ネタバレには注意していますので、本放送(10月9日/土曜日/18時)を楽しみにしている方でも今日の文章は読めます(^_^;

 まず、第01話を見ての率直な感想↓


 「このまま仕事のクオリティを下げずに週刊化したら 身体(からだ)壊すぞっ!!」(ボタQ編集長@吼えろペン)

 凄かった。
 もしもう一度オレを震えさせてくれるのなら、この世界で、もう少し僕も頑張ってみようとさえ思った。

 というか、会場、熱狂

 改めてガンダムSEEDは女性層の支持が厚いのだと身をもって感じました。僕としては、エ、何?アニメって歓声とかあげながら観るものなの?とちょっぴり新たな世界をかいま見た気分になっちゃったりしました。キャーて、歓声っって、どうよ?みたいな。

 が、結論から言えば、見方としては、それもアリだと思った

 身内が大変な状況なのに、自分だけ遊びにきてしまった後ろめたさからだろうか、何か思慮深いことを考えながら観てしまった。

 つまり、作り手は、気の遠くなるような多大なエネルギーを使い、何故創るのか?受け手は、なぜこうも多様に(否定的だったり、肯定的だったり)受け取りながらも、それでも観るのか?

 まず作り手の方に思いを馳せれば、ガンダムSEEDの監督の福田己津央監督は、僕の印象では作品作りに関して両面性を持ちつつバランスを取ろうとしている方に見えます。
 「二面性なんて誰でも持ってるよ」とは『無敵看板娘』の佐渡川先生の名言だと思ってるんですが(太田さんに言わせてる)、福田監督は一面では徹底したエンターテイナーで(商業主義的と批判の対象にもなる)、もう一面は真面目なテーマに取り組む真摯な創作者、そのような両面性が強い監督のように思えます。商業家か、芸術家か?と言われれば、両方

 福田監督のエンターテイナーっぷりは、公式サイトの監督インタビューの、

 「とにかくエンターテイメントでなければならないのは、言うまでもありません」

 の一言ににじみ出てると思いますし、一方で今回の試写会映像の監督インタビューでは、「最近の世界情勢も踏まえる」と真面目な方面のスパイスも入れることを言明しています。
 統括する監督一人でさえも、二面性、他面性を持って望んでいる、さらには映像作品は監督一人で作るモノではなく、今回の試写会のメイキング映像なんかを観る限り、百人あまりのスタッフの思念が複雑に絡まり合って作られていくもののようです。これだけ発信側に多重性があるのですから、受信側の受け取り方が一様なワケがない。  ここから、受け手の方の話になります。

 発信側の多重性のどの部分を受け取るか、それは、受け手の選択しだい。それは発信側と受信側のコミュニケーション。だとするならば、コミュニケーションの形には制約などないと考えるのが普通です(違法なものとかは除いて)。
 つまり、選択として、発信側のキャラクターエンタメの部分、カッコいい男性キャラの部分を受信して受け手側が楽しんでいるのだとしたら、キャーとか、ワーとか、歓声を挙げる見方も壮絶にアリ

 ロボアクションに燃える子どもが、少し背伸びして難しいことを考えようとしてる少年が、男性キャラに恋してしまった婦女子が、女性キャラとSEXしたいと本気で思ってる二次元病の男が、アニメにしか言論のキャパを向けられない偏狭な批判屋が、そして僕のような一年前とは私生活の環境が変わってしまい、それでも「面白い」と思ってしまった人が、様々に創り手の発信を受け取りながら、これからガンダムSEED DESTINYを観ると思います。そう考えた時、何か胸の中に震えるものを感じてしまいました。

 というのは、最初の問いの現時点での僕の答えですけれど、作り手はどんな批判を浴びようと、100%納得のいくものなど作れるはずなどないことを知りながらも、それでも作らずにはいられないほど、受け手は現実の生活にどんな困難や不合理を感じても、それでも観ずにはいられないほど、創ったり観たりしないで生きられるほどに、我々の「心」というものはデフォルトでは世界と整合していないんじゃないかなどと、思ってしまったものですから。

 以下、ネタバレない程度の試写会の情報を少々↓

■福田監督談

 「(前作のSEEDに)満足していたら続編はない。やり残したことがあると思う」

 だそうです。
 取り敢えず言ってみました感を感じないわけでもないですが(^_^;、それでも期待させてくれる言葉です。うれしいなぁ、こういう言葉聞けると。

■DESTINYの音楽はクラシック系
 ドヴォルザークとかべートーベンとか、そんな印象らしいっス。

■これは主観ですが
 玉置成実が凄い。西川さんが最高なのはもう言うまでもないんですが、玉置成実さんがめちゃめちゃ進化しています。
 正直、前作SEEDのEDテーマはどれも素晴らし過ぎて、玉置さんで大丈夫なのか?なんて失礼なことも思ってたんですが、いや、もうマジでイイ曲を歌ってくれてます。エンタメ曲なんだけど、切ない(監督の要望だそうですが)。相変わらずの1話のラストシーンにEDテーマがかぶさってくる演出、震えること請け合いです

 それでは、とりあえずのレポ感想はここまでで、以下は完全ネタバレの第01話感想を書こうと思います。本放映を楽しみにしている多くの皆さんは、ここまでで本日はお帰り下さい。あとは、試写会を見に行った人で当ブログにたどり着いた人だけで楽しむ空間ということで!
 完全ネタバレ感想を読む方は、下の「続きを読む」をクリックしてお進み下さい。それ以外の人はお戻り下さい→「戻る」
 以下、ネタバレです。



■第01話「怒れる瞳」/ガンダムSEED DESTINY感想

◇オープニング

 オープニングはミスリードも多いんで素直に受け取るのは危険なんですが(^_^;、前作の経験上重要な暗示を秘めているのも事実。
 で、とりあえず、イザーク、ディアッカ、マリュー、バルトフェルトが続投(イザーク&ディアッカが出てきた時の会場の盛り上がりが凄かったっス)。おそらくこれは客観的な事実なんで、確実に本編に登場するのでしょう。逆に、コレがミスリードで、イザークだけ出てこなかったとかだったら激しくウケますが
 そして、キラ&ラクスの重要ポジションでの描かれ方。コレは、アイキャッチ、EDと暴力的に存在感をアピールしていることから(^_^;、制作者サイド、相当に二人の登場はタメにタメていると思われます。ああ、もう、二人(特にラクス)再登場のシーン想像するだけで今から泣けてくるよ……(僕の前サイトを知らない方へ、管理人は激しくラクスFANです)。
 そしてそして、僕的に一番衝撃だったのが、ステラ・ルーシェの1レベル高い描かれ方。OPにて主人公シン・アスカとのペア描写アリ。本編でも早速シンとの遭遇シーンを入れる、というか第01話はほとんどステラに焦点が当たってるとも取れるなど、非常に重要度が高く描かれています。そりゃシンに乳も揉ませますよ。もしや、今回のNO.1ヒロインはステラ?

◇今回はアスランがイイ!

 こ、これは、前作では「道の模索者」、「獲得者」のポジションだったアスランに、今回は「喪失者」の要素までも加わっている!こ、これはちょっと、試写会が終わったら拍手するしかないぞ!(って感じで観てました)
 前作最終話で死ぬはずだったアスラン。それでも生き残ってしまったアスラン。母も、狂走しつつも憎みきれなかった父も今やもうおらず、(作中では理由が明らかになっていないが)親友のキラもいない。全てが、ゼロになった状態から始まっているのが今回のアスラン。全てを喪失しているとしたら、これから自分はどう行動すべきなのか?そういう立ち位置から今回のアスランは始まっています。戦争を止めたいという理想はあるけれど、今や何ができるワケでもない自分。一筋の想いを、世界に影響力があり、また自分が愛する人でもあるカガリを護ることに賭してとりあえず保っている(逆に今はそれしかできない)。今回のアスランはめちゃめちゃイイ。というか共感。キラではなく、アスランを続編の視点キャラの一人に定めたのが、こういう描き方をするのだとしたらとても成功だと思います。これからアスランがどう生きていくのか、その全てに前作最終回のカガリの「生きる方が戦いだ!」がかかっていきます。ステキな構成です。

◇今回の「戦争」は広義?

 福田監督の「現在の世界情勢を踏まえる」という発言といい、ちらっと第01話の中に入った「テロは防ぎきれんよ」の台詞といい、今回は、1カテゴリーVS1カテゴリーの単純な全体戦ではなく、もう少し広義の戦争を扱っていくつもりなのかもしれません。
 とりあえずポイントとしては、前作では既に舞台設定として「デフォルトで戦争状態だった世界」があり、そこから物語が始まったのに対し、今作ではまだ戦争は起こっていない。つまり、戦争のきっかけ、発生から今回は描かれるのですね。キャラ同士の絆にしろ、盛り上げ時の伏線にしろ、デフォルトで始まっていて説明しないのはイマイチだと考えてる僕としては、この試みは素晴らしいと思います。さっそく発生のメカニズムとして、ちょい役の伏線か本当の伏線かはともかく、「オーブの難民流出→オーブ難民の技術をザフトが使用」といった争いの火種になりそうな背景が既に第01話で語られています。技術を持ってる難民の方が人的資源としてザフトで幅を効かせてきたらザフトの人はどう思うか……?など、現実を少しだけ参考にしながらいくらでも物語を作れる所ですよね。この当たり、デフォルトな舞台から始まっての盛り上げだけを描くのではなく、舞台の発生から描いていく構成、頑張って欲しいと思います。

◇ステラ・ルーシェという存在

 無垢な舞いの描写などからも、ポジティブに描かれながらも、心性の欠落を抱えている……というキャラ造形のキャラだと思います。描写に割かれた時間から、重要キャラだと思われます。このような欠落キャラは、どうその欠落が埋まっていくか、欠落に代わるものを獲得していくか、というのが楽しみな見所だと思います。多くの場合、それらは人との関係性の中で埋められ、獲得されていきます。早速第01話でシンと遭遇しました。この先のステラの変化が今から楽しみです。

◇ラストシーン

 「何でこんなことを あんた達は!また戦争をしたいのか!」(シン・アスカ)

 憎しみ、悲しみを想起させながらも、主人公性を確立するシンの台詞で、あの定番のEDテーマがかぶさる演出へ。震えます。このシーンで、ああ、またSEEDが始まったんだなぁと思いました。また1年、楽しんでいけそうです。

 とりあえず、今回はここまでで。

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