相羽です。

 映画『シン・ウルトラマン』の感想です。

 ここから先、映画『シン・ウルトラマン』全編&ラストまでのネタバレを十全に含みますので、まだ観てない人は読まないようにして頂けたらと思います。

 『シン・ウルトラマン』をまだ観てない人は、必ずここで戻って頂けたらと思います。
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 人間と人間(外星人含む)の関係において、


・支配構造


 の関係か、


・対称(対等)である


 関係か……


 という対照で物語が進んでいき、最終的に後者の「対称である」人間と人間の関係が、そのままだと消耗品となっていって尊厳が剥奪されていく人間というものの価値を救っていく(かもしれないね)という映画でありました。

 前者の「支配構造」の関係は、視聴者に分かりやすい感じとしてはメフィラス星人を通して描かれています。

 ざっくりとは、メフィラスがピラミッドの頂点に立って、下層の地球人を支配するという関係ですね。

 ところどころに「SNS」を描写していて、(あるいはリアルにおける)SNSの発信者とフォロワーの関係って、だいぶ「支配構造」の関係だよね? と批評的な感じに取り扱っていたのは興味深かったです。

 メフィラスとか、あからさまに自分が「上位概念」だみたいなことを言い出していて、いわば地球人70億人をフォロワーにして支配しようとしていたみたいな感じですからね。

 こういう「支配構造」の人間と人間の関係は、やっぱり何かイヤな感じがしますね。

 個人的にも、リアルの方のSNS社会近辺でも、フォロワーとなる人間を資源(消耗品)か何かと勘違いして、日々、あの手この手でフォロワー数(そう、もはや人間ではなくただの数字になってる感すらあるのですよね)獲得に躍起になる人々が跋扈(ばっこ)するという世界は、地獄だな〜とか、控えめに思ったりしていましたからね。

 この何かイヤな感じの人間関係である「支配構造」の関係と対照的に扱われていたのが、後者の「対称(対等)」である関係です。

 こちらは、象徴的には「バディ(相棒)」という言葉で描かれていきます。

 「バディ」という言葉、やはり「支配構造」と比べると、一人と一人が対等な感じがする響きがありますよね。

 メインは、神永新二と浅見弘子の、文字通り作中のメイン「バディ」を通してこの「対称」な関係が描かれていくのですが。

 意外なことに、作品のツイスト(いわゆる「どんでん返し」)として描かれるのは、非粒子物理学者の滝明久くんがウルトラマン(リピア)と「対称」な関係、「バディ」的な関係となっていく終盤のくだりなのですね。

 滝くんは、ウルトラマンをいったん「神」として扱って、人間よりもピラミッド構造の上側にいる存在として、ゼットンのことは全て任せてしまおうとします。

 これは、「支配構造」とはややニュアンスは違いますが、ピラミッドの上層にいる存在と下層にいる存在の関係……という点では、メフィラスと人間の関係と、ウルトラマンと人間の関係も同じとなってしまい、とても「対称」な関係とは言えないわけです。

 ……というところから、ウルトラマンからベータボックス関係の情報を託され、滝くんが頑張る。ウルトラマンと人間(とその代表の滝)が、上層の者と下層の者という非「対称」な関係ではなく、一人の存在と一人の存在として「対称」な関係となる。そのことこそが最後の切り札となる……という描き方をしておりました。

 ウルトラマンの勝利ではなく、ウルトラマンと人間の「対称」な関係(現実には難しいのかもしれないけれど、可能性として希求することを諦めないという意味での)の勝利という映画なのですね。

 最後の敵であるゼットンが、もうもろに原作からアレンジされてものすごく機械的な存在になっていて、合理主義と大量消費文明と機械文明と資本主義と「支配構造」ともろもろとの象徴みたいな感じになっていたのも興味深かったですね。

 上述してきた「支配構造」は、(途中の詳細ははぶきますが)ざっくりとはやはり合理主義とか大量消費文明とか機械文明とか資本主義とかとは相性がよいものとされ、人類、そっちの方向だけでイイの? 的な問題意識は、特にこの映画単体に限らず、学術や批評の世界の様々なところでずっと取り上げられていたことです。

 興味がある方は、個人的には中沢新一氏の『カイエ・ソバージュ』とか、入口としてはおすすめです(もろに「支配構造」ではない「対称」の概念の回復……みたいな話を扱っているので)。



 で、今回のラスボスのゼットンは、庵野秀明の師匠の宮崎駿氏の『天空の城ラピュタ』のラピュタが連想されるような、バリバリの「行き過ぎた科学技術の象徴」みたいな感じの位置づけで登場してくるのですね(「光の国」は「地球」がめっちゃ進んだ的な位置づけの星となっているため)。めっちゃ、合理主義とか大量消費文明とか機械文明とか資本主義文明とか「支配構造」の象徴のような城(機構物)ですからね。

 思いのほか、庵野秀明氏は宮崎駿氏からも強い影響を受けておられるのだなと個人的には感じた部分です。

 今回のゼットンの熱球(?)は、上空(上層)から下層の人間を一掃する類のものとして、ラピュタで描かれた「ラピュタの雷」と、ほぼほぼ同じニュアンスのものと言えそうです。

 合理主義とか大量消費文明とか機械文明とか資本主義文明とか「支配構造」とかが行き過ぎちゃって、もう人間が人間としてではなく、消耗品とか数字に見えちゃってるんですね。

 今回の映画の、地球の人間を巨大化させて兵器に転用しよう的な話とかは、まさに人間を人間とみなさず、兵器という資源とか消耗品とかにみている……という表現となっています。

(これが、リアルでも戦争とかになると、人間は人間の尊厳を無視されて、消耗品とか資源とかになってしまいがちなのですよね……)

 だから、人間とか一掃した方が、虐殺した方が合理的だ、となってしまう。

 そういった、人間の尊厳を踏みにじりまくった世界観の象徴のゼットンに、最後、ウルトラマンが突撃していく。ここで原作の、ウルトラマンへの変身シーンのカットのオマージュが出るのは感動的です。『ウルトラマン』が大事なものとして描いてきたものはこれだと身震いさせられます。

 合理主義とか大量消費文明とか機械文明とか資本主義文明とか「支配構造」とかにまみれた世界(宇宙?)の象徴であるゼットンをウルトラマンがパンチ一発で別次元に吹っ飛ばして、人間・神永新二は人間と人間が「対称」な関係である「バディ」の世界に帰還する……というのは、『ラピュタ』で機械文明の象徴のラピュタをバルス一発でぶっ壊して、パズーとシータは自然へと帰還する……というのと同じくらい分かりやすくてカタルシスがあるフィナーレでした。

 有名な『風の谷のナウシカ』で庵野秀明氏が担当されたという、巨神兵がビームでオームの群れをふっ飛ばすシーンみたいなノリで、ウルトラマンにゼットンをぶっ飛ばさせてますからね。

 庵野秀明氏と宮崎駿氏、師匠と弟子、二代にわたる、機械文明の象徴ぶっ壊し(ぶっ飛ばし)案件ですよ(笑)。

 あの時は人間の進歩の業の象徴である巨神兵が人間(ナウシカ)の味方であるオームたちをふっ飛ばすシーンを描いていた庵野秀明さんが、今は人間の味方であるウルトラマンが人間の進歩の業であるゼットンをぶっ飛ばすシーンを描いているというのは、庵野氏の生き方の変遷を反映している……というのは深読みが過ぎるでしょうか。

 最後に、神永新二(リピア?)が目を覚ますシーンがイイのですよね。

 このシーンで目覚めたのが、神永新二なのかリピアなのかは、おそらく演出意図としてよく分からないようになっていると思います。

 でも、それはラストシーンまで物語が進んだ時点での劇中人物たちと視聴者たちにとっては、もうどうでもイイことなのです。

 目覚めたのがウルトラマン(リピア)の方だったら、その存在は外星人で人間よりも上層の支配者だから歓迎できない、とかではもうない。この時点では、目覚めたのが神永新二でもリピアでも、何であれ、友人です。合理主義とか大量消費文明とか機械文明とか資本主義文明とかもろもろで、「支配構造」にまみれた一つの生命と一つの生命……という殺伐とした世界観の無効化です。

 最後に目覚めた生命との関係はどちらにしろ、「支配構造」で支配したりされたりする関係ではない。「対称」な感じの人間、友情を感じている存在が目覚めたというだけなのだから。

 ラストに目覚めた誰かにかけられる言葉は、「お帰り」です。

 「支配構造」の世界ではない、あり得るかもしれない、「対称」な人間関係が原則の「バディ」の世界へ、お帰りっていう感じです。

 あと味のイイ映画だったのでありました。

→S.H.フィギュアーツ ウルトラマン(シン・ウルトラマン)



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