20250527note1eyecatch
 相羽です。

 今回は、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』のマチュ(アマテ・ユズリハ)の好きなところ3つ、という文章です。

 第7話までのネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 ◇◇◇

 ◇◇◇

 便宜上順位形式で書いてますが、特に優劣の意識はなく、3つピックアップして語ってみた……くらいの文章です。


第3位:第1話のマチュが走り出すところ

 第1話。

 コロニーでの暮らしをどこか偽物だと感じていたマチュ。

 これは、「外」の世界に疑念を持ってる状態です。母親(親という自分の「外」の要因)のことも含めて、しっくりきてない「外」に自分を合わせるのか……という葛藤のドラマが展開してきたところで、アンキーのアジトのシーンで軍警がやってくる。

 軍警が街を壊しはじめる。隣には、頬にアザがあるニャアン。理不尽な「外」の世界……というところでマチュが走り出します。

「外」ではなく、自分の「内」なる魂の衝動にまかせて走り出すのです。ある意味、自分を守るためですよね。

 以前も書いたとおり、このマチュが走り出すところから、米津玄師さんの「Plazma」が流れはじめてジークアクスに飛び乗るところまでは本当に感動的で、何回も観てしまっています。

 ニャアンを理由にして、怒りを行動で表現することを正当化したかっただけなのかもしれないし。

 鬱屈とした気持ちから逃げたかったのかもしれないし。

 ある意味ではネガティブな行動なのかもしれないけれど。

 それでも、今、走り出さないと、私として何かがちがう。

 理性的・社会のフォーマット的には正しい選択とは言えないのかもしれないけれど、俺は(私は)そうせざるを得なかったという経験がある人には響く、マチュが走っていくシーンだと思うのです。


第2位:親との人間関係に問題を抱えているところ

 マチュ、母親に対してちょっと否定的な感情を持ってるのですよね。

「普通」だと評していて、第4話でシイコが「普通」ではなかった(方向性としては、キラキラの向こう側への志向性側だと思う)のと比べています。

 親と子の話はある意味普遍的で、ガンダムシリーズだと、初代ガンダムのアムロもとシャアも、何かしら親との関係が題材になってますよね。

 親との問題というか、アムロ、シャア側から親をどう捉えるかは、かなりドラマ全体でもポイントになっています。

 親はある観念を持っている。そして、親はその観念を大なり小なり、子どもに引き継がせようとしている。子どもの方は、それに反発を感じる。

 ……という、ある種現実世界でも「あるある」な、普遍的な題材なのですよね。

 現実でも、子どもと言われる年齢くらいで親の捉え方が問題になってくるのはもちろん、わりと、40代になろうが、50代になろうが、60代になろうが、親をどう捉えるか、親との関係に一区切りがついてなくて、まだまだどうこうと言っているという人はおりますからね。

 ただ、僕はそういうのを未熟と捉えたりましてや笑ったりはできなくて、わりと人間とはそういうもので、親との関係は一生ものの修行になるようになってるんだろうなと思ったりもするのです。

 そういう意味では、視聴者の多くと同じように親との関係という修行の途上にいるマチュに、僕は共感したりします。

『ジークアクス』では、マチュのキラキラの向こう側への危うさを伴う憧れ、コロニーでの生活を偽物だと感じている心情、そういったものが、親との関係の問題とリンクするように描かれています。

 イイ意味で、壮大なスケールの話の方にばっかり行ってしまわない、自分の親について、という実感をともないやすい、身近な題材とつながりながら描かれている人物像が、とてもよいと思うのです。


第1位:犯罪者になっちゃったりな、正しくはない、人間像

 キラキラの向こう側が、ある種のメタ世界的なニュータイプの世界なのだとすると、マチュはキラキラに惹かれながらも、苦悩もある現実の「この世界」で(今のところ)生きてるというキャラクターなのだと思うのですね。

 ガンダムについて語られる中でたくさんあるニュータイプ論みたいなのをそんなにも知ってるわけではないのですが、心と心で直接通じ合えちゃう世界っていうのは、なんて言うか仏教でいう涅槃(ねはん)みたいな?

 そこでは不完全性や自己否定感に悩んだりも、もうしないのかもしれないのですが。

 素晴らしい世界なのかもしれないけれど、そういう境地の世界はあの世に行ってからでよいのかなみたいな視点もあり、「この世界」を生きてる私たちは苦悩もあり、正しくないこともやっちゃったりするんだけど、そういう酸いも甘いもある中で経験を生きてるのが人間なのではないかと思うのです。

 第7話で犯罪者になっちゃったマチュは、もちろん悪いことをやっていた立場なんだけど、そういうある種の「正しくなさ」も含めて、人間だよなぁという深みの射程があるキャラクターだと思うのです。

 涅槃であるとか、悟りであるとか、そういうものに到達したいと志向しつつ、不完全なこの身でこの世で、苦味もある中、楽しいこと、幸せなことを探して生きていく。スケールは違えど、未熟で不完全ながらやれるだけ前を向いて生きていくプロセスに、我々視聴者も共感したりするのだと思うのでした。

 ◇◇◇

 以上、今回は、そんなにも分かりやすくはない(笑)視点から、『機動戦士ガンダムジークアクス』のマチュ(アマテ・ユズリハ)というキャラクターの好きなところについて、書いてみたのでした。

 みなさんの、マチュについてこう思う……というようなことがありましたら、気軽にコメント欄なりにお寄せください〜。

 ◇◇◇

 ガンダムシリーズ関係の文章を色々と書いております!

 20年くらいブログをやっていて、いちばん読んで頂いた(5万人くらい!?)当ブログの代表的な記事です〜↓

『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の感想〜三つの愛──無条件の愛、明るい愛、故人の愛(ネタバレ注意)/ランゲージダイアリー

 ◇◇◇

前回:『機動戦士ガンダムジークアクス』第7話「マチュのリベリオン」の感想〜 フィクションでも気になる人でも、他人推しで相手が消えてしまったら私はどうするんだろう(ネタバレ注意)

次回:『機動戦士ガンダムジークアクス』第8話「月に墜(堕)ちる」の感想〜ニャアンの「帰る場所」(ネタバレ注意)

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』の感想目次へ