相羽です。

 明日の朝の時点で、父親の腰の調子が一人で日中過ごせそうなくらいだったら、宮駿監督の新作映画『君たちはどう生きるか』を観てこようと思っていたり。

 ゆえに、『風立ちぬ』を観た時の自分の感想を読み返していたのですが、2013年の7月のことで、ちょうど10年前くらいになるのか。

 関連して、2013年の7月って自分何やってたのかなと前後のブログを読み返してみたら、ちょうどその頃、『妹の紋章』の「小説家になろう」での連載をやっていたのですね。

『妹の紋章』から10年なのか。

 今は『なかよし幼馴染とゆくこの世界と異世界』という小説を「カクヨム」さんで連載してるのですが、幸いなことに実力は10年前より上がってると感じます。
 文章そのものもお話作りも、今の方が上手い。

 ただ、10年前は震災から間もない頃のこともあり、『妹の紋章』にあった痛切な感じは、今は手放し始めている感じがしますかね。

『なかよし幼馴染とゆくこの世界と異世界』はのびのび書いてる感じがしますかね(笑)。重い話も出てきますが、エンターテイメントの範囲で「料理して」書いてる感じです。

 10年前、20年前と比べて、最近は人生を「山のシンボル」でとらえています。

 山頂の付近に何かしら僕が理想とする、「今回の人生で追求している僕の理想・完成形」みたいなのはあって、そこを目指してこの人生を歩んではいるのですが。

 山頂に向かう山の途中のルートは、色々と途中で「ルート変更」しながら登っていくのが、むしろ普通で自然……という感覚が大きくなってきています。

 色んなルートで色々やっても、最終的に山頂付近で統合されるので、無駄になるということはないという人生観になってきています。

『ひろがるスカイ!プリキュア』の感想で書いていたこの図↓

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 ですね。

 ツバサ君は「航空力学」に打ち込んで山頂を目指していたルートから変更して、別ルートで山登りを始めても、「航空力学」で途中まで登ったのも生きてるので(山頂付近で統合されるから)、無駄とかそういうことはない。

 この感覚が10年前、20年前はなかったので、「執筆」というルートから外れると無駄な時間な気がすることもあり、ちょっと余裕がなかったなと今では思います。

 親の介護とか大変になってくると、「僕は執筆がしたいのに」とイライラしてしまったり。あれが、今思うとよくなかったですね。

 今は、山の山頂付近でどうせ統合されるさ、ルート変更オッケーオッケー感で生きているので(笑)、しばらく執筆を休んで今回みたいに母親をお風呂に入れるということに取り組んでも、「今はこのルートを試みているが、いずれ山頂付近で全部つながってくるだろう」と、前向きに「学びになるな〜」と思いながらお風呂に入れています。

 というわけで、「山のシンボル」人生観はけっこうおすすめです(笑)。

 小説執筆も、老年の親の生活の手伝いをすることも、宮駿監督の新作を観ることも、「色んなルート」として山を登る途中のことで、山頂付近の「なんかイイこと」に向かって、統合されていくんだろうなと、10年後の今日も日々を過ごしているのでした〜。