相羽です。

 引き続き読みすすめている、新城カズマさんの『物語工学論 キャラクターのつくり方』より引用。


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<時空を超える恋人たち>は、ある意味で、これら四つの類型をすべて含んでいるのです。もしくは、こう言い替えることができるかもしれません――七つの類型のうち、他の六つを生み出しているのはこの<恋人たち>であり、もしも七つの類型に「物語的な圧力」を加えて凝縮し、より本質的で抽象的な「何か」を抽出するとしたら、そこで我々が発見する「元素」はこの<恋人たち>であるだろう、と。
<時空を超える恋人たち>の名称は、二つの重要なポイント……すなわち「自分と合一することで完全となる、相補的なもの」への希求と、それを妨げる「強烈な障壁」の存在を暗示しています。

(『物語工学論 キャラクターのつくり方』 新城カズマ/KADOKAWA より引用)

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 新城カズマさんの物語(キャラクター)類型における「<時空を超える恋人たち>」が、本書が出版された以降の作品で顕著なのは『君の名は。』かと思いますが。



 <時空を超える恋人たち>

 瀧からすれば三葉。

 三葉からすれば瀧。

 自身のバランスを回復するために希求している、自身を補ってくれる半身(相手)といった趣ですが。

 色々はしょって(え)、作り手の話にももっていってみると。

 作り手(クリエイター)にとっては、<時空を超える恋人たち>は、自身がこれから生み出す作品です。

 この作品と出会えたら(「完成」というかたちで世界に表出できれば)、(作者の)バランスが回復する。

 この場合、妨げる「強烈な障壁」は、脳というか、自身のイメージ領域と現実との壁ですかね。自身のイメージにあるソレを、「強烈な障壁」を乗り越えて、現実にリアライズ(現実化)したい、そうすれば自身に欠けている何かは補われ、「合一」に至り、善なる何かが起こる、報われる、自身のバランスを回復できる、そんな強い衝動が作り手を突き動かしていきます。
 逆にいうと、何らかの「作品」を制作中の人は、その時点では精神のバランスを欠いてる可能性もあるのやもしれません(笑)

 バランスの回復を志向して制作しているわけですから、制作途中の段階ではまだ「バランスの回復」にはいたっていないので、製作中の状態の人というのは、何かしら欠けたり、乱れたり、渇望していたりするものだったりするのかもしれません。

 三田誠広の『デイドリーム・ビリーバー』の冒頭付近に、


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 長い沈黙の果てに、最初の《言葉》が語りだされる。そのような緊迫した瞬間こそが、本当の物語の始まりなのだ。

(『デイドリーム・ビリーバー』 三田誠広/トレヴィル より引用)

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 という文章がありますが、

デイドリーム・ビリーバー〈下〉
三田 誠広
トレヴィル
1988-04T


 今になって、これか、と感じたりするのです。

 物語を書き始めるということは、(完結まで書き切るまでは)自分自身を不均整な状態へとしていく、という旅立ちなので、それは緊迫するよな、と。

 などということを、また新しい作品を作り始めようという最近、考えたりしていたのでした。

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 引き続き、人体について考えながら絵の練習も進め中です。

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 ルーミスの『やさしい人物画』のような本に時間をかけて取り組みながら、人体について理解を深めていくといのは、大げさにいうと「存在とのたわむれ」のような趣もあり、そういった営み自体を堪能しながら進めていけたら楽しい事柄なのかな〜と思っていたりなのでした。



やさしい人物画
A. ルーミス
マール社
1976-12-18