニメーション版では削られる要素なのかなとも感じてたのですが、けっこう佐智がモノローグでも喋ってましたね。自分が自分であることへの懐疑のような内容を。

 詳しい方はもっと色々作品名などをあげられると思うのですが、僕が知ってるものだと、日本の文学史上だと埴谷雄高の『死霊』が、「自同律」を題材にしてる(難解な小説としても有名な)作品です。

死霊I (講談社文芸文庫)
埴谷雄高
講談社
2014-05-16


 文学とか哲学とか、そういうジャンルにまで目を向けると、けっこう歴史もある題材だったりもします。

 そういうのもある程度読んだ上で、『薄暮』ですが、

 たぶん、震災がきっかけで「自同律(自分が自分であること)のゆらぎ」を感じるようになってしまった佐智は、あのバス停で雉子波君と心象風景(=二人のイデア的な風景)を共有することで、佐智が雉子波君であるような、雉子波君が佐智であるような感覚(「自同律」が攪拌されたような感覚)になっていってしまったのだと思います。

 バス停のシーンは、「境界領域」というか、異界の入口のようなニュアンスも感じられるようになっており、こういう言い方は何ですが、最終的にはそれでも人間として日常を生きていくという物語であるとは思いながらも、最初に雉子波君が佐智の前に現れるシーンは妖怪か何か(異質者)が現れてくるような、ちょっとしたギョっとした感覚もあるシーンになってます。

 夢、かくり世のような場所で佐智は雉子波君の絶望(「消えたい」)を知るのですが、二人の心が近くなり過ぎて、佐智が雉子波君でもあるかのように(「自同律(自分が自分であること)のゆらぎ」)雉子波君の気持ちが佐智に貫入してきてしまってる……という表現なのかなと。

 ラストのキスシーンも、しばらく(雉子波君と)ひとつになっていたかったと思ってしまうというのは、「自同律」ネタです。雉子波君の絶望を知っても、一緒にいたいと願った。

 私があなたであるような、あなたが私であるような、共感にもとづいた紐帯(あるいはそれがキャッチコピーにある「愛」であるのかもしれない)を、まだ大事なものとして描いているのだと思いました。

 一方で、僕がラストシーンで感動したのは、佐智と雉子波君の物語の成就よりも、佐智が帰ってくるのをひぃちゃんたちが待ってくれているという遠景の描き方でした。

 佐智と雉子波君はちょっと純粋過ぎるので、そのまま二人だけだと二人で遠くへ行っちゃいそうな危うさを感じてしまいます。

 屋上、夢で雉子波君が昇っていっちゃおうとした空にけっこう近いわけじゃないですか。「境界領域」的な表現ですよ。でも、地上という日常でひぃちゃんたちが待っていてくれている。それがとても救いになっている。

 情報量は多いです。ギュっと圧縮されていて、初見では全部には気づけない感じ。

 ひぃちゃんの幼馴染関係のくだりは、時期的に考えて幼馴染は震災の頃に一緒にいた男の子なのでしょうし、リナが少し古い2次元(2.5次元?)キャラクターを今でも好きなのは震災の頃に彼女が心の支えにしていたキャラクターだったりするのだろうかと想像できたりします。

 佐智のお母さんとお姉さんも、佐智視点ではバラエティー番組を見て笑ってますが、佐智のことをちゃんと見ていて震災の頃は泣いてばかりいたと述懐します。佐智自身はおそらく震災の頃に泣いてばかりいたことは忘れていて、忘れていられるくらい彼女を包んでいる優しさは、(おそらく)雉子波君がなくした「日常」というものです。

 ひぃちゃんは幼馴染くんと結局別れたり色々あったりですし。リナも佐智に雉子波君だけに決断させてはいけないというのですが、それは雉子波君が背負っちゃうからという含意だろうし、普通の女子高生からは出てこない聡明さで、彼女にもこれまで色々あったのだろうということが想像されます。

 同じ被災地という言葉でくくられるとしても、東北に生きる者にとって、あの日、あの日からしばらくの日々の経験は一様じゃなく、一概にああだった、こうだったと語ることは難しいと僕は考えているのですが、作り手たちのスタンスも近いのではないかと感じました。

 それぞれに色々ありながら、ひぃちゃんやリナは日常を生きて、佐智を待ってくれている。

 (おそらくは)震災を機に「自同律」が揺れてしまい周囲にそれを語らない佐智や、求めるものはもうどこにもなく居場所がない雉子波君。

 そういう人を日常に繋ぎとめてるひぃちゃんやリナをさり気なく描いているのが、とても素晴らしい映画(という言葉を使っちゃいますけど、厳密には劇場アニメ)だと思ったのでした。

薄暮
福原香織
2020-03-07


薄暮(はくぼ)
山本 寛
アイズクライム文庫
2017-09-01


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