『おかえりモネ(公式サイト)』第2週「いのちを守る仕事です」(第9回)(5月27日放映分)の感想です。
ネタバレ注意です。
気象的な変化によるピンチに遭遇し、少年(ケイスケくん)を守ろうと奮闘する百音の姿が描かれます。
ここでのケイスケくんは、百音にとっての「あの日(震災の日)、何もできなかった無力な自分には助けられなかった誰か」の象徴です。
震災の時は何もできなかったけれど、今回は当事者として何かをできてはいる……という状況ではあるのですが。
ケイスケくんを背負ったまま歩き、転び、立ち上がる百音の姿は悲愴です。
悲愴な要因は百音が震災の日に何もできなかったことに対して自罰の心理を抱いているゆえに、このシーンは「罪滅ぼし」に囚われている……というような意味合いになっているからかと思われます。
百音という主人公が、物語論的なキャラクター類型では、「さまよえる跛行者(はこうしゃ)」である、というのは既に以前の感想で書いていたとおりです。
跛行:つりあいがとれないまま進むこと。
震災の日以来、「バランスを欠いている」という主人公像です。
バランスが欠けた部分に対しては、補う何かが必要だということで、百音を補う存在として、朝岡さんと光太朗の二人の助力が描かれます。
一方で「欠けている人」を補うのは「欠けている人」ということで(欠けている部分がカチっと合わさるイメージ)、朝岡さんと光太朗の二人も、どこか「欠けている人」として描かれているフシがあります。
東京からわざわざ登米まできて何かを見つけようとしている光太朗は心に何かあるのは分かりやすいですが、どうも朝岡さんも「欠けて」いるっぽい(東京でのビジネス関係とか?)。
しかし、本作の世界観というかメッセージは「全ての存在は役に立っている」です。
欠けた人間だとしても、朝岡さんと光太郎の助力がなければケイスケくんを助けることはできなかった。
そもそも、前回の感想で書いた通り、父・耕治が音楽の道を諦めてなかったら、百音はここにいなかったことになります。
それでは、もちろんケイスケくんは助からなかった。
山の木の栄養が、川、海を経由して遠いところの牡蠣を助ける……という龍己おじいちゃんが語るところの世界観で進む作品です。
一見マイナスな事象が、巡り巡って善なる何かをなすことがある、という作劇が第2週にして既に顕著です。
「欠けている人間」たちの栄養が巡り巡って届いてケイスケくんが助かるという構図なので、この先に描かれるであろうと予想している大きな気象災害では、ケイスケくんの存在も何かしらの意味を持ってきそうです。
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めちゃめちゃ面白かった。2014年の登米と気仙沼! ちゃんとあらゆることが宮城県っぽい! #おかえりモネ
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) May 16, 2021
→前回:『おかえりモネ』第1週「天気予報って未来がわかる?」(第8回)(5月26日(水)放映分)の感想へ
→次回:『おかえりモネ』第2週「いのちを守る仕事です」(第10回)(5月28日(金)放映分)の感想へ
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