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アニメ『リアデイルの大地にて(公式サイト)』、
第1話「宿屋と、塔と、熊と、宴会」
の感想です。
ネタバレ注意です。
主人公・各務桂菜(かがみ・けいな)に関して、二重の「喪失」がある作品であると思われ。
・ゲーム「リアデイル」中で「世界」と離れていた時間(200年経っている)
と、
・現実で入院していて「社会」と離れていた時間(長い時間寝たきりだった)
と、二つの時間的空白(「喪失」)が重なる構造が冒頭からみてとれます。
二つの「リタイア期」を経て、復活した人間にまつわる物語という側面がありそうです。
現実の視聴者の境遇に照らし合わせる連想的な読みがアリなら、病気、リストラ、介護、コロナ禍、なんでもイイのですが、のっぴきならない事情でいったん「リタイア期」に入らざるを得なかった人間が、復帰して久しぶりに社会(世界)と触れ合って、とまどい、おどろき、喜びを感じる様子を描いていると捉えると興味深いです。
特に、「喜び」を感じる箇所は、主人公の久しぶりの食事のシーンに表出されています。
「口で食事をするなんて、何年ぶりだろう」(ケーナ)
強引にリアルの時代性に引きつけてみるなら、コロナ禍の長い自粛期間(リタイア期)を経て、久々に飲み屋で飲んだお酒のいっぱいの喜び、といったところでしょうか。
もうひとつは、主人公の「リタイア期」の間に「世界(リアデイル)」に何があったのか。足跡をたどる物語である、ともいえそうです。
200年前、というか200年の間に、自分の子供、自分の友人(パーティを組んでいた仲間?)、そして自分自身に何があったのか?
彼・彼女らは「世界」に何を残したのか?
(ある種の宗教的な方向の)「輪廻転生」を意識してよいのなら、自分が200年後に転生したっていうよりも、このリアルを生きている我々視聴者も、実は200年前くらいに生を送っていて、そこから200年経って転生して生きている(転生前の記憶は失っている)というのを、思考実験として設定してみると、「足跡をたどる」というモチベーションはちょっと分かります。
それこそ本作のように、転生前の自分の子孫とか、気がつかないだけで今世でも出会って再び縁を結んでる可能性とかもあるので(笑)
転生前の自分の子孫とダイレクトに……までいかずとも、前世で縁があった人・場所と今世でまた出会っているのかも的な感覚が、広く人・もの・場所を大事にする感覚に繋がっていく……というのは、『AIR』の系譜からたとえばアニメ『輪るピングドラム』の最終回などでも描かれていた事柄です。
参考:輪るピングドラム/最終回/感想
そんな、ある種のスピリチュアルなロマン(え)を「小説家になろう」のフォーマットに落とし込んで料理しているともとれるような作品で、アニメ化までたどり着く作品はやっぱり(解釈の)可能態としての射程が広いな〜などと思いながら視聴してみた第1話だったのでした。
→次回:リアデイルの大地にて/感想/第2話「怪我人と、王都と、息子たちと、鬼ごっこ」(ネタバレ注意)へ
→アニメ『リアデイルの大地にて』感想の目次へ
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— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) January 6, 2022
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