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2020年10月から始まったアニメは第1話を10作品ほど観ましたが、今のところ一番心揺さぶられているのが、『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(公式サイト)』です。
これまでの『ラブライブ!』〜『サンシャイン!!』とは違って、メイン9人(+1人)がバラバラである(基本がソロ活動だったりも)というコンセプトの作品なのですが。
僕が気になっているのは、1人1人がバラバラであるがゆえの、1人1人の人間の距離感、パーソナルスペース(個体距離、対人距離)を題材にしている作品なのではないか? というあたりです。
僕が気づいたのは、テリー・ライスさん(Twitter/ブログ)のこちらのツイートがきっかけだったのですが。↓
その後、第1話と第2話を僕なりに何度も観直したりして、「エンディングの1人1人の傘=比喩的な1人1人のパーソナルスペース」……という表現である、というのはほぼほぼ確定かなという印象を抱いております。インナーメッシュというデザイン設定からビリー・アイリッシュが想起させられるし、その上でED映像見ると、みんな、パーソナルスペースの比喩として「傘」を持っていて、9人は色を重ねて虹になれるけど、侑だけは黒い傘なので色が重ならない#虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 #LoveLive_Nijigasaki pic.twitter.com/qkUs5ll2bU
— テリー・ライス (@terry_rice88) October 6, 2020
となると、連想的に考えてしまうのは、コロナ禍において、ソーシャルディスタンスを確保するために傘を持つというのが一時話題になったじゃないですか。【虹ヶ咲】
— ラブライブ!シリーズ公式 (@LoveLive_staff) October 5, 2020
TVアニメ絶賛放送中!『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のエンディング映像を限定公開🌈
EDシングル「NEO SKY, NEO MAP!」は11月4日発売予定なのでお見逃しなく!https://t.co/IKrL8yxTdT#lovelive #虹ヶ咲 pic.twitter.com/V9rDeblMNn
特に、今年の初夏、夏頃、日傘をソーシャルディタンスを確保するための道具にする……という話は、メディアなどでもけっこう大きく報道されていた記憶があります。
僕は制作関係者でもなんでもないので確証はないですが、これ、エンディング映像のコンセプトなどを構築していったのはコロナ禍後で、「傘=パーソナルスペース=ソーシャルディスタンス」……の連想表現でいこうと決まったのは、かなり最近の社会状況を反映させられる時期になってからなのではないか? などと推察したりいたします。かなりの程度、エンディングの10人が傘をさしながら距離をとって歩いている絵は、「ソーシャルディスタンスをとってる」的な感じがしたりします。
創作(フィクション)の世界でもコロナ禍を描くか(マスク、ソーシャルディスタンスなど)どうかは昨今SNSなどで話題にもなっておりますが、そういう点では『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』はコロナ禍を直接は描いていないのですが。
そうはしつつも、間接的に題材としては関わってる感じにはしているのだろうなと。
つまり、
昨今のコロナ禍で「ソーシャルディスタンス」が注目されているけれど、物理的な「距離」をとらなくても、「パーソナルスペース」に基づいた(精神的な)「距離」って、今までもあったよね、
ということを前提としつつ、
じゃあ、(リアルでは)物理的にも「距離」をとらなきゃいけない状況で、「パーソナルスペース」に基づいた精神的な「距離」を尊重しながら、人はいかにして「ひとつ」になり得るのか、
ということを描こうとしている作品なのではないか、ということです。
第1話冒頭の優木せつ菜(ゆうき・せつな)のライブシーンはカッコいいのですが、同時にライブの場所はスペースで区切られていて(ちょうど、昨今のコロナ禍で、イベントごとでは演者と観客の「距離」が離れざるを得ないように)、観客とも仲間とも、現在のせつ菜は「距離」がある、という表現になっています。
今回の第1話自体は、「動き始めた自分の本当の気持ち(本懐)を止めない」っていう、無印第1話ともサンシャイン第1話とも、コアは同じ第1話だったりなのですが。(←主に、歩夢が自分本来の「カワイイ」志向性に向かって歩みだす様子で描いている。)
同時に、せつ菜の本懐(本来性)(比喩は「炎」)は全力で展開してしまうと他者には熱すぎて、彼女のパーソナルスペースに誰も入れない(なので、情熱的なライブと裏腹に汗に偽装された涙が流れるような演出も入る)ということも描かれている第1話だったりするのですね。
自分の本来性(パーソナルスペース)を展開する大事さ(歩夢を通して描いている)と、自分の本来性を展開すると他者と衝突して孤独になってしまうこと(せつ菜を通して描いている)、は、本来コンフリクト(相克)を起こす事象です。
なのですが、高咲侑だけはせつ菜の炎をくらっても大丈夫という謎の特性を持っており、そんな「黒」の傘を持つ舞台には上がらない不思議なポジションを持つ侑をきっかけとしつつ。
この作品がカッコいいのは、リアルの物理的な距離(ソーシャルディスタンス)をも連想させながら、「距離」は、まああるよねくらいの前提で物語が描かれていく点です。
これは、少し昔の作品だとそれなりにあった、
●人間と人間って「距離」があって解り合えないよね、絶望
という命題と、逆に、
●「距離」があるから解り合えないんだ、「距離(パーソナルスペース)」をとっぱらってくっつこう
という命題の、
二つに対するカウンターとしての「代案」をこの作品は提示するつもりだぞ、ということなのだと思います。
第2話で高咲侑が言います。
「自分なりの一番をそれぞれ叶えるやり方ってきっとあると思うんだよね」(高咲侑)
この「代案」がどういうものになるのか、僕は現時点では明確には思いつかないので、とても続きを楽しみに毎週視聴しております。
もしかしたら、何らかのかたちで、(物理的にも)「距離」をとらざるを得ないリアル世界の方も鑑みつつ、「距離」はありながらの「ひとつ」になる方法という、ある種の矛盾を矛盾のまま内包して高次元にいたる(仏教!?)という、新時代型の「あつまり」のカタチを見せてくれたりするんじゃないかと、とてもワクワクする作品になっていて、1話1話がとても面白いのでした。
→Blu-ray
→エンディング主題歌CD
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距離をとったまま一つになる方法を模索するコロナ禍型ラブライブ!〜『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第1話の感想 - ランゲージダイアリー https://t.co/Jcdnyp0qVQ …ブログ更新です。第1話と第2話を何度も観返して気づいたことなどをば。#虹ヶ咲 #虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) October 19, 2020
→次回:『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2話の感想へ
→次回:テクノロジーアイドル天王寺璃奈出陣!欠点込みの次善の自分を表現する『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第6話の感想(ネタバレ注意)へ
→『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』感想の目次へ
【関連リンク1:当ブログの無印『ラブライブ!』の感想】
→ラブライブ!The School Idol Movie/感想(ネタバレ注意)
→『ラブライブ!』(1期&2期)感想目次はこちら
【関連リンク2:アイドル論@2016年】
→AKB48・μ'sが敷いたアイドル「システム」をブチ殺す(え)段階に入る? 10年代後半型アイドル達:『ラブライブ!サンシャイン!!』・『アイカツスターズ!』そしてSCK GIRLS
→普通「星」人の光が届いてモブ子さんは半分だけ「演者」になる〜ラブライブ!サンシャイン!!最終回の感想(ネタバレ注意)
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