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ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 に参加中!
 相羽です。

 アニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期(公式サイト)第1話「新しいトキメキ」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 考え方が、鐘嵐珠(ショウ ランジュ)と高咲侑(たかさき ゆう)とでは違う、という対照構造が一番の核心であるエピソードでありましたが。

 ざっくりとは、


 嵐珠さんが「スクールアイドルはファンの支えなどは必要なくて一方的に与える派」

 侑さん(および基本的な「虹ヶ咲」1期のメンバーの面々)が「スクールアイドルとファンは支え合いの関係にある」派


 です。

 個人的に(リアルで)海外の方々と交流する機会もありましたが、この嵐珠さんのグイグイくる感じは分かります(笑)。

 劇中のエマ・ヴェルデさんのように基本控えめな方が珍しくて、良きにしろ悪しきにしろ、海外の方は「個」が強い人が多いな〜という印象は、経験上持っていたりします。(もちろん、国によっても、個々人によっても振れ幅は大きいのですが。)

 で、この今話で描かれた考え方の違いを、大陸的な考え方と日本的な考え方の違いである……と、インターナショナル(国際的)な対照であると捉えてみる見方も面白くはあるのですが。

 僕は、もうちょっと別の角度から、これは「男性性」と「女性性」の対照であろうな、と思ったのでした。


 鐘嵐珠が「男性性」よりの属性で、

 高咲侑は「女性性」よりの属性


 です。

 ここでいう「男性性」と「女性性」は具体的なジェンダー(性別)の話ではなく、近年研究されてる生物学的な男性ホルモンや女性ホルモンと精神的な考え方の傾向の関連性の事項から抽象した、概念的な話です。

 そういう意味では具体的な性別が男性であろうと女性であろうとそれ以外であろうと、「男性性」と「女性性」は基本的に誰でも両方持ち合わせているものなので(生物的にも、一人の人間の中には男性ホルモンも女性ホルモンも両方ある。)、イチかゼロか(男性か女性か)、白か黒か、みたいな二項対立的な話ではなく、基本的に「バランス」とか、そういうアバウトな話となってきます。

 と、前置きした上で。(くれぐれもいわゆる「ジェンダー論」ではない点を踏まえた上で読んで頂けたらと思います。どちらかというと「物語論」の範囲です。)

 一方的に影響を与えたい、何なら支配したいくらいの勢いの鐘嵐珠さんの志向性は、かなり「男性性」寄りの精神傾向なのですね。

 テストステロン(男性ホルモンの一種)とかは、「獲得」とか(そこから派生する)「支配」の傾向と関連しています。

 そして、具体的な性別が男性でも女性でもだいたいは若い頃に多くて、年齢を重ねていくにしたがって減少していきます。イメージとしては、「若いギラギラした感じ」です(笑)。

 鐘嵐珠さん、これまでの「虹ヶ咲」のメンバーと比べると、「ギラギラ」してますよね……。

(対して、高咲侑さんはどこか達観したような熟成したような趣があり、さしずめ「おばあちゃん」的な雰囲気があります。)

 これ、今までの「虹ヶ咲」メンバーがかなり「女性性」寄りのキャラクターたちだったので、2期からさらに物語を動かすために「男性性」寄りの鐘嵐珠さんを投入したのかな、などと作劇の意図を推察したりもするところです。

 「男性性」、「獲得」とか「支配」に加えて、「具体的」「はっきりさせたがる」というのも言われていたりします。

 嵐珠さん、ざっくりとは「夢」を追うなら他は切り捨てて集中しろ、ということを侑に迫るわけですが、これもやっぱり「男性性」の傾向だよな〜と。

 で、「女性性」というのは、これに比べて、「ぼんやりしたものを、ぼんやりしたまま受け入れられる」といったことが言われていたりします。

 侑さんが嵐珠さんに返した、「私だって私のやり方で、この同好会で夢を叶えたいと思っている」というのは、やっぱりなんかボヤっとしていて、でも「女性性」の良さだよな〜と思ったりするわけです。

 で、「男性性」と「女性性」は、真面目にちゃんと生きてると、基本的に「統合」・「調和」へと向かっていきます。一人の人間の中でも、人生の道中でどちらかが上がったり下がったりしながら、最終的には「バランス」へと向かっていく感じのものなのです。

 で、「マンガフル」さんで書かせて頂いた『鬼滅の刃』の考察記事とかでも書きましたが、「物語」というものは、古今東西、登場人物に関して、


・バランスが崩れた状態
 ↓
・バランスがとれた状態


 へと向かっていきます。

 これは、人間の精神が脳の構造として、そういう「物語」を好むようになっているので、かなりの程度普遍的な「物語」の法則です。

 なので冒頭の2期第1話では、嵐珠さんは「男性性」に寄り過ぎてバランスがイマイチで、侑さんは「女性性」に寄りすぎてバランスがイマイチなのかなと。

 その、現時点では傾いているバランスを、物語を通してバランスがとれた状態へと向かわせていく、「調和」へと至らせていく。

 そういう流れを予期しながら視聴してみるとけっこう面白く。

 また、や、やはり、「男性性」と「女性性」は調和にいたる、スクールアイドルは菩薩(ぼさつ)だったんだ〜(え)という話となり、『ラブライブ!』仏法説を以前からとなえている僕としましては、やはりまた面白い話となってくるのでした〜。

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前回:『虹ヶ咲』2期と中国語の学習意欲へ
次回:鐘嵐珠(ショウランジュ)加入による「虹ヶ咲」の男性性の試練へ
次回:『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期第2話の感想〜鐘嵐珠(ショウランジュ)の「再びつながりたい気持ち」を汲みとってへ

●当ブログのこれまでの『ラブライブ!』シリーズの感想↓

『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(2期)』の感想

『ラブライブ!サンシャイン!!』の感想

(無印)『ラブライブ!』の感想