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ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 に参加中!
 相羽です。

 前回、


 アニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の2期は、これまで高咲侑(たかさき ゆう)さんを筆頭に女性性寄りの属性の集まりだった「虹ヶ咲」に、男性性寄りの属性を宿した鐘嵐珠(ショウランジュ)さんが貫入してくるところから物語が始まっている……という記事を書かせて頂きました。↓


参考:『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期第1話の感想〜男性性と女性性の調和へ


(繰り返しとなりますが、これはいわゆる「ジェンダー論」ではない点を踏まえた上で読んで頂けたらと思います。どちらかというと「物語論」の範囲です。男性性とか女性性とかの術語がどういったものを指すのかは、上記の記事を参考にして頂けたらと思います。)

 キャラクター個人レベルでは、女性性の高咲侑さんが男性性の鐘嵐珠さんと接触する……という展開なのですが。

 もうちょっと大きいレベルで、女性性寄りの集まりである「虹ヶ咲」が男性性と改めて向き合うという展開が予見されたりもします。
(キャラクターの関係というミクロは、物語全体というマクロと関係し合う、というのが近年の作劇方法だったりもしますので。)

 では、大きいレベルの本作の「物語」上の話とは何なのか?

 そう、「虹ヶ咲」が「ラブライブ!」出場(およびそこからの勝ち抜き)を目指すのかどうか問題です。

 アニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の1期は、わりと早い段階で、「必ずしも『ラブライブ!』を目指さなくてもよい」という価値観を高咲侑が提出するのが、物語上のエッセンスの一つでした。

 前回の記事で、ざっくりとは男性性とは「獲得」の志向性と関係があると書きましたが。

 「ラブライブ!」はもろにトーナメントという「競争」なので、これは「獲得」を前提とする男性性寄りの舞台(ステージ)です。手に入れるものが「栄光」なのか「輝き」なのか「お金」なのかその他の何かなのか分かりませんが、とりあえず構造としては「獲得競争を行う」という舞台装置です。

 これまでの「ラブライブ!」シリーズは、ざっくりとは、


・初代→本当に「競争」を勝ち抜いた話(ただし続く劇場版ではもうちょっと繊細な話を描いている。)

・サンシャイン→「競争」に勝ち抜くことはできなかった話

・虹ヶ咲→「競争」に参加しなくてもよいという別の道を提示する話


 です。

 「初代」の呪縛を解く……は「ラブライブ!」シリーズの物語ではわりとスタンダードな要素なのですが。


参考:AKB48・μ'sが敷いたアイドル「システム」をブチ殺す(え)段階に入る? 10年代後半型アイドル達:『ラブライブ!サンシャイン!!』・『アイカツスターズ!』そしてSCK GIRLS


 「サンシャイン!!」が、まずは(「ラブライブ!」に参加というかたちで)正面からμ's(ミューズ)と打ち合う、男性性VS男性性の構図で初手は呪縛に挑んでみたのに対して。

 「虹ヶ咲」はストロングスタイル(え)の初代に対して合気道で相対してみた感じというか、「ラブライブ!」に参加しないという輝きの道はあると、男性性に対して女性性で中和するようなスタンスを描いてみたのが、アニメ1期だったのでした。

 という流れの上での、女性性寄りの「虹ヶ咲」に男性性寄りの鐘嵐珠が接触という2期冒頭の展開です。

 これは、前述したように女性性寄りの集まりである「虹ヶ咲」に再び男性性をつきつけるということですので、おのずと男性性寄りの舞台装置である「ラブライブ!」をさてどうするのか? という問いを再び喚起するという意味合いが推定されます。

 女性性寄りでまとまりかけた「虹ヶ咲」に、再び男性性寄りの試練がおとずれる気配がする……というアニメ2期のスタートなのです。

(実際、鐘嵐珠は「虹ヶ咲」に「勝負」を持ちかけており、これは男性性的で「ラブライブ!」的で、さらにある意味「初代」的です。)

 このまま女性性寄りの集まりで逃げ切きれそう(というと言い方は悪いですが)とも思えていたところで、あ、ああ、やっぱり男性性はやってきますか、初代の呪縛はやってきますか、「ラブライブ!」どうしましょうか。「世界」とは、そっちの話とも切り離せないですよね……という展開なので、これは「物語」としてはたいへんに面白いです。

 と、ここまでは、アニメ2期第1話から考えることができる考察でしたが、ここからは少し先の展開の予想です。

 前回の記事でも書きましたが、物語は基本的には、


・バランスが崩れた状態
 ↓
・バランスがとれた状態



 という筋道をたどっていくのが普遍的な法則ですので。

 やはり、この女性性の「虹ヶ咲」に貫入してきた男性性ともバランスの回復へと向かうように物語は進んでいくのではないかと推定されます。

 あくまでバランスですので、両極端である、


・一気に女性性寄りに振り切れる、鐘嵐珠も「虹ヶ咲」に円満に加入して、そのまま女性性的な共同体で楽しく過ごしていく

・逆に一気に男性性寄りに振り切れて、「虹ヶ咲」は男性性寄りの共同体に変革され、みんなで本気で「ラブライブ!」を目指す


 この二つは(ストレートなかたちでは)ないと予想してみます。

 では、この二つではない、代案となる「バランス」という帰結、男性性と女性性が統合されたような調和されたような展開とは何なのか……と言われると、まだ明確な予想は僕もできなかったりするのですが……。

(正確には、推察の範囲でいくつか想定は可能ですが、まだ第1話の段階で展開していくのは早いよな……という心持ちです。)

 というわけでまとめると、女性性の「虹ヶ咲」に男性性の鐘嵐珠が貫入してくる展開は、視聴者的にもちょっと心をザワつかされる「試練」ですが、総じて最終的に「バランス」へと向かっていく前フリですので、全体としては、癒しとか、調和とか、中庸の物語であろうという捉え方を提示させて頂きたいと思うのでありました。

 何気なく「癒し」という言葉を使いましたが、キャラクター面の癒しだけでなく、物語面の癒しも志向している作品だなと感じております。

 視聴者は、ある程度架空である物語に没入して、物語内で描かれる精神の流れを疑似体験するわけですが。

 基本的に、(精神が)乱れた状態から調和した状態へと移行した時に、「癒し」は生じるものだと思いますので、そういう意味でアニメ「虹ヶ咲」は一種の癒しの法則に忠実でもあろうと思えます。

 そして、精神に癒しの状態をもたらしてゆくもの、これニアイコール仏法的なものでもありますので(え)、またしても『ラブライブ!』仏法説をとなえながら、今回の記事も結ばれるのでありました……。

・1期最終回を観て「虹ヶ咲」仏法説をとなえはじめた時の僕のツイート↓


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前回:『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期第1話の感想〜男性性と女性性の調和へ
次回:『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期第2話の感想〜鐘嵐珠(ショウランジュ)の「再びつながりたい気持ち」を汲みとってへ

●当ブログのこれまでの『ラブライブ!』シリーズの感想↓

『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(2期)』の感想

『ラブライブ!サンシャイン!!』の感想

(無印)『ラブライブ!』の感想